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2020.04.28Vol.444 オンライン授業。準備完了!ほぼ

 来週は教室が1週間休みなのに伴いブログもお休みです。教室全体としては閉めますが、希望者のみ5月3日(日)~6日(水)の期間、追加の授業を行う予定です。また、既存の生徒を対象にオンライン授業を試験的に開始することになりました。いずれもご興味がある方はお問い合わせください。
 あるお母様から、「当分通えそうにないので、オンライン授業をする予定はありませんか」と尋ねられた。生徒が海外に引っ越したのをきっかけに3年間ほどオンライン授業を行った経験がある。そのときは、書いたものをPDFでやり取りしていたのだが、そうするとスキャンして送るという時間がどうしても発生してしまう。このほど、その問題解決の目途が立った。
 方法論に関して具体的に説明する。パソコンを目の前に置き、それとは別に書画カメラ(スマホで代用可能)で手元を写す。それにより取り組みの様子(表情、姿勢など)と書いている内容を同時に把握することが可能になる。我々の方でもその2つを用意し、添削の際には「説明が足りないので10行目の5マス目に言葉を挿入して」、「6行目にある~という表現を二重線で消して、別のものに置き換えて」などと指示することに加え、我々の手元にある原稿用紙(教室で使っているものに、縦と横に番号を追加したもの)に赤で実際に書き込んで見せて、「8行目の3マス目のところに、これと同じことを記入して」と伝えることができる。
 データのやり取りの時間をいかに短くするかが克服すべき課題だと捉えていたのだが、私気づいちゃったんです。やり取り自体をやめちゃえばいいんだ、ということに。途中「グーグルドキュメント」というアプリのことが頭をよぎった。それを使えば、たとえばワードのファイルをメールで送って、それを修正して送り直す、ということをせずに、複数の人が同時にクラウド上のファイルをいじることができる。ただ、これは我々がやろうとしているアナログ的なものには使えない。1週間ぐらい前に上の方法を思いついた。社員達に具体的に伝えた上で、半年以内に海外在住の子供向けに始められるようにその準備をして欲しい、とお願いしていた。親御様のご友人で海外在住の方から、帰国した際に短期集中で見てもらいないか、という話を1年ほど前にいただいていたので、まずはその方に紹介することを想定していた。
 自粛要請に伴い、オンライン授業に切り替えるところは少なくなかったのだが、当時その考えは皆無であった。質の下がったものを同じ料金で売りつける、ということがとにかく嫌だったからだ。私にとって、それは、国産の野菜しか買わなかった人に「今は中国産しか手に入らないのでそれで我慢してください。こちらも大変なので値下げはしません」というようなことと同じなのだ。親御様の中には、休むことを申し訳なく思っておられる方もいた。それに対して、我々に気など遣わずに気楽に休んで欲しいな、というのがあった。それぞれにそれぞれの事情があるのだ。そして、改めて「もっともっとやめやすい塾にしよう」という思いを強くした。それは志高塾を経営する上で、目指していることの1つである。「やめます」と伝えたらすごく引き留められそうだから、ではなく、これまで何年か続けてきて効果はあまりないけど、受験までもう少しだからここで環境を変えるよりはそのままの方がましか、というようなものでもなく、通いたいから通ってもらえる塾でありたい。そう思っていただけないようであれば塾としての価値はない。そんな私が、このタイミングでオンライン授業をすることにしたのは、それなりの方法が思いついたことと、親御様がそれを望まれたことの2つが理由である。また、一対一で行うので通常の授業より細かい対応も可能になるかもしれない。
 最後に、コロナについて新たに考えたことを発表して終わりとする。まず、年度初めを9月にするべきだ、というのは以前に伝えた通りである。小中高に関しては、公立私立を問わず6月から授業を開始する。ただし、始業時間を10時半ぐらいにして、午前2時間、午後2時間とする。冬休みまではそれを継続する。それにより、公共交通機関を使う生徒はラッシュを避けることができ、給食が貴重な栄養源になっている生徒(公立の小中の生徒)の健康も最低限保つことが可能になる。また、副教科の授業自体は削らざるを得ないであろう。それらはすべて課題提出という形に切り替え(体育はどうしようもないが)、副教科の先生は、授業が無くなった分、主要教科のできる限りのサポート(丸付けなど)に回る。副教科は意味がないと言いたいわけではなく、時間に制限が掛かる以上、そうならざるを得ない。6月から夏休み前までは、9月からフルに授業をできないため、その分を前倒しで行う期間という位置づけである。
 通常の状態に戻ってからも週1日は、学校に通わずすべてオンラインで授業を行うなどに切り替えた方がいい。そのようにしておけば、今後同じようなことが起こったときの移行がスムーズになる。私が、半年後にオンライン授業を始めようと思ったのも、それと似たような目的からである。もし、質を落とさずに授業を行えることが分かれば、受験直前にインフルエンザになり、体は元気だが数日間の在宅を余儀なくされている生徒に授業を行うことも可能になる。
 今回、元々は「10年以内に誰か行ってくれないかな、ミネルバ大学」というようなタイトルで文章を書くはずであった。山本秀樹著『世界のエリートが今一番入りたい大学 ミネルバ』はかなり面白い。各教室用に2冊ずつ購入した。1冊は社員を含め講師たちに読んで欲しいから。もう1冊は親御様や高校生に貸し出すためのもの。興味を持った方はお声掛けください。

2020.04.21Vol.443 と言いながら、結果的に

 二男の快進撃は続く。数日前、「パパ、まぶたが重たくなってきたから寝るね。おやすみ」と声を掛けてきた。「これまでだったら『眠たくなったから』だったのにすごいな。たくさん本読んでるからだよ。お父さんは嬉しい。おやすみ」と返した。
 最近「考える材料がそこかしこにある」という話をよくしている。日々、いろいろな人が好き勝手に発言しているおかげで、私の頭は活性化している。私はこのように文章を通して考えたことを発信しているのだが、誰かを批判するためでもなく、誰かに私の考えを押し付けるのでもなく、単に考えたことを披露しているに過ぎない。このようにまとめる作業を繰り返すことで、意見作文の添削の際に的確な指摘ができたり、適切な具体例を挙げられたりするようになる。
 立憲民主党の議員が、条件付きの30万円から一律国民一人当たり10万円の給付に政府が方針転換したことに対して、「朝令暮改」だと非難していた。辞書に「朝に命令を出して夕方それを変えること。法令が出てもすぐあとから改められて、あてにならないこと。」とあるように、否定的な意味の言葉なのだが、ビジネスの世界では必ずしもそうではない。意思決定のスピードを評価されることも少なくない。この件に関しては、初めに出した30万円の案が悪手だったこと、改めるまでに時間がかかったことの2点が問題である、というのが私の考えである。3月中旬に、孫正義は「100万人にPCR無償提供」とツイートし、炎上した。すぐに謝罪し、先日「月3億枚のマスクを仕入れ値で提供する」と発表した。ポジティブな朝令暮改の好例である。この一件から学ぶことが2つある。1つ目は、あれだけの経営者でも見当違いの提案をすることがあるということ。「孫正義でもそうやから」と自らの失敗にも前向きになれる。そして、もう1つは意思決定の迅速さである。彼は元々、100%になってから動き出してはだめで、成功する確率が70%ぐらいの時点で行動に移さないといけない、と語っている。おそらくPCR検査のキット調達の目処が立った時点で公表したものの、どのように検査し、それによってどのようなことが起こるかについてはその後に考えようとしていたはずなのだ。1つのことがうまく行かなかったから終わり、ではなく、次の一手を打った。去年話題になった、ソフトバンクグループがシェアオフィスを運営するアメリカの会社“WeWork”の買収で大きな損失を生んだ仕組みを理解するのは容易ではないが、PCR検査からマスクに至る一連の流れは中学生でも十分に理解できる。
 少し自分のことを振り返ってみたい。完全に当てがはずれたことが2つある。1つ目は、もっと早くに終息の見込みが立つ、と予想していたこと。そして、もう1つが、都知事が任期切れになるためオリンピックの延期を避けようとしている、と考えていたこと。後者に関しては、自民党が対抗馬を立てられそうにない、ということを知って驚いた。しかも、それは、コロナ対策で都知事が再評価される前の話である。よって、現時点で再選間違いなしと言うことになる。豊洲移転を「安全だが安心ではない」と意味不明な理由で延期させ、その間の豊洲市場の維持費や不要な追加工事費で70億はかかったと言われている。23区内の飲食店の数は7万弱である。70億あれば、すべての飲食店に100万円払うことが可能なのだ。「1か月、飲食店での感染を防ぐために協力お願いします」とできるのだ。
 失敗には寛容な方だと自分では思っている。それは人のためではなく、「失敗しても許してね」という自己防衛本能が働いているだけのことである。小さな失敗を責めると、責められた方も仕返しをしようと粗探しをし始めて、結果的に双方が無駄なエネルギーを割くことになる。1回だけで終わればいいが、大抵はその後何回も繰り返される。失敗をしてもそれを必死に取り返そうとすれば、失敗しなかった場合より良い結果になることは少なくない、と考えている。ただ、中には許されない致命的なものもある。豊洲移転はその1つである。オリンピック開催の可能性を最後の最後まで探り続けたせいでコロナ対策も遅れた。3月13日の時点でも「中止という選択肢は全くない」と語っていたのだ。潔く過ちを認めることもトップとして大事なことなのではないだろうか。
 「誰かを批判するためでもなく」と言いながら、結果的に私は都知事を非難してしまいました。申し訳ございませんでした。いや、でも、私はただ事実を述べただけで何も悪くはなく、、、、

2020.04.14Vol.442 9月入学、今がその時

 麻生太郎が誤読した「未曾有」。「みぞうゆう」の方が、一大事な感じが出ている気がする。
 多くの人にとって感染の危険性が高いのは満員電車(バス)とエレベータである。役所、金融関係など個人情報を扱う場合、事務仕事であっても出て行かざるを得ない。リモートワークのことだけが強調されているが、一般的な9時から2時間ずらして7時と11時といったような思い切った時差出勤をもっと訴えかければいいのに。
 電車通学の学生にとって、授業が通常通り始まれば満員電車は避けようがない。そう考えると、GW明けすぐの再開は現実的ではない。地元の子供が通う公立の学校は別の問題を抱えている。兄弟姉妹が多く通っているからだ。たとえば、我が子の誰か1人が罹患すれば、他の兄弟2人は濃厚接触者になり、そのクラス、学年もということになってしまう。だましだましで開いては閉じて、を繰り返すのであれば、思い切った判断が必要になる。2012年に東大の総長が掲げた9月入学、正に今がその時である。4月から8月まで5か月の空白期間は生まれるが、その分をそのまま後ろに倒せば最もスムーズに学校生活を始められる。暑くて勉強に向かない、というのも長い休みが設けられている理由の1つなので遅れを取り戻すべく夏休みに学校に通うことは好ましくない。
 その他にも9月入学のメリットはある。年明け早々の入試は大変危険だからだ。その時点でワクチンができている可能性は非常に低い。春であれば窓を開け放してのテストも可能であるが、真冬にさすがにそれはできない。ちょうど今ぐらいの時期、4, 5月であればインフルエンザもある程度収まっているため、それもプラス材料として働く。
 9月入学になれば、入学式や卒園式での歌はどのようになるのであろうか。『さよならぼくたちのようちえん』には「さくらのはなびらふるころは~ランドセルの一年生」という歌詞があるのだが、「せぇみのなきごえへるころは~♪」となってしまえば、こぼれ落ちそうになっていた涙も行き場を失う。
 7, 8年前に、私は9月入学をテーマに文章を書いた。高校卒業から入学までの半年間を有効に使って欲しい、という総長の考えに対して、元々目標を持っている学生であれば4月から学校が始まってもやれる範囲で高校時代にできなかったことをやるだろうし、そうでない生徒は暇を持て余すだけで、結局バイトをするなどをして終わるのが関の山だ、と私見を述べた。入学時期がどうなるかはさておき、3月からこの先いつまで続くか定かではないこの期間をどう過ごしたかは今後の子供の将来にとても大きな影響を与えるのではないだろうか。前回、二男が読書をするようになったことを嬉しそうに伝えたが、それ以外にも最近は子供たちと映画を見る機会が増えた。「リーマンショック級」という言葉がよく使われるので、長男に「リーマンショック」がどんなものであったかを簡単に紙に書いて説明した後に、『リーマン・ブラザーズ最後の4日間』を2人で見た。すると、アマゾンプライムがいろいろと勧めてきたのでその1つである『マジックマネー』というビットコインに関するドキュメンタリー映画を視聴し、今は『美術館を手玉にとった男』の字幕版を3人の子供たちと見ている最中(一気に見るのは大変なので)である。4年生の二男が声に出しながら読むので、2年生の三男にも何となく理解できる。その間、私は読み間違いを正したり、子供たちに質問をしたり解説をしたりしている。このような何もない休みが無かったら、九分九厘、いや100%やらなかったことである。
 4月7日にHPの「お知らせ欄」にて授業を継続することをお伝えしたのだが、私の中でその1か月前と大きく変化したのは「医療崩壊に加担してはいけない」という気持ちが芽生えたことである。3月初旬の時点ではその単語自体が頭になかった。「じゃあ、授業するなよ」という声が聞こえてきそうだが、私が考えているのはゼロにすることではない。感染の確率を下げることと、感染した場合の拡散の人数をできる限り抑えることの2点である。前者は主に消毒に関するものであり、一般的に言われていることをできる限り実践しているだけなのでここでは具体的な内容は割愛する。後者は時間割との結びつきが強い。ここでも何回か述べてきたのだが、我々の時間割は講師と生徒の人数の比だけを見ると効率的ではない。講師1人に生徒2人を約束しているのだが、下手をすれば講師の方が多いこともあるぐらいである。これまでは講師が多く、かなりでぶっちょだったのを、密集を避けるために一気にスリム化している。休む生徒がそれなりにいることに加え、平日も夕方からではなく、朝から行うようにしたからだ。生徒だけではなく、講師の休みも受け付けている。家族の仕事柄、GW明けまで自粛する講師もいれば、大学生の講師でも、少しでも体調に異変があれば「大事を取って1週間休みます」という連絡などをしてくる。これまで人件費などそっちのけで良い人たちが集まる組織にしようとやってきたのだ。
 真価が問われる時期である。ただただ前を向いてやっていくのみ。

2020.04.07Vol.441 つらつらつらら

 周りをキョロキョロして顔色をうかがいながら自らの立ち居振る舞いを決めるのではなく、自分のやりたいことと人に喜ばれることの交点を探したい。
 かっこつけてみたものの、正直今回に関してはそれなりに人の目を気にしたので少々首が痛い。
 この期間は子供にとって非常に重要である。良い習慣を身に着けさせる絶好のチャンスである。当初は春休みが終わるまでの1か月の予定であったのが、GW明けまでとなり結果的に2か月になった。3月の一か月間、毎日のように新6年生の長男と新4年生の二男を午前に西北に車で連れて行き、15時前後に電車で帰らせていた。生活のリズムを整えた結果、二男が読書家に変身した。それに関しては「ずっとずっとやっと」というタイトルでここでのテーマにしようかと考えたぐらい親としての喜びは大きい。生徒にも人気の富安洋子の『シノダ!』のシリーズを11冊、それに加えて斉藤洋の『西遊記』を12冊、他の作家の『西遊記』上中下巻を読破し、今は『ホッツェンプロッツ』。以前から読み始めると30分でも集中していたのだが、日々の些事に追われ後回しになっていた。今は車の中でも黙々と読んでいる。
 元々本に親しんでいた長男に関しては、本のレベルを一段上げられた。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を薦め、8巻中4巻まで来た。また、『飯田浩司のOK! Cozy up!』を聞きながら、社会で起こっているなどに関しても「お父さんは、~という理由で・・・と思う」というような話を車中でできているのも大きい。
 不急不要って難しい。「重要ではなく急ぎでもないこと」と辞書にはあるが、日々の生活においてそんなものがどれぐらいあるのだろうか。天秤の片方に命を載せればすべてそれより軽くなってしまうので、それであれば考える余地は残されていない。私は3月8日(日)に行われた年一回のフットサルイベントへの参加は自粛した。若干ではあるがスポンサー料を払っていて、サッカー日本代表経験者数人と同じチームでできるチャンスであったが、あまりにも参加人数が多かったので自らの立場を考慮して判断した。その後、毎週参加しているフットサルには2, 3度顔を出したが、今後は当分見送る。広いグランドで子供とボールを蹴れば体は動かせる。その他には、スーパーへの買い出しは基本的に子供を連れて行くのだが、しばらくは一人で、ということになる。そんなことしか減らせることはない。髪を切らなくても生きてはいける。30日だと少し伸び過ぎるので、通常は25日周期ぐらいである。私にとって部屋が散らかっていると集中力が散漫になるのと同様に、長くなりすぎると何だか気合が入らない。私の線の引き方はこんな感じである。
 その他にもチャンスは転がっている。特に意見作文に取り組んでいる中高生にとっては。「マスク2枚なんてアホか」で終わらせてはいけない。たとえば、5,000万世帯にマスク2枚であれば、1人1枚にした方が良かったのではないか(必要なマスクの数もほぼ同等である)。アメリカもマスクを推奨し始めたが、あれは実質的なものではなく抑止効果を狙ってのものだと考えると、1人1枚の方が、「みんな付けよう」という空気が醸成しやすくなる。そのためにも、せめて閣僚は布製マスクで統一した方がいいのではないか、若者内で感染が拡大していることを考えると、おしゃれなものにする必要もあるかもしれない。現金給付に関しては、確か共産党の議員が出していた案に一番納得した。一律に現金給付して、それを2020年度の所得として換算し後から所得税として徴収するというものである。これであれば計算の手間もかなり軽減され、かつその算出をするのは2021年になってからであり、公平性もある程度担保される。
 「情報リテラシー」というものについても思うところがある。辞書に「自らの目的を達するために適切に情報を活用することができる基礎的な知識や技能」とある。これまでは主に受信する側の話だと考えていた。しかし、あまりにも情報が氾濫し過ぎている今、発信する側にこそそれが求められているのではないだろうか、という気がしてきた。自らがそれなりに有用な情報を発信したとしても、それによって他のもっと価値あるものをぼやけさせてしまうことにならないか、ということに配慮する必要がある。
 最後に、親御様の中には休みを選んだことを少なからず申し訳なく思われる方がおられるがそんな必要はない。それぞれにそれぞれの事情があるのだから、すべてが良い選択なのだ。こういう時期だから余計に良い親御様に囲まれていることを実感できる。懐が寒くなった以上に心は温まっている。そんな気がしている。

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