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2018.11.13Vol.374 Vol.26

 今回、女性社員の竹内が書いた文章を紹介するとともに、彼女にまつわる話をする。
 大学生の頃に2, 3年アルバイトとして働き、卒業後すぐに社員になった。戸建てを販売する中小のハウスメーカーの営業職で内定をもらっていたので、本人はそこで社会人生活をスタートする予定であった。結果的に、私はそれを覆したわけではあるが、強引に話を進めたわけではない。「志高塾で働いてくれないか」と伝えたときに、主に次のようなことを話した。
 「営業として契約を取り、社内に戻ると『よくやった』と拍手で迎えられる。でも、その家を買ったことが、その人にとって本当に良かったのか、という視点が大事なんであって、別の会社のものを買った方がその人は幸せになったかもしれない。その会社の売っている家をいくつか見たはずだけど、自分がここに住みたいという家があったか?やりがいの感じられない仕事はアカン」
きっと、つまらない日報も書かされるはずである。その会社がどうかを私は知らないわけではあるが、誰々に会って、どういう話をして、という報告自体が目的になっているものを。
 私は新入社員の頃、メーカーの営業として働いていた。私が担当していた代理店Aは、我々の製品だけを購入していた。一方で、他の営業が担当する代理店Bは、他社の物も扱っていた。Aの方が、我々からの購入金額が大きかったにも関わらず、高い値付けをされていた。たくさん買うほど値段が下がるというのが世の仕組みである。それにも関わらず、なぜそういうことになっていたのか。私の上司がAの足元を見たのだ。Aは我々から買うしかなく、一方でBには安くしないと、他社の製品を優先的に売られてしまう。仮に、私がBの担当であったとしても、Bの方が安いというのはおかしい、と訴えたはずだ。私は、Aに、他社の物も扱って力を付ければいい。代理店だからと言って、メーカーに頭を下げるのではなく、メーカーから「うちの製品をもっと売ってください」とお願いされるようにならないとだめだ、という提案をした。それは、何も自分の働いていた会社に不利になることではない。代理店が力を付ければ、メーカーにとってもプラスになる。ただ、それには3年、5年と時間が掛かる。私は、周りの人たちが、今だけのこと、自分だけのことしか考えないのが不思議でならなかった。私は事あるごとに、上司にかみついた。以前に書いた気がするが、まだ1年目の頃に50代の部長に向かって「あなたは、弾の飛んでこないところで、あっち行け、こっち行け、と指示だけをする。それは間違っている。大将自ら前に前に行くから、『お願いだから、後ろに下がってください』と部下が守ろうとする。それが、本来あるべき姿だ」と意見していた。『西郷どん』での西郷隆盛は正にそのように描かれている。間違えていることを間違えていると正直に言っていたせいで「君のやり方は間違えている」とよく怒られていた。生意気だったのでそれは認めるとしても、おかしな考えをしている人が、その考えは間違えている、と咎められないのは納得が行かない。行かなかった。大企業などで不正が明るみに出ると「考えが甘かった」と謝罪をする。甘かったのではない。間違えていたのだ。そこを理解していないから、また同じことを繰り返す。
 そろそろ竹内の文章を紹介する。特に西宮北口校では意見作文に取り組む、中高生が増えていることもあり、今年の春ぐらいから、毎週意見作文を提出するように課した。26本目にして、ようやく「ここで紹介してもいいかな」というものになった。ただ、不正をしない私だから正直に告げると、最後の段落は跡形もなく書き換えた。彼女なりにまとめていたのだが、分かりづらかったからだ。それは今後の課題ではあるが、作文と共に、仕事の質は上がってきている。

 「日常にも活かされるような力をつけてあげたい」。毎回月間報告を作成していると、多くの生徒のもので用いているフレーズである。一回きりではなく、毎月のように出てくることも少なくない。意見作文に取り組んでいる生徒なら、大きなテーマでも自分のことに引き寄せて身近なこととして捉える、というのが分かりやすいが、何もそれに限ったことではなく、『コボちゃん』なら意識的に理由のつなぎ言葉が使えるようになることで、普段の生活の中でも「なぜ?」と思うことが増える。親御様から「学校での作文で『なぜなら』を入れていました」とか、「会話の中で理由まで説明してくれることが増えました」ということを教えていただけると「つながった」と安堵する。最近は豊中教室の2年生の男の子のお母様が、「学校で作文の宿題が出た時に『なぜなら』の文を書きたいから一緒に考えてほしいと頼んでくるようになった」と報告してくださった。他にも、『きまぐれロボット』での主題は「その話に限らず、広く(自分にも)当てはまるもの」を導き出すし、読解問題で聞かれていることに文末を合わせるのはそのような型だからということで留めずに「日常会話でも同じだから」ということを理解させる。報告の度にそのフレーズが登場するということは、そう簡単に上手くはいかないということの表れでもあるが、教室の外にどれだけのものを持って帰ってもらえるか、ということには常に意識を向けていなければいけない。
 話を変える。齢89になる母方の祖父は、80歳を迎える前くらいの時期に思い立って俳句を始めた。短歌も気になったのだが、より字数が少なく、季語という制約がある中で風景や心情を読むことに魅力を感じ、それを選んだそうである。ルールに縛られながらも一つのものを練り上げていくのは何だか志高塾の作文に似ているように思う。それが面白くてのめり込んでいくうちに、次は「自分の詠んだ句を短冊にきれいに書きたい」という気持ちが芽生え、書道教室にも通うようになった。俳句とつながったおかげで、祖父はさらに書道ともつながりを持てたのである。今年の春先に家を訪れると、祖父の力作が数点壁に飾ってあった。正直なところ今の私には草書体は一見して読めないのだが、祖父の考えたものが実際に形として残っていることにはとても意味があると思うし、こういうのが「趣深い」というのだろうな、としみじみ感じる。ちなみに、短冊の隅にさらっと絵を描きたい気持ちが募り、今度は水彩画を習いたいと意気込んでいるらしい。
 つながりが増えると、日々はもっと充実したものになるのだろう。祖父に俳句の話を聞いたときに「自分のものの見方が変わる」ということを教えてもらったのだが、私自身がこうして作文を書くようになって、その意味を理解しつつある。鋭い指摘を交えながら社会の出来事について述べたような作文は未だないのだが、そういう内容でないにしても、周りに溢れる様々なものに目を向けていかないと、自分の中から考えは出てこない。周囲に対するアンテナを張る、つまりつながっていこうとする気持ちが必要なのである。それは「興味を持つ」ということでもある。
 諫早湾の干拓と関連して、よく取り上げられるムツゴロウという生き物がいる。それがムツゴロウだったのか、ムツゴロウの仲間だったのか、本で読んだが記憶があいまいである。そんな生き物がいないような気すらしてきたが、いる、という前提で読んでいただきたい。とにかくそれは穴から穴へと飛び移る。次の穴に狙いを定め跳躍をし、見事にスポッと入るのだ。最初からそんなことはできなくてもいい。途中でポテッと落ちてしまったり、「ここだ」と期待して入った穴の居心地が悪かったり。それを繰り返すことで、将来、自分が飛んで行きたい穴を見つける力、それが少々遠くてもそこまで飛翔する力がついていく。それらの力を育んであげたい。

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