
2019.06.04Vol.400 山椒は小粒でも
「(進学)塾は情報を持っている」と口にする親は少なくない。これまでも、親御様がそのようなことをおっしゃったときには「持ってませんよ」と返答してきた。彼らが保持しているのは単なるデータである。これまで、データと情報を区別して考えたことはなかったのだが、その2つには明らかな違いがある。話はそれるが文章を書くことにはこのような効果がある。自分の頭の中にぼんやりと存在していたものに明確な形を与えてあげることにつながるのだ。意見作文に取り組んでいる中高生には少しでもその楽しさを味わってもらいたい。その2つの違いについては、どこかで誰かが言っていることかもしれないし、逆に世間一般のものと私の意見はまったく異なるかもしれない。そんなことは大きな問題ではない。これを書いたことをきっかけにして、自分と世間のずれを認識し、修正して行けばいいだけのこと。
塾が持っているデータの代表的なものは、テストにおける偏差値とある学校の合格率の相関である。たとえば「6年生の夏休みのテストで、この偏差値だと合格率が70%以上です」となったとする。その成績を取っていても落ちた30%はなぜ落ちたのか、逆に30%未満でも合格した人はなぜそうなったのか?彼らにそれは分からないし、基本的には例外的なものとして扱って終わりである。私に言わせれば、70%でも落ちた人には原因があるし、逆に30%でも合格した人には理由がある。どちらの場合も単なる偶然ではなく、限りなく必然に近い。何も私は進学塾の文句を言っているのではない。それはそういうものなのだ。マスを相手にしているので個人のことは見られない。だから、親がそれを踏まえた上でうまい付き合い方をしないといけない。我々の役割は、親御様がそれを実践するためにできる限りのサポートをすることなのだ。
現在、掲載前日、月曜日の昼過ぎである。先週の月曜日から始まった面談も明日で9割方終わる。午前と午後の合間に筆を進めている。私は話し好きなので、親御様とじっくりと向かい合って話すのは楽しい。そうは言っても、半年に1回のことなので、初日が終わった時には「ああ疲れた」となった。2日目、3日目と感覚を思い出していくのだが、金曜日が終わった頃には背中が何となく筋肉痛になっていた。親御様には「この人、気楽に好き放題話してるなぁ」と映っているのかもしれないが、当然のことながら真剣なのだ。私は基本的にいい加減で、すぐに調子に乗るのだが、このブログを読んでいただくことに対しても、面談にお越しいただくことに対しても「人の時間を無駄に使ってはいけない」という意識を変わらず持ち続けている、昔も今も。自分の軽薄さゆえつまずくことはあっても、その気持ちがある限り大きく踏み外すことはないだろう、という安心感が自分の中にある。
ビッグデータという言葉をよく目にするようになったのは、5年ほど前だろうか。最近では広く浸透した。個人レベルでは否定的な捉えられ方をしているように感じる。GAFAに代表される企業が我々の知らないうちにデータを吸い上げているからだ。大方の予想を覆しトランプが勝利した大統領選でも、フェイスブックを使って、トランプに投票しそうな人を見つけ出し、その人たちが投票に行くように導いた、というのを読んだ気がする。真偽のほどは定かではないが、アマゾンやフェイスブックで掲載される広告を見ていると、個人情報がどういう取り扱われ方をしているのだろうか、となる。10年ほど前までは、ネットの記事に関しても自分の興味のあるカテゴリーを選んで、それに関するものが表示される、というシステムであったが、今は検索履歴を踏まえて傾向を掴んで自動で表示されるようになっている。
さて、データと情報の関係性。生のデータを価値あるものに加工したのが情報である。たとえるなら、海の中で生きている昆布がデータであり、それをおいしいだしが取れるように手を加えたものが情報である。親御様にお伝えするときには、データから自分なりに導き出した情報をそのままではなく、お子様のことを考慮した上でさらに微調整を行う。最近は、以前よりもいろいろな相談を受けることが多く、それに対してできる限り具体的な提案を行っている。それなりに聞き入れていただけるため、実践した結果を新たなデータとして手に入れることができている。そして、より適切な具体策を提示できるようになる。進学塾に比べて圧倒的にデータ量は少ないのだが、かなり価値あるものを集めることができているという実感がある。
あるお母様が「先生と面談した後はいつも、ガーデンズでケーキをたくさん買って帰って食べるんです」とおっしゃっていた。それを次のお母様に「さっきのお母様が」と笑いながら話したところ、「いや、先生、その気持ちよく分かります。私も面談で何言われるんやろう、と考えながら車を運転していたら通り過ぎてしまいました」と返ってきた。これまで何度となく車で来られているにも関わらず、である。これだけ読むと、一体、この人はどんな無茶苦茶なことを言ってるんだ、となるかもしれないが、二人のお母様はそれでも欠かすことなく面談に出席してくださる。ここで何度も書いてきたことだが、私は能力の否定は絶対にしない。厳しい指摘をするにしても、それは取り組み方の悪さや好奇心の狭さに関することなのだ。今回も、本当に様々なことを親御様から教えていただいた。ありがたいことである。