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2022.04.26Vol.540 喜びのおすそ分け

 来週1週間は教室が休みになるため通常であればブログも休みなのですが、それを5月24日分として取っておきます。前回告知を忘れたことで、仕事が休みのときに書いた方が気楽で良い、ということに気付いてしまいました。
 
 最近、ビギナーという言葉に関して、それはそれはものすごい発見をした。その説明のために、相当長いができる限り短い遠回りを。
 私が受験した数年後に2次試験の教科にも国語が含まれるようになったが、当時は京大の理系の中で工学部だけが例外であった。何度か述べているように、東大か京大にしか行く気は無かったため、工学部以外(医学、理学部、農学部など)でどうしても行きたい学部があれば苦手な国語も勉強したであろうし、もし、工学部も国語が必須なのであれば、それを避けるというだけのしょうもない理由で他の大学にすることもありえなかった。大学受験に向けて真剣に国語を勉強しておけば良かった。あの頃の自分は間違いなくそのような考えなど持てなかったであろうが。もちろん、センター試験対策はしたがマーク式では意味が無いのだ。そこでは文章をきちんと消化することは求められず、本文の内容とどの選択肢が合致しているかの単なる照合作業のようなことをするだけだからだ。読解力があるほどその作業を速く正確にできるのだが、手っ取り早く点数を上げることを考えたとき、地道に読解力を付けることより、“作業”の精度を上げた方が時間対効果は高くなる。あくまでもセンター試験の点数のことだけを考えた場合の話である。
 京大医学部に現役で合格した生徒がいた。現在2回生である。実際、彼は合格点を100点以上超えていたので、結果論で言えば2次試験の国語が0点でも良かったことになる。他の予備校で現代文を習っていれば本番でもっと点数が取れたかもしれないし、その可能性は低くはない。謙遜しているわけでも卑下しているわけでもない。その一方で、読解問題におけるやり取りを通して、その後に役立つ力を悪くない程度には付けてあげられたと自負しているからだ。大人になった自分に欠けていたもの、その中で大学生になるまでの国語の勉強を通して補うことができたはずのことをそれなりに把握していて、自分がこういう授業を受けられていてれば、を真摯に実践していたからだ。高校受験にも少しだけ触れる。公立高校の受験対策を普通にしているだけでは国語力など付かない。記述問題もいくつかあるが、抜き出し問題に毛が生えた程度のもので、それは昔も今もほとんど変わっていない。私が目を通しているのは大阪と兵庫のものだけだが、どの都道府県であろうが大差はないはずである。要は、センター試験と似ているのだ。
 ここらへんでビギナー(beginner)の話を。「始める(begin)」という動詞が元になっているので、直訳すれば「始めたばかりの人」となるが、ご存知の通り「初心者」と訳す。日本語の方には「心」が入っていることに気付いたのが、私の大発見なのだ。一字ずつに分解して行くと「初めてのことに心が慣れていない者」ぐらいになるのではないだろうか。「心が慣れていない」というのは「心構えができていない」と言い換えられる。ビギナーズラックがそのまま日本語になっているのも、この「心」のことと関係しているのではないだろうか。そのような心の状態で得られた偶然の結果に価値など無いので、それに当たる言葉が存在しなかったのだ。
 去年の5月にゴルフを始めたのでもうすぐ1年になる。ある程度のレベルに達した上で、偉そうにゴルフを通して学んだことについて語るはずだったのだが、悲しいことにその機会はまだやってこない。停滞しているのにはいくつかの要因があるが、どういう練習をすれば上達するかが分かっていなかったことが最も影響している。そして、それは心の在り方との連関が強い。これについて詳しく述べるのは「その機会」が来たときに取っておく。
 読んでいただいている方には、読解問題と私の大発見との間にどのようなつながりがあるか掴めないはずなので、それらを結ぶために守破離の話を。辞書には次のようにある。「剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。『守』は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。『破』は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。『離』は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。」
 たとえば、日本人は「ノー」と言えない、と言われる。「いいえ」ではなく「ノー」となっていることからも、国内ではなく国際社会における問題として取り扱われていることが分かる。もっと言えば、国内だけの話であれば、そもそも「日本人」という必要が無い。ある文章では、「日本人は意思表示を明確にしないせいで、『日本人は何を考えているか分からない』と揶揄される」と否定的に語られる。一方で、「主張ばかりする人たちの中にあって、相手を思いやれる日本人の存在には希少価値がある」とまったく逆の立場から論を展開するものもある。私は上で「読解問題におけるやり取りを通して、その後に役立つ力をそれなりに付けてあげられたと自負しているからだ」と述べた。それは、本文がある事象に対して賛成の立場(A)を取っている場合、そのAをきっちり理解させるだけではなく、その対極にある反対の立場としてのB、さらにそのどちらでもないCに留まらず、一見関係の無さそうなPの話などをするように心掛けていたからだ。
 伝統芸能の世界では「見て盗む」と言われるが、見ているだけでその技が身に付くわけでは無い。そのような意味では、「見よう見真似」の方が適切かもしれない。記述をするとは、正に真似ることなのだ。ああでもこうでもない、と頭をひねりながら形にして行くことで、その文章が自分の中に染み込んでくる。頭ごなしに否定するのもどうかとは思うが、「天声人語」の書き写しをさせる国語の先生は、私に言わせれば意味不明である。それで力が付くなら、そんな楽なことは無い。
 15年も国語を教えているとそれなりの数の文章を読んでいる。一度目を通しただけで自分のものにできるわけではないが、同じ問題を何度も教えたり、その度に生徒たちといろいろなやり取りをしたり、時に『志高く』の中で自分の言葉で表現したりすることで、そこで扱われているテーマに対する考え「型」が輪郭を持つに至る。守破離についての文章は読んだことはある。もしかするとビギナーや初心者について書かれたものもあるのかもしれない。しかし、それらの違いについてのものはない。だから、俺は発見したぞ、型を破ったぞ、と喜んでいるのだ。誰かが、「それについて書かれた文章読んだことありますよ」と教えてくれても、私の中でその発見の価値が減じられるわけではない。そして、自らの力で発見した、という喜びが、「よし、これからも自分の頭で考えるぞ」というエネルギーになるのだ。
 要約作文や読解問題を通して、できる限り多くの型を子供たちの中にきちんと入れてあげたい。それに満足せずに、型を破って欲しい。そして、喜びを感じて欲しい。そのためには、論理的かつ自由な発想が求められる。その力を、意見作文を通して身に付けさせてあげたい。
 「二歩先三歩先」の一歩手前の話、の次は、二歩先三歩先、になるはずが、「二歩先三歩先」とは別の話、になってしまった。いつも通りだと言えば、それまでなのだが。

2022.04.12Vol.539 「二歩先三歩先」の一歩手前の話

 以前にアナウンスした通り4月19日はお休みになりますので、次回は26日となります。

 木曜、金曜辺りに次回のテーマは何にしようか、と考え始める。そのタイミングで「よし、あれで行こう」となることなど5回に1回もあれば良い方である。今回は月曜の朝から手を付けているが、下手をすれば火曜の朝の時点でテーマすら決まっていないこともある。いつもどこかに「何も思い浮かばなかったらどうしよう」という不安があるのだが、そんな時、「ああ、マッキー(槇原敬之)が覚せい剤に走ったのも何だか分かる気がする」と置かれている立場が違い過ぎることそっちのけで「何かを生み出す、って大変だよな。俺も中々頑張ってるよな」と同志気分を味わい、少しだけ心の痛みを和らげる。ちなみに水曜は、こと文章に関しては頭の中は空っぽであることがほとんどなのだが、その日の気分は前日のブログのできに大きく影響を受ける。自分の中で手応えがあればご機嫌になれるし、その逆であれば「あんなレベルのものを2, 3回続けたら誰も読まなくなってしまう」と恐怖感のようなものに襲われている。その恐怖の正体は自分でもはっきりと掴めてはいないが、おそらく「あいつは面白くない奴(つまらんことしか考えられない奴)だ」という評価を受けることに対してのもののような気がしている。
 話は変わる。志高塾の5月度1週目(4月18日(月)の週)から豊中校でも算数(数学)の授業を始める。当分の間は、国語の生徒がほとんどいない月曜、金曜の時間帯限定である。そのアナウンスに関しては、西宮北口校に算数だけ通っている生徒、以前から受講希望をしていた生徒の順番で既に行ってきて、来週、豊中校の全生徒のファイルにご案内のレターを挟めるはずである。もし、今後算数の生徒が増えて行くようであれば、改装を行い、国語と算数の部屋を分ける予定にしている。その枠が早い段階で全部埋まれば個人的には良い気分を味わえるのだろうが、それが広く生徒のためになるかはまったく別の話である。1つには、そのような状態だと既存の生徒は振替を取りづらいし、新たに希望する生徒の要望には応えられない。もう1つには、家、電気製品などと違い売って終わりではないからだ。もちろん、それらにもアフターフォローがありはするが、それは基本的には不具合が起こったときの話である。こと教育に関しては、アフターフォローという概念は存在しない。カタカナの言葉を充てるならコンスタントサプライといったところであろうか。良質な授業を提供し続けて初めて価値がある。そのような意味では、その生徒が卒業する段階になって価値があったかどうかが決定するのだ。正確には、もっと先かもしれない。大人になってから役立つ力を付けたい、というのが私の根底にあるからだ。
 高槻校は、開校後1年を経てようやく20人に届こうかというところである。机の数からすると、80人までであれば余裕を持って受け入れられるので、キャパシティの4分の1程度である。一般的な経営者であれば、「2年以内に初期投資を回収するためには、この夏までに少なくとも生徒を40人にしなければならない。足りない分を補うために何かキャンペーンを考えるか、今いる生徒にコマ数増の提案をするなりしろ。もし、目標を達成できれば、オーバーした金額の20%はボーナスを出すからどうにかしてやり切れ!」などと教室長に指示するはずである。文字にすると実に嫌な感じがするが、当たらずとも遠からずの塾は少なくないはずである。
 ここからは今日になって付け足した分である。昨日の晩、医学部に通う6回生の元生徒の女の子と飲みに行った。彼女は、3姉弟の長女で2007年の7月に3年生で入塾している。2007年4月に志高塾は開校しているので1年目のことである。8歳の頃に出会って現在23歳なのでちょっぴり不思議な感じがする。結果的に3人とも通わせてくださったのだが、昨日、次のような話を初めて聞いた。新聞折込のちらしを見たお父様が「この塾に体験に行かせてみたい」とお母様に伝えたらしいのだが、子供の習い事に関してそのような意思表示をしたのは後にも先にもその一度だけだったとのこと。私は時々お迎えに来られるそのお父様と話をするのが好きだった。そして、今日偶然にも同じ2007年7月に2年生で入塾した男の子のお母様から久しぶりに連絡をいただいた。5年以上は空いているはずである。志高塾から電車で1時間以上かかるところに引越しをした高3になるタイミングで彼は辞めることになった。その彼には年の離れた現在4年生の弟がいるのだが、先日そのお兄ちゃんが国語を教えていて、「これは志高塾に通わせなあかん」となったらしい。生徒が増えるに越したことはない。しかし、そんなことよりも、5年後、10年後にも今日のように自慢げに語れるエピソードがある塾でありたい。
 次回は4回に1回の長編である。2週間後のことなのでどうなるかは分からないが、現時点では「「よし、次回こそは『二歩先三歩先』で行こう」となっている。

2022.04.05Vol.538 ジャイアン根性

 中3の8月から高3の9月まで通った生徒のお母様から、「無事に第一志望の一橋大学に合格しました」との連絡をいただいた。9月で辞めた、という方が正確な表現であろう。高3になるまで入塾後ずっと私が彼の月間報告の責任者を続けてきたという認識だったのだが、今調べてみると途中1年以上他の講師に任せていたことが判明した。「人の」がどうかはさておき、少なくとも「私の」記憶なんてその程度のものなのだろう。ただ、そのように錯覚するぐらい私が直接教える機会が多かったのは紛れもない事実のはずである、きっと。
 彼のその中途半端なタイミングでの退塾は私にとって痛恨の極みであった。「あぁ、俺はあそこで完全に判断を誤ったな」と。大学受験に向けての最後の1年間は、過去問対策を含めた読解問題の指導が主になるので、なんちゃって国語先生を地で行く私より他の講師の方が結果に結び付けられる、と考えて、その時点で手を引いてしまったからだ。夏休み以降は過去問を通して実力を付けていきたいと考えた彼にとって、時々過去問を組み込みはするものの地力を付けるためにもう少し基礎的な問題を解いた方が良いとの講師の考えは受け入れられずにそのような幕引きになってしまった。これに関してはどちらかが正しくて、一方がそうでない、ということではない。1つ確かなのは、彼の望むものと別のものを勧めるのであれば、彼の言い分をよく聞いた上で、彼自身が納得できる説明をしなければならなかった、ということである。じめっとした話はこここらへんで止めておこう。
 そのお電話で嬉しいお言葉をいただいた。「辞めた後にどこかの塾で国語を習ったわけでは無く、社会も2次試験は記述がメインなので志高塾で学んだことが役立ったはずである」、「先生に月間報告で書いていただいたことは、今後(本人が読み返した時に)役立つ気がしています」などなど。すぐに調子に乗る性格ゆえに、いつもであれば「何も大したことはしていませんので」と真に受けないように気を付けているのだが、ことこれに関しては、ある程度までの拡大解釈を許してもらった上で全部素直に受け入れることにした。
 就職活動に始まり社会人生活を通して、人間として決定的に欠落している部分があることを私は嫌というほど思い知らされた。幼い頃からもっとこういう教育を受けられていたら少しはましな人間になれていたかもしれない、の「こういう」が志高塾の教育方針の元となっている。過去を嘆いて終わっているわけでは無く、目下必死にその穴埋めをしている最中である。その若かりし頃、彼我の差を実感させられた一人に就活中に出会った一橋の学生がいた。彼とは何人かで2,3回お酒を飲んだ程度の仲なので今となっては名前も覚えていないが、自己主張を繰り返す私に対して、彼は人の話にもきちんと耳を傾けた上で自分の意見を柔らかく展開していた。もちろん、論理的に。それはそれは決定的な違いであった。
 あるグループに対するイメージと言うのは、自分が直接知っている人を元に形作られる。私にとっての一橋の1人目は彼だったので、最初からかなり高い位置に設定された。2人目はというと、その元生徒のお父様である。そのお父様は東京で単身赴任中ということもあり、個人面談を一度ズームでさせていただいただけなのだが、一橋出身の人ってやっぱこうだよなぁ、と再認識する話し方をされていた。そもそも人生経験自体も圧倒的に違うのであるが。直接話す機会はその一度だけだったのだが、それまでにも月間報告に毎月目を通してくださっていること、その内容を評価してくださっていることをお母様からお聞きしていた。社会の第一線で活躍されていることを存じていたこともあり、その言葉に随分と励まされたものである。
 彼の受験の話に戻そう。早慶に合わせて3つ出願していたらしいのだが、一橋にできる限りエネルギーを割くために、結果的には教科数も少なく極力負担の少ない1つだけしか受けなかったとのこと。もちろん合格している。私はそういう受験を好む。実際、私が受験生の頃、京大が第一志望でボーダーライン上にいるにも関わらず、滑り止めで関西からわざわざ早慶を受けに行く連中が信じられなかった。行き帰りのことを考えると、少なくとも丸2日間は取られてしまうからだ。そもそも滑らなければ、滑り止めは必要ないのだ。残り1年の時点で、さすがに一橋は厳しそうだ、というのが私の見立てだったのだが、持ち前の頑固さ、もとい、強い意志で合格を勝ち取った。それは間違いなく賞賛に値する。受験は強さだけでどうにかなるが、社会に出てから活躍するためにはそれにしなやかさを加えた強靭な意志が必要となる。大学生活を通して、是非そのようなものを身に付けて行って欲しい。お母様には、大学生版の「十人十色」である「beforeとafterの間」のこともお話しした。いつか一皮も二皮も向けた彼の姿を見たいものである。それを目の当たりにした暁には、少なからずその基礎作りには自分が関わったと思い込むことにしよう。「お前のものは俺のもの」的発想である。

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