
2017.04.25Vol.299 第3弾「わたし、嘘つきじゃないでしょ?」
来週は1週間教室が休みなので、ブログもお休みさせていただきます。タイトルから知れるように、今回も講師が研修中のレポートで出してくれた文章の紹介です。彼女は20代の女性で、数ヶ月前から副業として(もちろん、勤務している会社の許可を得てのことです)土曜日の授業に入ってくれるようになりました。
作文中心と言っても、国語を教えていることから大手塾での国語講師としての経験が豊富な方が応募してきてくれることはそれなりにある。当然のことながら筆記試験もよくでき、受験にも詳しい。でも、それはあくまでプラスαの要素でしかない。結果的に、このタイプの人はこれまで一人も合格には至っていない。私は、一人でも多くの生徒を、少しでも偏差値の高い学校に入れたいのではない。「あの人は面白い人だ。興味深い人だ」と周りの人に感じてもらえるような人になってほしい。そう願いながら作文を、読解問題を教えている。全力で受験対策もする。でも、いつも根っこにその想いがある。
では、存分にお楽しみください。
題;子供が「腹落ち」を正しく知れる教育
はじめに私が受けてきた教育について、利点や欠点を踏まえて述べます。
まず幼少期は某塾の教材を自宅でこなし、小学校にあがると同時にその塾へ通い始めました。すると、負けず嫌いであったり、親に褒められたいといった私自身の性格や思考が良い方へ働き、順調な成績向上へ繋がりました。そして親に勧められるままに中学受験を決め、小学4年から進学塾へ切り替えました。これもまた幸いに何の疑いもなく勉学に励み、何とか神戸女学院へ入学しました。
それは間違いなく自分が努力して勝ち取った結果でした。しかし、その努力に対する動機づけという意味では、限りなく薄かったと言えます。ということで、人任せで道を歩み、自分の能力に慢心していたツケが来ました。肝心の女学院へ通い始めてからは、向上心が芽生えなかったのです。
また面白いことに、女学院の生徒はみんな特殊な考え方をしていました。常にクラスメイトとの実力を比較し、野心を持って登り詰めようとするのです。自己を高める意識が強い集団、それ自体は素晴らしいことなのですが、私が馴染めなかった理由の一つに「環境の違い」がありました。
私は至極平凡な家庭で育ってきましたが、彼女たちの親の大半は、自分の子供に「高みを目指すこと」を教えておりました。中高一貫校の女学院では目先の目標は大学となりますが、それが東大であるとか、京大の医学部であるとか、早稲田や慶応に進学できなければ恥ずかしいことであると。そしてそういった風潮の中で育ち、かつ自分の中へ自然に取り込み進んでゆけるのが、私を取り巻く女の子たちだったのです。
さて私は、そんな多数派から呆気なく弾かれていると気づくのに、時間はかかりませんでした。なんせ「この学校に入れるから入った」以外の理由で、女学院を受験していなかったのです。そんな生徒は、この学校においては「負け」なのかもしれない。そう思わずには居られない時期を学内で過ごしました。そして次第に、思うように成績を上げられない自分に幻滅してしまいました。授業もハイレベルだったので少々仕方なかったかとも思うのですが、中学一年生で出鼻を挫かれた衝撃をその後、おおいに引きずってしまったことは否めませんでした。
そんな中で、私が周りと違うことに戸惑いながらも少数派の「学歴を重視しない道」を選ぶことができたのは、常に手元に紙と鉛筆があったからでした。小さい頃からおもちゃで遊ぶよりも、紙芝居を手作りして親に聞いてもらっていたほどに絵を描くことが好きだった自分の、唯一の強固な芯のようなものに気づいたのです。それは今思い返すと、人生の中で稀に出会う幸運のようにも、不釣り合いな社会に飛び込んだことで自覚できた必然のようにも感じられる輝きでした。
とにかく私は高校に上がった頃にその命綱をたぐり、デッサン教室といった画塾に通いたいと親にせがみました。そうして美大という納得のできる居場所を勝ち取ることとなったのです。その達成感は、中学受験に成功した頃とは比べ物にならないほどでした。
私は神戸女学院という所謂「エリート」校に通っていたことよりも、美大に通って多様な刺激を受け、好きなものやことが多くなったことを誇っています。ただ、そう思えるのも母親のおかげなのです。はじめこそ勉強を苦にせずに、とんとん拍子で国語や算数を習得する私を見守っていた母はやはり、この子は将来どんな大学へ進学できるだろうかと、淡い期待を育てていたようでした。でも昔から、進路について話す折々には「良い学校へ行きなさいと言うのは、いつか自分のやりたいことが見つかった時にそこへ進みやすいようにだからね」と聞かせてくれていました。そして、いざ美大を目指すと話した私に対して、一言も否定の言葉は出さずに「そんな気がしていた」と苦笑いと一緒に応援してくれたのです。語るに尽くせませんが、私はそんな母へ心から感謝しています。
私は現在デザインの仕事をしていますが、自分が本当にやりたいアートとそれは違うということが解っています。(この差異を明確に説明することにいつも難儀しますが…)だからこそ、いつでも見切りをつけて別の世界に飛び込めるように、心や身の回りの準備をすることができています。
これこそと思える仕事というものは誰しもあるでしょうが、その誰もが真っ直ぐそれを得られるわけではありません。自分自身漠然としていて、答えが見つからない人も多いでしょう。それを探すことを昔から旅と表現するくらいですから、よいのだと思います。一番好ましくないのは、本人がそれを探す方法を知らないことなのです。
つまり、「自分のやりたいことを、自分で見つけることができない」大人に育ててしまう教育が、もっとも宜しくないと考えています。前回の作文課題で述べた内容と通じますが、子供が視野を広げ、自分の力で夢を見つけて掴み取る手伝いをしてあげられたら、教育としてひとつの正解ではないかと思うのです。
ちなみに、学校のレベルが重要ではないといった内容を先ほどから述べておりますが、私自身が身を置いてきた環境を否定しているわけではありません。むしろ、自分にとっては得難い経験になったと思っています。というのも、歯切れの悪い文章となってしまいますが、「すばらしく偏差値の高い学校」という存在は、子供にとって諸刃の剣なのではないか、という懸念が少々あるのです。
私は、女学院の中で自然と反発し、さらにゆくゆく入った会社で「自分にとって、絵を描かない道はない」とわかりやすい確信を得られました。しかしそれこそ稀有な事例で、同じ学年で美大になんて進んだ人は他にいません。それどころか「親が勧めているのだから、きっと正しい」と信じたまま勉学に励み、某トップ大学に入った先で、気づくと自分の心が迷子になっていた。そういう友人を何人か知っています。
これは女学院という特異な学校で育ったからこそ生まれた結果かもしれません。ただそれを見るに私が感じるのは、親や周りの大人の発言は子供にとって無条件の説得力があって、ともすれば、コントロールすら可能にしてしまうのだということです。また、双方の無意識のうちだとしても、その事態は起こり得るようです。つまり、進学した学校でプラスの影響を受けられるのかそれともマイナスなのか、それを左右するのは受けてきた教育次第であると言えるのではないでしょうか。
よく生まれてきた子に対して「伸び伸びと育って欲しい」と親は願うと聞きます。それなのに、大きくなるにつれて、ゆっくりとずっしりと子供の伸ばそうとしている個性を押さえつけてしまうような、そんな教育が昨今認められているような気がしてなりません。さらに言えば、それが当たり前に感じられるような社会であれば、子供が親に勉強を強いられたとしても、疑問をもつ余地など皆無に違いないのです。
前回も書いた教育実習にて、高等学部では数人の高校生の質問責めに遭いました。中でも数日生徒と一緒に答えを考えた質問がこれです。
「先生、実は私は建築に興味があるんだけど、建築学部に行きたいなんて親が絶対許してくれないから言い出せへんねん。どうしたらいい?」
自分の親が関門ではなかった私は慎重に言葉を選びながら、親御さんへ複数大学の就職率比較と、なによりその熱い想いをプレゼンするようにと伝えました。私のアドバイス次第でその子の夢がつぶれるかと思うと、泣きそうなほどの重責を感じたのをとてもよく覚えています。子供の首を掴んでよそを向かせるような教育は絶対にいけない、どうか抑え付けないでいただきたい。そうも思いました。
結果、その子がどこへ進学したのか把握できていないのですが、彼女が今好きであるものを追いかけていられたら、と切に願います。個を認める教育が若者の目を輝かせられるのだということを、私は母から学んだと改めて思いました。
もし自分に子供ができたら、間違ってもその子の心を死なせるような教育はしません。悩むのはよいことかもしれませんが、大人が悩みのタネになるのでは言語道断です。そうではなく、本人がなりふり構わずに注力できるものごとを、本人の足で見つけられるように導いてあげたい。
そして、健全な自信が湧く瞬間を知ってほしいと思います。
ちなみに、一番答えやすかったのはこの質問です。
「先生はなんで美大に行ったんですか?」 もちろん、絵が好きだからです!