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2019.04.02Vol.392 「も」こそが価値を生み続ける

 それであれば高卒でいいのではないか。それぞれの会社が、現在の大学入試レベルの問題を用意し、学部ごとに科目や点数配分が異なったりするように、職種ごとの試験を用意すれば、より採用したい人にアプローチできるはずである。ある大学生のインターンに関する記事を読んだときの感想である。大学に通っているのは単に「大卒」という資格を得るためだけのような気がしたからだ。
 そこには週3回半年以上、というのが条件だと書かれていた。それがどれぐらい縛りのあるものなのかは知らない。志高塾の場合で言えば、半年では真の意味での戦力とはなりえないので、4回生はもちろんのこと3回生でも大学院へ進む予定、という方以外は基本的にお断りしている。そのような意味では我々の方が期間に関しては求めるものが大きいと言えるが、それは縛りでも何でもない。辞めたくなった時にいつでも辞められるからだ。志高塾ではほとんどの学生が多くても週2回、少ない場合は週1回しか入らない。学業やその他クラブやサークル活動との兼ね合いでそのようになっている。そう考えると、週3回以上というのはあえて極端な表現を用いれば、平日、授業外の時間をインターンのために開けておく、ということになる。
 先の記事では、インターンの際の仕事ぶりが認められて、その会社で内定が得られた、とあった。業務の内容をよく理解してくれているので、会社にとって「も」都合がいい、というようなことが述べられていたが、それは、会社にとって「は」である。以前、大企業で技術者をされている50歳前後のお父様が「先生、私の技術なんて今の会社で役立つだけで、他のところじゃ通用しません」とおっしゃられていた。その年齢にもなれば正に専門職、といった感じであるが、大学生のうちにそのようになってしまったらどうするのだろうか。その彼だか彼女だかは忘れてしまったが、その経験を生かして、全く別の業界の会社から内定をもらえたというのであれば、それなりに理解できる。
 インターンに関していくつかネットで調べてみたのだが、あるサイトでそのデメリットとして「責任のある仕事を任せられる」とあった。なんじゃそれりゃ、である。私は、小学生の生徒に対してですら「やることをやる、という責任も果たしていないのに、要求だけすんな」と注意する。それには我々の側にも責任が生じる。我々が与えた課題を彼らがクリアしたときに、一定の満足感を得られるようなものにしてあげなければならないし、その都度とは行かないものの、いつかそのような積み重ねが彼らの将来を明るくすることにつながるようにしてあげなければならない。
 志高塾で働くすべての講師にとってここでの経験が、今の、そして、将来の生活に役立つようなものになることを望んでいる。たとえば、大学生であれば、就職活動時に、そして就職後に生かして欲しい。逆に言えば、そうでなければ、我々は質の高い授業を提供できていないことになる。子供たちにいろいろ考えさせるには、教える側はそれ以上に頭を使わなければならない。意見作文をしている生徒の考えを広げてあげるためには、自らの考えを広げなければならない。生徒と比べて、講師が知識や経験で広い範囲をカバーしているのは当然のことである。生きている年数が違うのだから。それにあぐらをかいてはいけない。広げようとしているかどうかが大事なのだ。日頃からそれを意識している講師であれば、広げることの大切さ、広がったことによって得られる喜びを生徒に掛ける何気ない言葉にまぶすことができる。料理で言えば、隠し味と呼ばれるようなものである。
 インターンからその会社への就職へ否定的な私であるが、社員3名のうち2名は学生時代に志高塾でのアルバイト経験がある。矛盾しているように感じられるかもしれないが、そうではない。そもそも彼らは将来的に志高塾で働こうと考えて応募してきたわけではない。私の中に何かしらの思いがあって、その2人には声を掛けたのだが、少なからず逡巡した。彼らにとって、ここで働くことが幸せかどうかについて考える必要があったからだ。正直なところ、それに関しては今なお考え続けている。前回、今後の教室展開について言及した。それもこのこととは無関係ではない。ただ同じことを繰り返すのではなく、それなりにやりがいのある仕事を提供し続ける責務が私にはあるからだ。それはただ単に教室を増やし続けるということとイコールではない。おそらく5校を超えたぐらいでそこから新しい刺激は得られなくなるはずである。私が考えなければいけないことはまだまだたくさんある。それは今後も私が成長し続けられる可能性が大いにあるということである。ありがたい。

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