
2018.01.16Vol.334 受験はスーっと
私「残り40日は死ぬほど勉強やー」
生徒「はーい」
私「志高塾から2年連続東大合格!って言わせてや。よろしく頼むで。」
生徒「任してください」
私「任すっ!」
このブログにも何度か登場した高3の女の子とのライン。センター試験の結果を報告してくれた際のものである。中1の終わりから高3の11月まで通ってくれた。最後の授業の時は「寂しいなぁ」というようなことを口にしながら帰って行った。丸5年以上、私がすべて教えた。教えたというよりは、いろいろな話をしたという方が適切な気もする。彼女は玄関の生花を見ていつも「先生、ほんとセンスないですね」と言いながら帰っていた。たまに「先生今回のは珍しくいいです」と評価されると、翌週花を買うときにも同じものを買い、差し替えるようにしたものである。その行動に心の小ささがにじみ出ているではないか。去年の理Ⅲの生徒もそうであったが、彼らは本人たちの力で勝手に合格する。それゆえ「東大に合格させました」とは言えないから「東大に合格しました」という表現になる。今年、大学受験に臨む生徒は3人いるが、皆センター試験ではそれなりの結果を出し、そのまま志望校に願書を出せるとのこと。頑張れ!この掛け声はまずいか。上の生徒以外の2人は2次試験まで授業があるので、責任を持ってちゃんと導いてあげないといけない。
本当は、今日まで朝から授業のはずであったが、明日試験予定であった生徒が無事に第1志望の学校に合格したので不要になった。まだ報告をもらっていない生徒がいるため気がかりではあるが、私立の中学受験に向けてやることはなくなった。次は、芦屋国際を受験する生徒のために最後の仕上げを行う。今年の6年生は、その後も続けてくれる生徒が多い。大抵は受験が終わり落ち着いてから「どうしましょうか?」と先の話をするのだが、六甲に合格した生徒は12月の時点でお母様から継続の話をいただいた(なお、もう1人の六甲に合格した生徒のお母様には随分前に大学受験まで、とおっしゃっていただいている)。その際に「別に中学受験のために行かせているわけではないので」という言葉をいただいた。嬉しい限りである。ちなみに、彼は大手塾に通っていたのだが、冬休みに入ってからはそちらにまったく行かずに受験日を迎えた。私がそのように提案したのだ。算数が得意で(六甲レベルであればほぼ満点を取れる)、国語と理科の暗記分野を強化する必要があった。算数に関しては、「毎日1回分のテストを用意して渡します。どうしても分からないところがあれば教えます」と伝えた。それであればテスト直しの時間も含めて、90分程度で終わる。しかし、進学塾に行けばかなりの時間を算数に取られることになってしまうのだ。ちなみに、簡単な問題ばかりでは頭の動きが鈍るので、東大寺の過去問と六甲のそれとを1日おきに解かせた。当たり前だが、そんなことでお金をいただくことはない。
どんな手を使ってもいいから、少しでも偏差値の高い学校にねじこんでくれ、と望む親には志高塾というのは物足りないこと間違いなしである。まあ、そんなことをすれば合格する確率は下がり、中学入学後も伸びない子になってしまうのだが。マラソン中継のゴールシーンでは全身が映り、ランナーはゴールテープを切るときには手を上げる。もし、もしである。ランナーの顔しか映さない中継(スタンドなどの背景もなしである)があったとする。理想的な受験というのは、顔をみているだけではいつゴールテープを切ったのかも分からないようなものではないだろうか。もちろん、これは極端な表現である。受験直前、進学塾の先生はどれぐらい勉強させるかに重きを置く。私は、どれぐらいいい表情をしているかを気にする。
今年は受験生も多く、いろいろな学校に合格したので3年ぶりに場を設けて、親御様にお願いして、これから受験を迎える親御様のためにお話をしていただこうかな。