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2017.02.07Vol.288 我がコソダテロン

 今週末、豊中校向けの初めての広告をリビング新聞に掲載する。「おっ、新しい教室ができたのか」と興味を持ってHPを訪れてくれた方のために、何かそれに相応しい内容にしようかとしばし想像力を働かせてみたものの断念。肩に力が入ったつまらないものになるならこれ以上ないぐらいに脱力したものの方がいいだろうという判断。
 「どういう風な子供にしたいですか?」と問われたら迷うことなく「変な子供」と答えるであろう。真顔で。「変な子供」というは「変わっている子供」という意味である。
 最近は、人工知能(AI)が話題に上ることが多い。今、実際に「AI 仕事 残る」でググってみるとトップに「今後10~20年の間に消える仕事・残る仕事」という記事が出てきた。そこには「今後10~20年程度で、米国の総雇用者の約47%の仕事が自動化されるリスクが高い」とあった。それは、英オックスフォード大学でAIなどの研究を行うマイケル・A・オズボーン准教授の2013年の論文「雇用の未来」からの引用とのこと。コンピュータが将棋のプロ棋士に勝てるのはまだ先だと思われていたが、随分と前倒しされた。それを踏まえると4年前の論文でそのように述べられていたということは2025年には既に47%は消えているかもしれない。
 親が子供に何でこういう風にしないの、と怒ることは少なくない。大人は子供に比べて効率化という点では断然優れている。でも、多くの親がそういうようなことで怒っているという事実は、裏を返せば自然と身に付けられるということに相違ない。昔であれば、そこにエネルギーを費やすのもそれなりに意義はあった。効率的な人間であれば、非効率的な人間よりも優位な立場を確保できたからだ。もうお分かりだと思う。どれだけ効率的になろうが、AI相手では話にならないのだ。
 生徒たちに「意見作文」を書かせる時も具体例を入れなさい、と指導する。そこで、小学2年生の長男に触れてみる。この1, 2ヶ月、早起きが流行っている。幼稚園の頃は朝8時に起こしてもぐずっていた。小学校に入学すると7時前には起きないといけないので心配したものである。それが最近では朝の4時に起きたりしているのだ。この前の土曜日は学校が休みで何も用事がないのに、「何時に起きたの?」と聞いたら「今日は遅かった。6時」と返ってきた。しかも面白いのは、目覚ましをかけないのだ。「起きようと思ったら起きられる」と訳の分からないことを言っている。実践しているので、確かにその通りなのだ。この前もパッと目が覚めたら、国語の教科書を大きな声で音読しているのが部屋から聞こえてきた。時間を確かめたら4時過ぎであった。一人で笑ってしまった。こんな面白いことは中々ない。私であったら証拠が残らないので、間違いなくやりもせずに勝手に親の判子を押して提出するのだが、我が子は1年生の頃から欠かさず続けているのだ。早起きは元々6時ぐらいだったのだが、「すごいね」と褒めていたら、30分ずつ早くなっていき今のようになった。この前、学校に行く段になって準備ができておらず、妻から「何のために早起きしているの」と怒られていた。私も何をしているのかは詳しくは知らないが、少なくとも何かをしているのだ。それで十分。何かをちゃんとすることより、自分の興味のあることに思う存分時間を費やす方がよほど豊かで贅沢な時間の使い方なのだ。ちゃんとはいつか身につくのだから。
 よく言われるように、小さい頃はみな個性的である。それがいつの間にか、小学生らしい、中学生らしい、といったように、典型としての中心を意識し始める。その中心からある一定の距離内にあれば「~らしい」となる。その外側に「普通」というのがあり、そこから外れると「変わっている」となる。でも、多くの人がイメージする中心は前時代的なものになりつつある。上で2025年としたが2030年まで先延ばししたとしても現在8歳の長男は21歳である。おそらくまだ社会に出ていない。その時点でどうするかと考えているようでは完全に手遅れである。
 「我が子育て論」とするといかにも立派なもののようなイメージを与えてしまうのでカタカナにしてみた。一方、志高塾で実践しているものは「キョウイクロン」ではなくある程度しっかりとした「教育論」に基づいているのでご安心ください。

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