
2017.11.07Vol.325 部分最適、全体最適
あれを目にしたのはおそらく10年以上前だろう。記事であったのか、単なるネット上のコメントだったのかは忘れたが「ブックオフには掘り出し物がある」というような内容だった。いわゆる昔ながらの古本屋であれば高値が付くものが、格安で売られているからだ。でも、そのことを有難がるというよりかは、ブックオフはその分損をしているというような主旨であった。一方、こちらは5年ぐらい前だろうか。私が気づいたのがそのタイミングなだけであって、それ以前からそのようになっていたのかもしれない。ある日、アマゾンから大きなダンボールに文庫本が1冊だけ入れて送られてきた。まるでフランス料理のように。元々商品にぴったりのサイズではなかったものの、ある時から、商品と外箱の差が大きくなった。無駄なことをしている、というのが私の感想であった。もちろん、箱のサイズをある程度統一することで、運搬員が積み下ろしをしやすくしているのだ。
タイトルにもあるように、これは部分最適と全体最適の話なのだ。ブックオフが100冊に1冊あるかないかのような価値ある本のために、目利きの人を雇う方がコストしては断然高くつく。そもそも、そのような人を全国展開しているすべての店舗に配置することは不可能である。それゆえ、単行本を買い取る場合、発売後3ヶ月以内であれば定価の5割、半年以内であれば2割などと規定に沿って機械的に処理することで、本の知識がゼロの人でも利益をあげられるような仕組みを作っている。これは、全国チェーンの食べ物屋で、料理の経験がない人が厨房に立てるのと同じである。冷凍食品を温めるだけで済むようになっているからだ。そのような店で求められるのは、すごく美味しい料理を出すことではなく、どこの店舗に行っても最低限の味が保証されていることなのだから。
本論とはずれるが、大きいダンボールはもったいないという私の意見も、冷静に考えれば、環境負荷はそれほど高くないので適切とは言えない。大きくなることによって重さが格段に変わるのであれば、輸送時のガソリンの消費量も増えるがそうではない。また、現在は古紙回収率も高まっているので、新たに木を切る必要性がそれほど高まるわけではない。そんなことを考えていて思い出したのが、最近ネットニュースで斜め読みした記事。そこでは「食べ物の廃棄は悪くない」ということが述べられていた。適量を生産して、それらすべてが人々の口に運ばれるのが理想である。廃棄するぐらいなら食うに困る人に届けられればいいのだが、都合よく廃棄する店とそのような人々をマッチングさせられるわけではない。そこでの筆者の論拠は、食品は自然に帰るから、というものであった。一方で、100円ショップなどで売られている化学製品を気軽に買って、安易に捨てるのは悪となる。筆者の考えに全面的に賛成ということではないが、少なくとも「食べ物の廃棄=悪」という自分の中の固定観念を揺さぶるには十分に価値のあるものであった。
閑話休題。ブックオフ、アマゾンの方法論の根底にあるのは「部分最適の和<全体最適」という考えである。各人の能力を生かすよりも、能力が十分でなくてもできるようにしているのだ。これだと仕事をしている人が充実感を得られづらい。『Vol.323 志高塾立ち上げにまつわる話』で触れなかったのだが、塾の名前を決める際、可能性がゼロのものが1つだけあった。それは『松蔭塾』というもの。もし、塾名をそのようにしてしまえば、私自身の能力の枠内から出ないような貧相な教室になってしまうことを恐れたのだ。志高塾にはマニュアルと呼ばれるものがほとんどない。その代わりに、研修や研修後の授業の中で学んで行ってもらえるようにしている。たとえば、我々は毎回の授業で生徒ごとに授業メモというのをつけている。ある題材に対して、生徒ができたこと、できなかったことなどをそこに具体的に記す。通常であれば、自分が添削した作文、丸付けをした読解問題に関して、その講師自身が責任を持って書き込むのだが、新人の講師に志高塾での教え方を学んでもらうために、経験のある講師が指導している横で授業メモを取ってもらうのだ。
我々にしかできないことなどないが、我々だからこそできることはある。だから、少しでも多くの子供にそれを提供したい。豊中校を開校してその思いは一気に強くなった。最近は、なぜだか「圧倒的にいい授業をしたい」と思うようになった。別に、何に対して、どこかの塾と比べてという対象があるわけではない。もちろん、この主体は私個人ではなく志高塾である。そのために私自身が具体的なアクションを起こしているわけではないのだが、とにかくふとした瞬間「圧倒的にいい授業をしたい」と思うようになったのだ。教室を増やしたいのだが、ただ増やせばいいというわけではない。その基準は「部分最適の和>全体最適」である。志高塾の最低限のやり方に沿って、各講師がそれぞれの良さを発揮する。このような条件が満たされているならば、少しでも多くの子供たちに志高塾を感じてもらいたい。