
2017.12.12Vol.330 二人三脚
2週間か3週間前の土曜日の昼過ぎに、6年生の女の子の親御様に私からお電話をした。早く伝えたいことがあったからだ。つながらなかったので、後ほどかかけ直していただいた。
「先生、電話に出れずにすみません。」
「いえいえ。かけ直していただきありがとうございます。こういうタイミングでの電話というのは大抵ろくな内容ではないのですが」
「えつ、何ですか?また、何かしましたか?」
「実はですね、初めてほめてあげたくなりました」
「・・・・。えっ、ほんとですか」
と大体このようなやり取りであった。私の着信履歴を見て、冷や冷やしながら電話をしてきてくださったとのこと。それもそのはず、志高塾に通い始めてから1年半になるのだが、これまでは「授業中にやる気が見られなかったから途中で帰しました」、「自習のときにふざけていたので1週間教室での自習は禁止します」というようなことばっかりだったからだ。その後会話は次のように続いた。
「中々ほめない松蔭先生に褒められるなんて」
「そんなことないです。褒めますよ。ただ、彼女の場合褒めるところがなかっただけです」
私がすべての親御様に軽口を叩くわけではないが、このようにできるのは親御様の理解があってのことである。見方によっては、長期間我々は成果らしい成果を出していないとも言える。それゆえ、モンスターペアレントでなくとも「こんなに時間を掛けているのに」「こんなにお金を払っているのに」となるかもしれない。家庭でできないから他の所に任せるとなり、縁あって志高塾に通ってくれている。我々もどうにかしようと手を打ち続けるのだが、根源的なところで問題を抱えている場合が多いので、事はそれほど単純ではない。その問題とは、「集中力がない」、「考えようとしない」などである。まだ子供とは言え、私から見て悪い癖がついている子供は少なくない。得てして、早くから勉強してきた子供にその傾向は強い。勉強してきていない子供は、プラスでも、マイナスでもなくゼロである。ゼロというよりかは、真っ白に近い。そのような子供の状態に対して、親御様が「これまで何もやらせてきていないのでご迷惑をおかけしますが」などとおっしゃられることはあるのでが、我々からしたら非常にやりやすい場合が多い。
塾が言う「親」、「子供」、「塾」の三位一体で受験を乗り切りましょう、というのは好きではない。どちらかと言えば、気持ち悪い。まあ、考え方としては分かる。きっと、しっくりこないのは、実際にはそのようなことはできていないのにお題目として掲げているだけであったり受験のことだけを考えすぎたりしていることに違和感を覚えるからであろう。ただ、「親」と「塾」は共同歩調を取れなければならない。その両者は上下ではなく水平の関係であるべきだ。「子供」が抱えている問題を解決、課題を克服するために、対策を考え、実行していかなければならない。策を練るのは、親御様ではなく、我々の役割である。そして、実行する段階で、分担を決める。もし、上下の関係であれば「これはそっちでやってください」、「いや、これは我々では無理です」などと押し付け合う形になるが、水平であれば「こちらは我々に任せてください」、「では、あれに関しては家庭でお願いします」などとなる。実際に、言葉に出してやり取りするわけではなく、自ずとどうするのかは決まっていく。そして、うまく行かなければ、また考え直して実行するのみである。すぐに成果が出ることもあればそうでないこともある。いずれにしても、希望を持って前に進んでいくしかない。
話をそのお母様とのことに戻す。後日、教室に来られた際に立ち話をした。私がほめた翌日の日曜日、これまではどのような声掛けを行ってもしなかったのに、初めて自ら率先して勉強をし始めたとのこと。こういうのが真の成長なのだ。そして
「このまま行ってくれれば」
「受験まではこのまま一気に駆け上がりますが、中学に入ったらまた元のように戻りますよ」
「えっ、そうなんですか?」
「そんなに甘くないです。もし、そうなのであれば私はこんなに苦労(ありがたいことに私の手を焼かせてくれる生徒が少なくない)しなくてすみます。ただ、これまでは『やってもできない』と思っていたのが(実際は、やっていなかっただけなのだが)、『やればできる』となったことはとても大きなことです。でも、なぜか『やればできる』を『やらなくてできる』と勘違いしちゃうんですよね~」
ちゃんちゃん