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2017.08.08Vol.313 予定通りプログラミング

 4年生の男の子に「算数は得意なの?」と尋ねたら、「別に得意じゃないけど好き」と返ってきた。こういうことについて時々このブログでも書いている気がするが、非常にいい考え方で私は大好きだ。「好きこそものの上手なれ」と言うが、上手ではないからという理由で好きでなくなり、上手になる可能性を失うということは少なくないのではないだろうか。大人でもこういう風に考えられることはとても重要なのだが、子供にとってはそれと比べ物にならないぐらい価値ある思考法である。
 さて、自分の中では既にあまりホットではなくなっているのだが、今回はプログラミングについて考察していく。テレビで「プログラミンが学校の授業に組み込まれるそうですが、どう思われますか?」とインタビューを受けた母親が「何か役立ちそうでいいですね」と答えているのを見て驚いた。嘘をついてしまった。実際は驚いてなんかいない。きっと世間ではこのように考える親が少なくないのは重々承知だからである。子供向けのプログラミング教室で働いていながら「こんなことやっても意味はない」と思いながら教えている人がいるというのを聞いた。彼ら自身がプログラミングをよく分かっておらず、マニュアル通りに指導しているだけなのだ。そもそも、近い将来、今の小学生が大人になる頃にはAI(人工知能)によって仕事が奪われると言われているのに、初歩的なプログラミングを学ぶだけで何になるというのだろうか。断っておくが、将来役立ちそうなことをやっているところもあるので、プログラミング教室自体を否定しているわけではない。ちなみに、この件で数ヶ月前に知人から立ち話程度のものではあるが相談を受けた。私が子供向けの教育に携わっているからである。当然のことながら、(子供向けのプログラミング教室を)やるのであれば本格的なものにしなければ差別化できない、というような話をした。分かりやすいように「差別化」という言葉を用いたのだが、それ自体が目的ではない。意味のある教育を追求すれば自ずと「差別化」される。これは何も教育業界に限った話ではない。つまり、「差別化」は目的ではなく結果である。それこそ、「差別化」を目的として、「プログラミング」を「英語」で行なう教室が最近増えてきているらしい。「プログラミングを英語で学べるなんて一石二鳥!」といったところであろうか。実に単純な発想である。開校当初は「本物」という言葉を好んで使用していたが、かなり早いタイミングで「本質的」というものに置き換えた。ことの経緯は忘れてしまったが、「本質的」なことを追い求めていたら「本物」に近づいていくはずなのだが、「本物かどうかは決めるのは自分ではない」というのが理由であったような気がする。最近、「本物」というフレーズを用いた広告を目にして、「あっ、俺も昔はこうやったなぁ」と過去を振り返っていた。
 私は、ただひたすらに本質的なことを追求し、その我々が実際に行っていることをキャッチーな言葉を使うことなく正確に伝えることで、本当に我々のようなところを求めている人により着実に届くことを願っている。今日道路サイドに豊中校向けの2m×3mぐらいの看板が立てられる。コピーは自分で考えることが多いのだが、今回はあえて業者の方に任せた。最初は、納得の行くものを中々提案していただけなかったのだが、最終的には「書く力 伝える力 作文力」というものになった。デザインも含め、結構気に入っている。通勤路の途中にあるので、帰りに見るのが楽しみである。

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