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2025.07.08Vol.693 三男のこと(前編)

 2回目の動画撮影が今週木曜に控えている。資料を大幅にいじらないと、と思いながら、まだ手を付けていない。撮影前後で大きく変わったのは、ユーチューブでプレゼン関連の動画を見るようになったことである。そこで語られる「これをした方が良い」はほとんどできていなかったし、一方「これをやってはいけない」には当てはまることが多かった。
 この春、中1になった三男。彼について、ちょこちょこと触れることはあっても主人公として取り上げたことはなかったはずである。それには少なくとも2つの理由がある。1つ目は特筆すべき出来事がなかったこと。あれができてない、これができていない、はいくらでも挙げられたが、抱えている多くの課題に対して親としてどこから手を付けて、どのように対策をして行くかを考えあぐねていたため、話題にしたところで単なる愚痴に留まってしまうことは明らかであった。2つ目は、上の二人と比べると私より妻と過ごす時間が断然長かったこと。生まれた時からの習慣であった。妻にとっては末っ子なのでかわいいし、三男にとってもお父さんといるよりはお母さんといる方が良いだろうから、とずっとそのままにして来ていた。共有する時間が短い分、それに伴って題材も少なくなる。それでも、世の中の一般的な父子よりは2人で出掛ける回数、時間は圧倒的に多かったはずである。1年ぐらい前だったか、年齢を考慮しても三男があまりにも物事を論理的に考えられないことについて長男と話していると、「パパと話す時間が少なかったからじゃない」と返ってきた。これに関しては、妻がダメだと言うわけではなく、職業柄私の方がそれを得意にしているというだけのことである。その発言から長男が私との会話に価値を見出してくれていることが分かり嬉しかった。これについては、長男とそのやり取りをした翌週のブログで早速言及したはずである。
 三男は上の2人と比べると習い事も続かなかった。スイミングに関しては、中学受験をした二男は6年生の夏ぐらいまでは通っていたが、三男は四泳法を終えた5年生ぐらいで忙しいわけでもないのにあっさりと辞めてしまった。書き方もアートスクールも早々の離脱であった。私自身の字が汚いのできれいに越したことはないことは身をもって知っている。ただ、本人がやりたいと言い出してもいないのにやらせるようなことではないというのが書き方に対する私のスタンスだったのだが、妻がどうしてもさせたがったので始めたものの、迎えに行った際にやっている姿を見ても楽しそうではないし、本人も嫌がるので確か1年前後お世話になっただけのはずである。三人の中で唯一習っていたにも関わらず、一番字が汚い。アートスクールの方は、幼稚園で描いてくる絵を見ても私同様にへたくそであったため反対はしたのだが、送り迎えの都合を優先して妻が二男と同じところに通わせた。それに関しては、送迎のほとんどの役割を妻が担っていたため、それ以上強く言うことはなかった。アートスクールに関しては、二男を含め、周りにいる上手な子と比べてしまうので辛かったのであろう。こちらは2, 3年ぐらいは続いた気がするが、私がストップした。勉強、スポーツ、アートを子育ての三本柱にしているため何もさせないという選択肢は無かったので、アートスクール以前から三男に通わせたかった陶芸の教室に体験授業に行かせた。絵の才能がない人にとって、二次元に三次元を再現するのは容易ではないのだが、陶芸は誰がやっても立体的にはなる。また、土に触れるということも良い経験である。通い始めて2年ぐらいは経っただろうか。本人が楽しんでやっていることもあり、この前、「ずっと続けえや」と声を掛けると、濁りのない「うん」が返ってきた。先生は個人でやられているのだが、自分の教室だけではなく出張授業にも行かれているみたいで、先日、三男の作品を見本として持って行ってくれたらしく、そのことを三男は誇らしそうに私に報告していた。1つ困っていることがある。食器が増えていくのは良いのだが、どの器も多くて2つぐらいなので重ねてしまいづらいのだ。5人家族なので6個をワンセットで作ってくれたら良いのに、というのが私の本音である。そんな家庭の事情よりも、三男が様々な形のいろいろな大きさのものを作ることに挑戦することが優先されるのではあるが。
 上で、「抱えている多くの課題に対して親としてどこから手を付けて、どのように対策をして行くかを考えあぐねていた」と述べたが、原因は明らかであった。小さいころからずっと、何をするにしても、こうなりたい、というのが欠如していたのだ。サッカーであればレギュラーになりたい、フォワードとして何点入れたい、勉強であれば小学校での計算や漢字のテストぐらいは満点を取りたい、とかいうのが全くなかったのだ。自らの経験を踏まえて、人工的に圧力を掛けて負けず嫌いにするような子育てはしない、とそれこそ長男が生まれる前から決めていたのだが、三男のあまりの体たらくぶりに子育ての基本的な方針を間違えていたのだろうか、と自らの信念が揺らぎかけたぐらいである。何をやっても持っている力を全然発揮できなかった三男が、公立中学の1学期の期末テストで悪くない成績を取ってきたのだ。
つづく

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