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2017.11.14Vol.326 もっともらしい言葉に注意

 子育て、教育に関する多くの言葉はもっともらしい感じをまといながら親の心の中に割り込んでこようとする。何も世間一般では子育て、教育だけに限ったことではないが、親にとってはとりわけこの2つが(教育は、子育ての中に含まれるので1つと言ってもいいかもしれないが)頭を悩ませ、心を苦しめる。もっともなものを取り入れつつ、もっともらしいものをはじき返す。親がそれをすることで子供はその子供らしく成長していく。
 物事の是非を考える際、最も有効なのが例外を考えてみることである。たとえば、例外が1%であればそれは文字通り例外であるが、それが20, 30%となればもはやそれはそのような位置づけにして放っておくことはできない。そのようにそれ以外がそれなりにいる状況であっても50%以上の人がある考えを支持しているとすれば、その「ある考え」なるものはそれなりに正当化される。でも、ここで一つ押さえておかなければならないのは、その「ある考え」が自然のものか人工のものかを判断する必要があるということである。ファッションにおける「今年の流行の色」は、ファッション業界が作り出したものであり、個人個人が「去年は黒だったから、今年は茶色かしら」となって、そのような人たちがたまたま多かったせいで「流行の色」が決まるわけではない。一流ブランドがそれを決定し、他のブランドがそれに倣う。すると、店に並ぶのもその色がメインになり、街中を歩く人もそのような色が自然と多くなる。「自然と多くなる」のだが、人工的なのだ。
 教育においては「中学受験をするなら、遅くとも4年生になったら進学塾に行かなければならない」というのがその一例である。合格した人の多くが、確かにそうである。でも、それは先のような言葉がそこらじゅうで飛び交っていて、それに圧迫されてその段階で塾に入れる親がほどんどだからである。私の感覚では、4年生の頃から通い始めた子供が、1年遅らせて5年生からにしても90%の結果は変わらないだろう。逆に、20%ぐらいの子供は逆に偏差値が上(分かりやすく「偏差値が上」という表現を用いたが、志高塾がそのようなことを大事にしているわけではない)の学校に行くことも可能になる気がする。私の中ではほぼ間違いないのだが、5年生からの子供があまりにも少なすぎるのと、当然のことながら同じ子供で4年生以前と5年生という比較ができないのでどうしようもない。私の知っている限りでは5年生からの子供はそれなりの結果を残している。そのような話をすると「そのお子さんは優秀だから」という答えが返ってくることは目に見えている。しかし、優秀だからではなく、時期を遅らせた子供は何も分からないままに早くから通っている子供よりも概して自分なりの目標を持っているからいい結果に結びつきやすいのだ。すると今度は「じゃあ、1年遅らせて目標が持てなかったらどうしたらいいのですか?」という質問が飛んでくるだろう。それに対しては「目標を持てない子供を受験させてどうするのですか?」と私は返すだろう。何も私はそのような議論をしたいわけではなく、そこらへんのことに対して、ある程度の答えを親が持っていてあげなければ、受験勉強の最中につまずいた際に適切な対処ができなくなってしまうのだ。もちろん、その犠牲者は子供である。
 私が今回のテーマを決めたのは「早いうちに勉強の習慣をつけた方がいい」というのを最近何回か耳にしたのがきっかけである。この「早いうち」というのは、「小学生になったら」、もう少し長く見ると「低学年のうち」ということになる。まず、ここで気をつけておかなければいけないのは、習慣には「いいもの」と「わるいもの」の2種類があることである。また、何を持って習慣と呼ぶのかというのも重要である。たとえば、お母さんに怒られるから、学校から帰ったら、おかしも食べずに塾の宿題を始める。毎日そのようにしていたとしても、果たして習慣と呼べるのだろうか。「中学受験が終わったら勉強をしなくなる」、「大学受験が終わったら勉強をしなくなる」ということは往々にしてある。そうなると、小さい頃に身につけた勉強をする習慣とは一体何なのだろうか。小さい時に身につけるべきは、分からないことに興味を持ち、自分なりに考えようとすることである。でも、それは数値化されない。それゆえに、軽視されてしまう。
 文章を書き終わっての感想。指示語が随分と多くなってしまった。それに打ち勝って内容を理解していただきたい。

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