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2020.09.29Vol.464 三人三同

 数年ぶりにHP制作をお願いしている森野さんに連絡をした。前回が豊中校の開校のタイミングだったということは、そろそろ次の、ということなのかもしれない。
 2007年4月に開校する半年ほど前の2006年秋。一泊二日だか二泊三日だかで東京から一時帰阪した。志高塾の準備をするために。その目的は2つ。1つは新聞折込ちらしの打ち合わせ。もう1つが物件探し。今となってはどちらが先であったかは忘れてしまったのだが、確か打ち合わせが先であったはずだ。だから、物件も決まっていない状態で、ただただ私が何をやりたいのか、ということだけを伝えて終わった気がする。なぜ泊まっていた実家からも西宮北口からも遠い天満にあるその会社を選んだのか、まったく思い出せない。偶然私の担当になった彼との付き合いは今も続いている。ロゴマークは初め他の会社でデザインしてもらったものを使っていたのだがそこまで気に入っていなかったこともあり、お金が無くて私が手作りしていた不細工なHPを刷新するタイミングでそれもお願いして今のものになった。このことは以前に書いたが、森野さんが絡むことで相見積もりを取ったことは一度もない。他に頼む気はさらさらないし、それをちらつかせて価格交渉をしたいとも思わないからだ。ただ、一度だけ少し怒らせたことがある。相見積もりは取ってはいないが、私が必要以上に値下げを要求してしまったからだ。初めからちゃんと適切な価格を提示しています、という真摯な姿勢を踏みにじるような行為だったのだろう。これからもあいさつ程度で「もう少し安くなりませんかね」と投げかけることはあるのだろうが、最初の見積書通りに払う腹積もりである。懐が最低限のぬくもりを持っていて腹を壊していなければ、という条件付きではあるが。HPの中の私の言葉に嘘偽りはないのだが、身の丈以上のものを作ってもらっているのでそれに見合うだけの塾にしなければ、という刺激ももらえている。表面的におしゃれなデザインをしてくれるところは探せばそれなりにあるだろう。でも、提案されたものがこちらの期待をはるかに超える、というのは中々ない。2013年に独立をされて順調に実績を伸ばされている。嬉しいことである。
https://www.studio-wharf.jp/
 幼稚園と小学校で会長を経験したので、その前後で都合4人と引き継ぎを行ったことになる。幼稚園の私の後任のうなぎ屋の甚田さんとはものの数分で意気投合。そんな短い間でちゃんとした話なんてできないのでフィーリング以外の何ものでもない。園長先生の指名制なので、もし甚田さんでなければ、えっ、俺ってこの人と似たような感じに映ってるの、って少しへこんだかもしれない。別れた彼女が次に選んだ人に納得が行かないようなものか。圧倒的に自分より優れていれば敗北感に打ちひしがれるのだろうが、その逆の方がショックは大きい気もする。実際のところ誰一人として次の人を知らないので空想の話である。うなぎ屋には3か月に1度ぐらい行き、おいしいものを食べさせてもらって、良い話も聞かせてもらう。それとは別に半年に1回ぐらいのペースで、2人でご飯を食べに行く。先週の休みの期間中もご一緒させてもらった。その道のプロなのでいつもお店はお任せしている。大抵はカウンターのお店で、味が良いのはもちろんのこと、その料理人の仕事に対する姿勢が伝わって来る。そしてお腹も心も満たされて家路に着く。強いとは違う、優しい刺激をいつももらっている気がする。
http://www.unagi-jinta.com/top/index.html
 そして、最後が花屋のおじさん。失礼ながら名前を存じ上げない。そして、さらに失礼なことを言わせてもらえれば、顔の系統的には私に似ているので花屋さんぽく無い。私が花を1つ決めて、それに合うものをチョイスしていただき、どういう風に生ければいいのかのアドバイスまでもらう。少し前にお供え物のお花をお願いしたのだが、それが立派で美しくて。お支払いした金額の倍ぐらいの価値はあった。おかげで、こんな豪華なものを、と逆に気を遣わせることになった。今度名前教えてもらおうかな。
https://www.suita-flower.com/index.html
 3人には共通点がある。まず、お金儲けがうまくなさそうなこと。実際に儲かっているかどうかはこの場合どうでも良くて、間違いなく言えることはお金儲けが先に無いということ。良い製品が売れるのではなく売れたのが良い製品だと言われる。それに当てはめると、稼げていなければ良い仕事ではない、となるのかもしれないが、良い悪いではなく私は彼らの仕事が好きだ。
 2つ目が話をしていて楽しいこと。つまらない提案をする人は少なくない。随分前になるが、採用関連の原稿を作成するために、私が元になる文章をお渡ししたことがあった。後日、担当者から「元の文章が硬かったので、文末に『ね』や『よ』などを付けて、柔らかい雰囲気を出してみました。これで応募は増えるはずです」と連絡をいただいた。そんなものは仕事ではない。「志高塾らしさを生かしながら、かつ興味を持った人がエントリーしやすいように~しました」と言うのであれば分かる。もちろん、「~」は、なるほど、と思えるものでなければならない。数を増やすことではなく、良い人に出会うことが目的なのだ。森野さんからの提案はいつもワクワクする。他社にお願いした最初のロゴは3つぐらいの中から消去法で選んだ。でも、森野さんからのものは、「あれも良いけどこっちの方がもっと良い」というような選択の仕方をした。あのHPでなければ志高塾を選ばれなかった親御様は10%ぐらいはおられる気がする。逆に10%は「ここは合わない」となって他を選ばれている気もする。0のままなのと、+10-10=0はまったく意味が異なる。多い少ないではなく中身の問題なのだ。おじさんと一緒に花を選ぶのも楽しい。「あれはどうですか?」という私の問いかけをそのまま受け入れるだけではなく、「あれだと本数はこれぐらいにして、それにこれを加えれば」といったような提案をしてくださる。もっと買おうとしても、「これで十分ですよ」と余計なものを売りつけようとすることは絶対にない。そして、満足して持ち帰った花が長持ちする。他の花屋だと「1週間は持ちます」と聞いていたのに、毎日水を変えていたにも関わらず2, 3日でだめになってしまうことが少なくない。
 最後が、ふと瞬間に見せる笑顔が良いこと。それは営業スマイルとはまったく次元の異なるものである。この年になってもカメラに向かってうまく笑えないのだから、そのことに関してはあきらめているのだが、彼らのように内からにじみ出る良い笑顔ができるような人にはなりたい。

2020.09.15Vol.463 伝家の宝刀

 切れ味を確認するためにはたまには使ってあげないと、ということで抜いちゃいます。2年ぶりぐらいのような気がする。その前に、来週は教室がお休みになるのに伴いブログもお休みです。
 最近新たに加わった大学1回生のアルバイト講師の研修中のレポートを紹介する。一つ目は、「志高塾の教え方」というテーマに関するもの。これに関しては最初の2段落だけである。3段落目からは具体的な教材の教え方に移行しているからだ。

 志高塾における、授業全体と各教材の教え方、また教えていくにあたって大切にしなければならない事柄をまとめた。
まず、授業全般について述べる。授業中、教師は手を挙げた生徒の元へ行き、その生徒が取り組んでいる教材の内容確認や添削を行う。その際、一方的に教師が話す時間ではなく、生徒が考える時間にする。具体的に言うと、教師は生徒に質問を投げかけ、その返答を待つ。教師自身の答えがまとまらず、考える時間が必要な場合も、教師が考えていることを生徒に伝え、生徒も一緒に考えるようにする。生徒が考える間は口出しせず、生徒が発言するまで教師はその様子を見守る。ただし、どうしても答えが出ない場合や集中力が切れて考えることを放棄している場合は声をかけ、ヒントを出す。または何に悩んでいるのかを尋ねる。ヒントを出す際も質問形式を用いる。教師が生徒に質問する時、はじめは抽象的な質問をし、生徒が自ら思考する力を高める。その後、何度かやり取りを重ねていくにつれ、大きく解釈が異なっていた場合や難しい問題だった場合は二択に絞って具体的に質問したり、穴埋め形式で質問したりする。教師は常に生徒の発言を大切にし、その発言を活かしながら良い作文を作れるようにサポートすることに徹する。解釈が間違っていた場合も、単に教師がその間違いを指摘するのではなく、生徒がその間違いに自ら気付き、納得できるよう指導する。このことは、教師のサポート無しで生徒がより良い作文を作成出来るように成長することに繋がる。授業中、教師が生徒と対話する時間とそうでない時間の両方を大切にしなければならない。

 20コマの研修をすべて終えた後に出してもらったものなのだが、我々がどのように生徒と関わっていくかというのをきちんと理解していることが読み取れる。
そして、もう1つが「志高塾に通う生徒に将来どのような人材になってほしいか」。これは全文掲載する。なお、私の手は一切入っていない。

 私は生徒たちが将来自分で考える力を持つ大人になって欲しい。こう考える理由は主に二つある。
 まず一つ目は、与えられることをこなすだけでは生きていけなくなるからである。高校生までは、主に学校で、すべきことを与えられてそれに取り組むことが多い。そして指示通り完璧に取り組んだ者は褒められ、怠った者は注意される。当然ながら、この過程は重要である。これによって、多様な知識を身に着けることが出来るからだ。また、学習の仕方や規則を守る大切さを学べる。さらに自分だけでは知り得なかった世界が見えてくることもある。しかし、他者に与えられることには限界がある。他者以上のものが生まれない。それに、大人になると、与える立場の人間がいなくなる。そして様々な情報が溢れている世の中で、いかに自分で取捨選択しながら生きていくかが重要になってくる。そのためには自分で物事を考え、判断する力が必要になってくる。
 二つ目は、一つ目の理由と被るところがあるが、社会の物事が非常に複雑な仕組みでできているからである。学校教育では、「何かをしたら何かになる」といった単純な構造が機能している部分がある。例えば、「〇単位取れば学校を卒業できる」「教科書の〇ページを暗記すればテストに合格する」といったように、結果が予想できる、得られるものが確定している仕組みが成り立っている場合が多い。しかし、普通に生活していても感じるように、世の中はこのような単純な仕組みばかりで成り立っているわけではない。大人になり、一歩社会に出ると、物事の複雑さを実感することとなる。実際は結果を保証してくれるものばかりではないのだ。例を挙げると、「結婚したら幸せになる」「貧乏になると不幸になる」とは限らない。「幸せになる」ことや「不幸になる」ことを決定づける条件など存在しないのである。このような状況のもとで正しい判断をし、思うような結果を得ようとすることは難しい。いかに正しい道へ進み、他者と協調するかが重要になってくる。その際、自ら考え、行動する力が必要になってくるのではないかと考える。
 以上のような理由から、自分で考えることが大人になるにあたって必要になると考えているが、ただ考える力を身につけるだけでは不十分である。その出来上がった自分の考えを活かすために、それを適確に他者に伝える力が必要になるのではないかと思う。つまり、私は生徒たちが言葉を通して自分の意見を述べることができる人間にもなって欲しい。そのためには文章力、語彙力が必須である。近年、スマートフォンが普及するにつれ、言葉を使わずに動画や写真で情報を共有する機会が増えた。さらにメールのやり取りにおいても、それがあまりにも身近な存在になったため、簡素な言葉を使うことが多い。これらの状況は、良い面も含んでいるが、この状況に慣れすぎると、社会で働くときに言葉を適切に使うことができなくなる。どんなに優れたアイデアを持っていても、それを正しく他者に伝えられなければ宝の持ち腐れである。
 また、自分で考えるには外部からの意見を正しく理解する力も必要となる。独りよがりな考え方では他者に受け入れてもらえない。他者の意見を正しく読み取る必要がある。この力はまさに志高塾で、漫画や文章の読解を通して養われている力なのではないかと思う。
志高塾に通う生徒が、塾の授業で、多くの文章を読み、自ら考え、読む人が分かりやすいような文章を作成する行為を通して、将来役に立つ力、必要となる力を身に着けて欲しいと思う。

 内容的にはありがちなものになっている。そのことは本人にも伝えた。ただ、この文章が表面的でなく、説得力を有しているのは自分が考えていることを言葉にしているからだ。
 先週だけで3人の面接を行った。何回か前に述べたように、講師は充足しているので良い人がいれば採用する、というのが現状だ。結果、全員仲間に加わってもらうことになった。良い人に出会えることは幸せである。各人の力が活きるような、また、メンバー同士が良い化学反応を起こせるような環境を整えることが、私の大きな大きな役割である。

2020.09.08Vol.462 コロナから見る教育

 2か月ぐらい前から、どこかのタイミングで「4月入学 vs 9月入学」というテーマで書こうと思っていたのだが、大して膨らまないことが予想できたこともありそのままにしていた。どちらを支持するのか。
 「Vol.442 9月入学、今がその時」で、「年明け早々の入試は大変危険だ。その時点でワクチンができている可能性は非常に低いからだ。春であれば窓を開け放してのテストも可能であるが、真冬にさすがにそれはできない。ちょうど今ぐらいの時期、4, 5月であればインフルエンザもある程度収まっているため、それもプラス材料として働く。」と述べた。実際、冬を迎えたオーストラリアでは感染者が急増している。入試の中でも一番厄介なのは共通テスト(以前のセンター入試)である。たとえば、私立の大学入試であれば、学部ごとで試験日をずらすなどの対応をすれば密を防げるが、約50万人が同じテストを受ける共通テストでそれはできない。理論上可能ではあるが、試験会場などを分散させると試験監督など関わる人が大幅に増えることによって間違いなくいろいろな問題が起こる。日本のプロ野球やJリーグではチームに感染者が出たために何試合かが中止になった。その試合は延期して行われるので最低限の公平性は担保される。追試験はあるが、本試験との問題のレベルを合わせるというのは至難の業である。正確には不可能だ。となると、追試験を受けた人が有利にならないようにしよう、という力が働くので、そちらの問題は難しくなる。私は旧学習指導要領の最後の学年であったため、浪人生の頃のセンター試験では改訂後の現役生といくつかの教科において平均点で確か10~20点ぐらいの差がついた。例外なく我々の方が下回っていた。救済措置(浪人生の点数を一律で加点する)があるかもしれない、ということが新聞記事などでも取り上げられたほどである。あくまでもメインは現役生なので、言ってみれば彼らが本試験、我々が追試験のようなものなのだ。浪人した自分が悪いので、別にこのことの不満はなかった。若干であっても確実に差を付けようとなると、結果はその程度では済まない。その他、選手は体調が悪いことを申告することがチームに迷惑を掛けないことにつながるためPCR検査を受けようというインセンティブが働くが、受験生は隠そうという方に向かう。「インセンティブが働く」としたが、この前、中学生に「来週、この作文をブラッシュアップしよう」と伝えると、「何か小池都知事みたいやな」と言うから、「あほか。一緒にするな。俺は『ブラッシュアップ』という言葉を教えるために意図的に使っとんねん」と即座に否定した。その時に「横文字を否定されまくったからやろな、この前『人の流れ、いわゆる人流(じんりゅう)』と意味も無く熟語に言い換えてたわ」と付け足した。
 1月の共通テストを3か月ずらした方が良いというのが私の案なので、入学時期もその分スライドさせる。よって、「どちらを支持するのか」の答えは「7月入学」となる。中学入試であれば同じテストを受けるのが数百人、公立の高校入試だと大阪の場合、募集人員が約4万人、倍率を高めに見積もって1.5倍とすると受験生は6万人である。例年は同じテストだが、今年度に限っては偏差値順にA, B, Cなどの3種類に分けて日程をずらせば各2万人ぐらいに押さえ込める。それにより試験会場を分散することも可能になる。この場合は上の共通テストと違い同じ学校を受験する生徒は同じテストを受けることになるのでまったく持って公平である。中学、高校入試はある程度の対策が講じられるが、共通テストはそれができないのでそれに合わせて中学、高校も7月入学にする。これは、今回の台風10号で話題になっていた「特別警報」に通ずるところがある。結局発令はされなかったが、空振りになっても良いのだ。後から振り返って、「1月に問題なくできたやん」となってもそれは大きな問題にはならない。試合は当日の判断で中止にできるが、入試は1か月前に延期を通達されても精神的にかなりしんどい。こうやって書きながらも予定通り1月に実施されると思っている。ただ、この半年間バタバタしっぱなしであること、先が見えないことを考慮するともう少し長い目で問題解決に当たるべきだ。実際、今年は例年の追試験に加えて、特例追試験というのが用意されている。そのことからも文科省が1月の受験は危険だと感じていることが読み取れる。しかもその決定を下したのは6月なのだ。それから3か月、国内においても海外を眺めても当初の想定より明らかに下振れしている。これは、塾の成績が悪くなって来た時の対応と似ている。クラスが下がったからと言って、原因も考えずに闇雲に勉強量を増やせば瞬間的に元のクラスに戻れるかもしれないが、その反動で1つでは済まずに2つ、3つと落ちる可能性がある。頑張った分、そこからのもうひと踏ん張りはかなりきつい。
 大手塾に通うある5年生の男の子は、夏期講習の直前で初めて2番目のクラスになった。彼の親御様はいつも夫婦で面談に来られる。4年生の時も復習をするだけなので意味がないとご両親の判断で塾の夏期講習にも参加させないなど、周りがどうかはさておきご自分たちの感覚を大事にされる。親御様との関わり方にはいろいろなパターンがあるのだが、このご両親の場合は私が提案するのではなく「私もその考えに賛成です」という形で、そのようなやり方で過去にうまく行った例などをお伝えする。もちろん、それで失敗したことがあればそれもお伝えするが、良いやり方をすれば大抵はうまく行くものなのだ。クラスが下がった原因は国語なのだが、小手先の対策ではなく1年半先の受験を見据えて(正確にはもっと長いスパンで考えておられる)全然できていなかった読書の時間を取ること、また、授業で扱っている読解問題の文章のレベルについていけていないので数をこなすことよりも、じっくり解いて1つずつ細かく説明をして、そこで述べられていることを知識として吸収できるようなやり方で進めている。時間に余裕を持たせることで、地に足のついた手が打てるのだ。彼は、親御様がぶれないので本人も自分のやるべきことに集中できている。親子共に目の前の復習テストや公開テストも気に掛けてはいるのだろうが、それ以上に基礎作りの大切さを理解しているのだ。
 本当は、まったく別のことを中心に据えるはずだったのだが、意外や意外「4月入学 vs 9月入学」の話でここまで来た。それに伴いタイトルも変えるべきなのだが、それをすると冒頭の文章自体に手を入れる必要が生じるのであえてそのままで。あわてず、ぶれずに、初志貫徹。

2020.09.01Vol.461 2つの目

 「戦国三英傑の中で誰が好きか?」と問われれば、若い頃であれば間違いなく織田信長か豊臣秀吉の2択であった。それは、徳川家康を消去して残された選択肢である。「徳川家康ってかっこ良くない」というのは変わらないが、この5年、10年で「徳川家康ってすごいな」となったので、今ならその日の気分によっては「家康」と答える日もあるかもしれない。関ヶ原の戦いは60歳目前であり、それまでいつ来るか分からないチャンスをじっと待ち続けていたのだ。菅官房長官が総裁選に出馬表明というニュースに触れて「なんか徳川家康っぽい」と感じたので、冒頭にこの話題を持ってきた。調べていないから分からないが、最高齢の初出馬ではなかろうか。どこかたぬきにも似ているような。
 こんな風貌なので私が「しゅんちゃん」と呼ばれているのに違和感を覚える人は少なくないのだろうが、誰がどう思おうが、私の小さい頃を知っている人にはとっては紛れもなく「しゅんちゃん」なのだ。西宮で生まれ、年少の1年間だけ夙川の幼稚園に通い、その後年中から1年生までの3年間を千葉の成田で過ごして、大阪の箕面に帰って来た。通園したのは1年間だけなのだが、兄に付いて毎日片道30分以上かけて歩いて行っていたため、入園前からかわいがってもらっていたらしい。私の担任だった先生が最近亡くなられて、偲ぶ会が行われるとのことで、ずっと年賀状のやり取りをしていた母の元にもその案内が来た。その件で、母が50代の娘さんと電話でやり取りした際に、その先生が「しゅんちゃん、しゅんちゃん」とよく話していたということを教えてくださった、とのこと。こんな容貌なので誰も信じないかもしれないが、当時、何だかよく分からないファッションショーに私は年少組の代表で出た。ランウェイを颯爽と歩くこともなく、母と離れて寂しかった私は控室で泣きじゃくったので、ロビンフッドの恰好をして目を腫らしながら舞台上で立ち尽くしている写真だけが残っている。その娘さんはその際にお手伝いに来られていたため、一度だけ私を見たことがあるとのこと。だらだらと説明をしたが、母が西宮で塾をしていることを伝えると、HPをご覧になられて「あのしゅんちゃんが立派になって」ということになったらしい。立派かどうかはさておき、そういう風に誰かがどこかで見てくれているって、すごく大事なことなのだと思う。エネルギーになるから。志高塾では1人1人の生徒にスポットライトをきちんと当ててあげたい。煌々と照らし続ける必要などない。「誰かが自分を照らしてくれている」とふとしたタイミングで実感できることが重要なのだ。
 先日、15年ぶりぐらいに野球をした。三男がこれまでのサッカーに加えて野球チームに入ったからだ。妻から見に行ってあげたら、と言われて、小学校時代に使っていたグローブを持参して意気揚々と練習に参加した。挨拶を済ませて、全体練習とは別に、グラウンドの端の方で行っていたノックのお手伝い、分かりやすく言えば球拾いをして、ウォーミングアップ完了。その後、チームのOBである20歳前後の男の子たちだけでやっていた楽しそうな守備練習に混ぜてもらい15分ぐらい休むことなく走って取って投げて、を繰り返した。そして、三男の練習を全く見ることもなく私は一人満足しながら家路に着いた。その数日後、長男と二男のサッカーを見に行った妻が、2人とも時間前に着いて、周りの子達がシュート練習をしているにも関わらずその輪に加わっていなかったので帰宅後、「お父さんみたいにもっと図々しく入っていったら」と話していた。2人は自分が下手なので、うまい子達のところに入っていくことに気後れしていたのだ。それを聞いて、大学生の頃に1人でスペイン旅行をしたときのことを思い出した。現地の子達がバスケットをしていたので仲間に入れてもらった。そのときも「一緒にやりたい」と思ったところから声を掛けるまでにそれなりの逡巡があった。私の中の1つの基準は人に迷惑をかけるか否かであり、かけないのであれば自分のやりたいことをやろう、となる。だからと言って、能天気なわけではないのでいつも葛藤はある。昔はガキ大将として、今は先生や親として、「ほんまはこうしたいけど(こうせなアカンと言うのは分かってるけど)そうするには勇気がいるし、でも、自分の心の中を誰かに見られたら、日頃偉そうにしてんのにそんなちっちゃなこと考えてるんや、ださっ、ってなるようなぁ」と同じところを何度も行ったり来たりして、ようやく「よしっ」となる。もちろん、自分の中でこっそりなかったことにすることもままある。 
 親御様が「分からなければ聞けばいいのに、質問をせずにそのまま帰って来ちゃうんですよ。もったいない」と漏らすことがある。親としてその気持ちはよく分かる。でも、聞くってそんな簡単なことではなくそれなりに勇気がいるのだ。だからこそ、志高塾をその練習をする場にしてあげたい。聞きやすい状況を作り、それまで聞けなかったことを聞けたら「よく聞いたやん」と褒めてあげる。逆に、聞かずにそのままにしたことがあったら「俺この前、分からんことがあったら聞くように言ったのに何も聞かんかったよな。それで分からへんってどういうことやねん」と怒ってあげないといけない。そういうことを繰り返しながら、聞くことが自分にとってプラスになるという経験を積ませてあげることが必要なのだ。
 誰かが見てくれていること、誰かに見られているかもしれないこと、それらは優しく、強く背中を押してくれる。だから、私は生徒にもそれを押し売りするのだ。

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