
2021.03.23Vol.488 佐藤輝明とサッカー
先に2点ご報告から。まず1点目。来週1週間、教室がお休みになりますのでブログもお休みです。2点目は、第3回「志高塾杯」に関して。過去2回参加している東京在住の大学生に声を掛けたところ、「ちなみに志高塾杯はテーマを決めて作文大会のような形式ですか?」と尋ねられたので、「テニスやん。作文の大会なんて、まともなことするはずがない」と返しておきました。完全に忘れていたみたいです。中学生の男の子が開催を熱望したことがきっかけです。以下、その詳細です。
日時;4月2日(金)15:00~17:00
場所;西宮市中央運動公園テニスコート
https://www.nishi.or.jp/access/sports/koen/chuoundo.html
2面借りていますので、小学生でテニスを始めたばかりの子でも参加可能です。メンバーが大して集まりそうにないので、テニス経験のない新中1の女の子にも来るように命じておきました。もちろん、「我こそは」と思うお母様の参加もお待ちしております。興味のある方はお気軽に私の方までご連絡ください。
教室の近くで偶然お母様に出くわし、結果的に30分程度立ち話をした。「『十人十色』での、『好きなことをやると言うが、本当にやっているのか』という先生の話が響きました」とおっしゃられたところから始まった。当の本人は「何話したっけ?」となったのだが、確かこんな内容だったはずだ。私はロボットプログラミングの教室を例に取った。教室に行ったときに、与えられたキットを組み立てるだけで「ロボットが好き」とは言えない。持ち帰ったものを分解して、自分なりに別のものに組み立てたりするのを好きというのだ、と。
そこから、サッカー漬けの毎日を送る4月で3年生になるお子様の話に移った。毎日のように複数のスクールに通わせているが、それでいいのか、と。私は、毎日サッカーをすることには賛成だが、毎日習うことには反対した。そして、オープン戦で新人初のホームラン王になった我が阪神タイガースの佐藤輝明の話を持ち出し、既にプロ野球で活躍している柳田悠岐、山川穂高の3人の共通点について述べた。佐藤輝明は近大出身なので大学ではある程度の強豪校に属していたのだが、高校は甲子園を狙える学校ではなかった。後の2人も佐藤と同様に大卒でプロの世界に入ったが、名門大学の出ではない。3人に共通するのは、力強くスケールの大きなバッティングをすることであり、きちんと指導され続けていたら、そんな振り方をしないだろう、と感じさせるようなものなのだ。
そして、話をサッカーに戻した。元Jリーガーの子供は、高校生ぐらいまではそれなりに活躍できても、その後ほとんどプロにはなれない。これは、環境を整えればある程度のところまでは行けるが、その分そこまでで留まってしまう可能性があると言うことを意味している。そのお母様も、習ったらうまくなるからつい通わせてしまう、とおっしゃっていた。確かにそうなのだが、それがその先につながるかを考えなければいけない。私の提案はこうである。教えてもらうのは週3か4ぐらいにして、後は自分で練習をすれば良い、と。今は動画をしょっちゅう見ているらしいのだが、それだけでうまくはなれない。自分で工夫することであったり、もっとやりたいとなることであったり、が大事なのだ。すると、その2日後ぐらいに昨季でJリーグを引退した中村憲剛の次のようなインタビュー記事を見つけたので、そのお母様に「盗み聞きされてたかもしれません」というコメント共にURLを送った。大事な部分だけ抜粋すると、以下のようになる。
中村 今はうまくいくための方法論を、指導者も子供もすぐに見てしまう。見れてしまうと言ったほうが正しいかも。だから考えなくても済んでしまうんです。だから試行錯誤をすることもない。試合中の解決能力が高くないし、若い人の打開力、柔軟性の乏しさを少し感じてしまう。自分の若いころは情報がなかったし、想定外のことばかり起こるから、窮地に立たされた時の力は身についていたと思います。
――今の環境で「第2の憲剛」は育ちにくい
中村 最近は子供を指導する機会も多いので育成の面白さを感じていますが、同時に危険性も感じています。「僕が言ったことがすべて」になってしまうかもしれない。
――どういう接し方がいいのか
中村「あれをやれ、これをやれ」と言わないようにしています。「こうしたほうがいいんじゃない?」とか「こういう選択肢はなかった?」といった感じで、強制はしない。それはオシムさんにやってもらったこと。子供に対し、勝てる要素を仕込めばある程度は勝てるでしょう。でも、それでは何も残らないし、最終的な勝利には結びつかない。個人戦術眼というか、個人が大事にしてほしい部分を伸ばして、将来的にどこのチームに行っても活躍できるベースをつくってあげたい。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210321-02896722-tospoweb-socc
中村憲剛も大卒でプロの世界に入っている。大学時代、スポットライトを浴びるところにいたわけではないため、Jリーグのチームからスカウトされてではなく、テスト生として練習に参加したところから道が開けた。
彼のコメントしていることと志高塾に関わる話を少々。開校当初はまだ30歳で、人生においても子育てにおいても親御様の方が断然経験豊富であった。それゆえ、どれだけ一生懸命話をしても、若造の戯言でしかなかった。それが後5年、10年とすれば逆の立場に立つことが多くなる。そのときにも、単なる一つの意見であって、親御様には大いに疑ってもらいたいと考えている。そして、もう1つ。意見作文の添削の際のことに関して。あるテーマに対して、こういう風に書けばうまくまとまるよ、という伝え方はしないように気を付けている。生徒が考えられていなかった別の角度からの見方について質問を投げかけるようにしている。「こういうことは考えたの?」と言った具合に。1つ、2つと増えた選択肢の中からどれを選ぶかは生徒の自由である。
まったく別の記事で、イチローのコメントに目が留まった。「子どものころのように野球がしたい、少しでもうまくなりたいという思いをキープすることができたら、向上し続けることができます」。お気づきになられたであろうか。活躍はできていても、好きで始めたことが毎日の練習に追われているうちに小学生の頃の早いタイミングで惰性に変わってしまった子は、戻るべき子供時代を失ってしまうのだ。
念のために断っておくと、そのお母様とは上で述べたようなスポーツのことだけではなく、好きなサッカーに打ち込みながら、勉強の基礎を築いて行くためにどのように我々が関わっていくか、という話をしていた。名門校に進むな、と言いたいのではない。野球で例えるなら「強豪校出身なのにあんな振り方してるって珍しいね」と評価してもらえるような、そんな選手になるための素地を作るのに私は少しでも貢献したい。タイトルを「未完のすすめ」にすれば良かったかな。画面の向こうから私への囁きが聞こえてくるのが分かる。「誰が、不完やねん!」。先手を打って突っ込んでおいた。
2021.03.16Vol.487 俺って貴重な存在じゃないですか?
引き付けるべく「祝、京大医学部合格」というタイトルにすれば良かったか。
中学生時代の2年半の空白期間も含めると、小4から高3まで約9年間の付き合いになる生徒の大学受験が無事に終わった。中3の秋に戻ってくる際には、人間的な部分を育てて欲しい、とお父様からお願いされた。意見作文を中心に授業を進めて行く予定であったが、読解問題があまりにもできなかったことに加え、基本的な知識が不足していたため、灘や東大寺などの過去問が収められている『最難関高校の国語』という問題集を使って、その2点の強化を図った。中学受験用の進学塾の公開テストで使われるような文章は、時間も掛けずに適当に選ばれているので「何じゃこりゃ」と出題意図がよく分からないものも少なくないが、最難関高校の国語の先生が、1年に1回、優秀な生徒とそうでない生徒をふるいにかけるために用意した文章はそれなりに読み応えがある。その後、大学受験対策用の教材に移り、最後の1年弱は京大の過去問を一緒に解いた。中学、高校受験レベルであれば、事前に文章に目を通していればどうにかなるが、大学受験になるとそうはいかないどころか、真剣に解いて、的を外すことがしばしば。もちろん、授業の前に解答を見て、我が物顔で教えることもできるが、そんなやり方でメッセージが心に届くはずがない。そういうときには、名選手名監督にあらず、という言葉を思い出して、自分を慰める。教えるという行為は、監督というよりかはコーチの役割か。自分のことを名コーチだとはまったく持って思えないが、それほど悪くはないはずである。
1年ぐらい前のことになるだろうか。志高塾の国語だけに通っていた高1の女の子の数学の成績があまりにひどいということで、夏期講習の期間だけ教えたことがあった。まず、自分で考えようとしないので、そこから始めないといけなかった。ようやくその癖が付いてきた頃に夏休みは終わり、その後、数学はまた別の個別塾に移った。その半年後ぐらいにお母様に状況を伺うと、「良いという評判の先生に付いてもらったのに、まったく成績が伸びません」と返ってきた。そりゃそうである。その塾は、最難関校の生徒も通っていて、そのような学校でも優秀な成績を取っている生徒にとって良いのだ。彼女は中堅校でも平均点を下回っていたので、テクニックを教えられたところでどうにかなるものではない。そのようなことを踏まえて、志高塾に興味を持っていただいても、求められていることに対して我々が良い先生、良い授業を提供できないと判断すれば、私は別の塾を紹介するようにしている。
話を戻す。良き伴走者であったと言いたいところなのだが、現実はそうではない。私は大量の汗をかいて、ハアハア言いながら彼と並走していたに過ぎない。授業の際のやり取りは、2人の解答と模範解答の3つを見比べ、ずれている部分に注目しながら、ああでもないこうでもないと意見を出し合っていた。時には、これは模範解答自体がおかしいんじゃないか、というようなことを話しながら。10年以上教えているにもかかわらず、国語が苦手な高校生と本気を出して対等に戦える先生なんて世の中にほぼいないはずである。時々、想像することがある。もし、塾の国語教師対象の実力テストあって、その成績がネットにでも載せられたら大変なことになるだろうな、と。少しだけ補足をしておくと、息を切らしながらも、本文で扱っているテーマに関する事柄は私の知っている限り伝えるようにはしていた。
話は変わる。『ロダンのココロ』という8コマ漫画で、生徒がタイトルを付けるのに悩んでいた。「面白いのをつけるんやで」とプレッシャーを掛けながら、私は私で考えていた。結局本人が納得の行くものを出せなかったので、私の傑作を伝えてびびらせておいた。帰り際、「俺も松蔭先生みたいなタイトル付けられるようになりたい」というので、「まあ、頑張れ」と励ましてやった。ちなみに、その子は小3の男の子である。こういうこともあった。中1の女の子が意見作文の締めの一文とやはりタイトルが思い浮かばずに苦戦していたので、「俺ならこうするな」と実力の違いを見せつけた。お母様が彼女の下の子を迎えに来た時にそのことを伝えると、「そりゃ先生、年齢が違いますから」と鼻で笑われてしまった。どうやらこういうのを世の中では大人げ無いと言うらしい。あれは小3の頃ぐらいのことであった。教育実習に来ていた若い男の先生が、ドッジボールで手を抜いて投げることに私は真剣に怒っていた。怪我をさせないように他の奴に手加減するのはいいが、俺にだけは本気でやってくれ、絶対に取って見せるから、と。不思議なことに、後にも先にも実習で来て名前を覚えているのはその先生1人である。誰にどう思われようと、子供の頃の自分だけは、今の私を結構好きでいてくれるはずである。
2021.03.09Vol.486 じゃないですかじゃないですよ
「菅首相が会見などで口にする『~じゃないでしょうか』は何を意味しているのか」というタイトルが付けられたネット記事の抜粋から始める。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20210301-00240139-hbolz-soci
さて、今回取り上げたいのは、「~じゃないでしょうか」という、菅首相が多用する言い回しである。いったいこれは、何を意味するのだろうか。上記の毎日新聞の詳報から今回の「ぶら下がり」における「~じゃないでしょうか」という言い回しを確認したところ、13回もあった。一度耳に残ると、そのあとずっと気になる言い回しだ。他に、「~じゃないですか」が2回ある。
「~じゃないでしょうか」というぼかしたような表現を首相が記者会見で多用するというのは、不自然に思える。なぜ自分が責任をもって、はっきりと言い切らないのだろうか、と。なぜ首相なのに、相手にお伺いを立てるような言い方をするのだろう、と。
次に、志高塾の中高生が取り組む意見作文用の教材である佐藤雅彦著『毎月新聞』の1話目(1話あたり1500字前後で約50話掲載されている)「じゃないですか禁止令」からも同様に。
4年程前のことになるが、会社に事務のアルバイトにきていた大学生の女の子がいた。その女の子が来てまもないある日のことであった。僕の机の上には、仕事で使うために、外国の珍しいパッケージのお菓子やプレミアムがたくさん散らばっていた。
それを見かけたその女の子は、こう言った。「これ余ってたらもらっていいですか。ほら、私たち学生って、こういうレアものに弱いじゃないですか」僕は思わず言葉につまった。「え、弱いじゃないですかって、そんなこと知らないよ……」これが、僕が体験した「じゃないですか」の始まりであった。
(中略)
学生を中心に始まったこの言葉使いは、まず若い社員に拡がった。「こういう仕事って、手間がかかるじゃないですか」一般論とせず、なぜ自分はめんどくさいと言えないのか。「こう暑いと出かけるのいやじゃないですか」なぜ、得意先に行くのが自分はイヤと言わないのか。その内に、この言い方は中高年層にまで拡がってきた。「こういう案は上に通すのが難しいじゃないですか」なぜ、自分は上に通す自信がないと言えないのか。今や、言葉使いのお手本となってほしいアナウンサーやキャスターまでもがこう言っている。「不景気って政治が悪いからっていわれるじゃないですか」ニュース番組の中で同意を求めてどうするの。
当「毎月新聞」の編集長として私は、この「じゃないですか」隆盛の状況を看過するわけにはいかず、多少の誤解を恐れず、ここにその禁止を訴えるものであります。
『毎月新聞』が出版されたのは2003年である。18年後の現在「じゃないですか」は政治のトップである首相にまで拡がっているが、おそらく10年前には既にそのようになっていたのではないだろうか。
もし、『毎月新聞』を教材に使っていなかったら、あのネット記事を見ても、私自身に特別の引っ掛かりはなかったはずだ。生徒達には「ふーん」、「自分とは関係ない」、「どうでもいい」で終わらせずに、「なぜ?」、「自分なら?」、「もっと良い方法はないだろうか?」という思考のスイッチが入るようになって欲しい。就任前後に菅首相に期待している旨のことをこのブログで述べた。官房長官時代は表情も声も冷たい印象であった。首相を守る立場から仮面を被っていたのだろうが、それを取ったらどうなったか。温かいではなく弱いになってしまった。約8年間、官房長官として安倍元首相の仕事を間近で見ていたのに、「自分なら?」という問いを立てていなかったのだ。ちょうど日本学術会議への任命拒否がニュースで取り沙汰されていた頃だろうか、あるコメンテーターが「菅さんは実務型で、安倍さんと違って大きな絵を描けない」という2人の違いを分析していた。「美しい国、日本」が良いとは思わないが、「自助、共助、公助」はいかにも説明的過ぎる。そう考えると、「最短の遠回り」ってかなりイケてる気がしてきた。
身の回りには考える材料がゴロゴロ転がっている。それをまずは手に取ってみる。それがスイッチを入れるということである。ちなみに、「じゃないですか禁止令」という文章を読んで、生徒は次のような課題に取り組む。「禁止する言葉を一つ挙げ、それを禁止する理由や、それによって、何が変わるのかなど、がよく分かるように四百字程度で作文をしなさい」この教材を通して、スイッチの入れ方を頭に、体に覚え込ませるのだ。私がよく口にすることがある。作文は書き上げて終わりではなく、書き上げたところからがスタートなのだ、と。先の例で言えば、禁止する言葉として、自分が使っていたものを挙げたのなら実際に使わないようにする。そして、何がどう変わるかを観察する。それが志高塾における意見作文だ。
今回、『毎月新聞』にある「お客さん、これ最後のひとつですよの法則」を読んで、「『お客さん、これ最後のひとつですよ』と言われることで筆者は本来買おうと思っていなかったものを買ってしまうことがあります。このように人の行動を変えさせる効果のある言葉を考え、なぜ変わるのか、それによってどのような効果があるのか、などが分かるように四百字程度で作文をしなさい。ただし、この文章にある、物の売り買いとは別の事柄について書きなさい」に取り組んだ生徒との添削の際のやり取りを中心に書く予定だった。
このブログはもう少しで500を数える。未だに、目的地と全然違うところに着地することがほとんどである。以前、どこかで陶磁器の作り方についての話を聞いた。表面に塗った釉薬(ゆうやく)がどのような模様を形作るかは焼いてみないと分からない、と。窯を開けるときのようなワクワク感をまだまだ味わえそうである。
2021.03.02Vol.485 自動運転の技術革新
HPのトップページ「お知らせ」欄でも告知させていただきましたが、高槻校の体験授業の受付を開始しました。興味を持っていただいた方は、お手数ですがトップページの「お問い合わせフォーム」に入力の上、送信をお願いいたします。
2つ目のお知らせ。これは、HPには載らない情報です。この2月から極秘プロジェクトが始動しています。名付けて「ヨガ マンツーマンレッスン」。7, 8年のお付き合いになる生徒のお母様がインストラクターの資格を取得されたお聞きし、西宮北口校にて週1回、平日の午前に1時間指導していただいております。始めたきっかけは、体が硬すぎるせいで40歳を過ぎてからスポーツをしていて怪我をすることが増えたからです。前置きが長くなりましたが、1人当たり1回1時間1,500円で、4, 5人を対象に集団レッスンをしていただけることになりました。当然のことながら、私の懐には1円も入りません。1回ごとの参加が可能です。体が硬い自信がある方は5月から、それ以外の方は9月から加わっていただけます。私が足を引っ張るせいで、ヨガ経験者には物足りないものになってしまうことは事前にお伝えしておきます。また、豊中校にも来ていただけるそうなので、場合によっては、西宮北口校と豊中校でそれぞれ隔週開催となるかもしれません。私はいずれにも参加予定です。ご興味のある方はどのような形でも構いませんので、お声掛けください。もちろん「ヨガはやりたいが、松蔭は不要」というご意見があれば、教室だけを提供して、私はその時間自宅にて、それまで教えていただいたことを思い出しながらオンリーワンレッスンを行います。汗と涙を流しながら。
そして、3つ目。4月もしくは5月のどこかの日曜日(4月25日(日)で調整中です)で、豊中で会議場をお借りして読解問題の勉強会なるものを開催します。5年ほど前に一度西宮北口にて似たようなことを行いました。中学受験の過去問を材料にして話を進めて行く予定ですが、中高生のお子様がいる方にも参考になるようなものを用意しようと考えています。西宮北口校、豊中校、生徒がいるかどうか分からない高槻校の親御様すべてが対象です。会場、実施日などが確定しましたら、内部配布の『志高く』にてお知らせさせていただきます。
お知らせはこれぐらいにして、本文へ。中学受験を経験した親御様にお話をしていただく『十人十色』は西宮で行っている。これは、西宮北口校しかなかった時代からそうなので、その流れを汲んでいるに過ぎない。各校で行えるのが理想であるが、西宮北口校、豊中校と高槻校合同と言ったように、今の4年生(新5年生)が受験を終えた頃にはせめて2か所で開催できるようにしたい。
豊中校はこの4月で5年目を迎える。最初の1, 2年は、授業は行わないものの体験授業には頻繁に出向いていたが、今はどうしても人手が足りない時のみなので年に1回ぐらいのペースになっている。元々は「伴う責任に伴うもの」というタイトルにする予定であった。志高塾で何かうまく行かないことがあった場合、それは自分の責任だと考えている。随分前になるが、「責任を取ることはできないので、持つことしかできない」というようなことをテーマとして扱ったことがある。塾の中には、約束した結果(定期テストで~点アップなど)を出せなければ授業料の返金を行うところがある。それは一種の責任の取り方である。全額返金されれば、ただで授業を受けられたことになる。しかし、それが親御様、生徒の望むものであったのかと言えばそうではない。求められていたのは結果を出すことである。時間は返ってこないのだ。反対に、条件をクリアしたからと言って、必ずしも責任を果たせたことにはならない。もっと、伸ばしてあげることができたかもしれないからだ。生徒に質の高い授業を行うことに対して我々は責任を負っている。もちろん、人間なので時には手を抜いてしまうことがある。そうであれば、次にそれを取り返すしかない。我々がその姿勢を維持できれば、子供達は成長という形で応えてくれる。「責任を負う」となると、いかにも辛そうな感じがするがそうではない。それ以上の喜び、やりがいがあって、初めて積極的に責任を持とうとなるのだ。それが、私が豊中校のことに極力関わらない理由の1つである。そうすることで、豊中校の講師たちが、自分たちの力でできた、という達成感を得られるのだ。小休止ではなく、このまま永久止になりかねない「『十人十色』番外編」。我が子の受験とできる限り距離を置いたのも、私が手取り足取り教えるとそれなりの結果が得られたとしても長男が満足感を得られないかもしれない、と考えてのことである。
しかし、ここでもう1つの問題が発生する。距離を置けば良いというものではないからだ。これまた以前に「任せると放る」の違いについて述べたことがある。放るというのは投げ出しに近い。何が起こっているかを把握しつつ、口出し、手出しをし過ぎないように我慢するのが任せるということである。見守ると言い換えてもいいかもしれない。管理していた状態から任せられる状態に移行するには、段階を踏まなければいけない。それは、自動運転における技術革新に似ている。高速道路で、前の車を一定速度で追随することから始め、信号のある一般道でもそれが可能になる。すると、今度は発進と停止ができるようにならなければいけない。ただ、いずれの場合も完全に自動で行われるわけではないので、いつでもハンドルを握れる状況を保っていなければならない。そして、完全に自動化に向かう。トヨタは最近、静岡にある自社工場の跡地を利用して「ウーブン・シティ」と呼ばれる実験都市の開発を行うことを発表した。そこでは、自動運転の安全性の実証実験も行われる。子供が責任を持てるようになることを目標として、その環境づくりをする。それが親の役割であり、我々のような子供の教育に携わるものの責務であると、私は考える。
豊中校に関しては、放るではなく任せてきた。そのスタンスは今後も変わらない。ただ、その任せた状態を保ちつつ、もう少し私が関われる方法を模索しようという一つの試みが勉強会である。一人でも多くの親御様にお会いできることを楽しみにしております。