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【卒業講師】山﨑薫(やまさきかおる)

【卒業講師】山﨑薫(やまさきかおる)

伊丹北高等学校卒業
大阪大学文学部人文学科卒業
現職;ウェブライター
勤務期間;大学2年生の10月~大学4年生の2月、2025年6月~現在

2026.06.02

思い描いた形ではないからこそ

2年半学生講師として勤務していた頃は「社会で経験を積んで、結婚、出産の後にご縁があれば志高塾に戻ってきたい」と薄っすら思い描いていました。それから大学を卒業し、他社に3年間勤めていましたが、紆余曲折あり昨年教室に戻ってきました。学生講師ではない一方「社会人講師」と呼ぶにはあまりにも未熟な経歴で出戻った自身にできることを模索する日々です。まずはその選択をした自身だからこそ持てる視点を自覚し、社員、学生講師、社会人講師の間で交わされるやりとりをより活発にする役割が果たせるように尽力していきます。

意見作文

※卒業講師には、現役生徒の参考になるよう教室で扱っている意見作文のテーマの中から1つを選択し、作文を寄稿してもらっています。

選択テーマ:「サプライズ」についてどう思いますか?自分の体験を踏まえてあなたの意見を述べてください。

パンの字が読めない。社会人3年目の夏、退勤途中に寄ったコンビニで私は茫然としていた。陳列されている袋に印字された商品名が1つも解読できない。もちろん棚の目の前に立っているにもかかわらず、だ。感覚としては、海外旅行の際に偶然立ち寄ったスーパーで見た光景に近かった気がする。茶色い生地、表面にかかったチョコやクリーム、これまでに何度も見て来たことから「パン」と認識できているが、それがなんという商品名で、いくら払えば食べられるのかが数秒凝視しても分からないのだ。数日後、出勤して真っ先に確認するチャットアプリが普段通り使えなくなった。100字に満たない文章がスッと理解できない。数週間後、私は職場で意識を失い、そこから約9カ月間休職することになる。

コンビニでの一件は、人生最大の「サプライズ」だった。部活を引退するときに貰った寄せ書き、友人と入った飲食店で突然出てきたバースデープレート、D判定で挑んだ末の志望大学からの合格通知。過去にも驚く出来事は何度もあったが、今振り返ればそれらはすべてサプライズもどきだったのだ。後輩からもらったメッセージは前年私も先輩に書いていたもので、友人が祝ってくれたのは私が彼女に同じようにしたことがきっかけかもしれない。第1志望を変えなかったのも結局は「受かるかもしれない」という可能性に賭けたからだ。目を見開いておきながら、どれも妙な期待があったに違いない。

一方、本当の「サプライズ」はいくら経過しても色褪せない。未だにあの陳列棚を思い出すと背筋に変な汗が伝っていくような感覚になる。目についたパンを手に取り、持っていく、という自分にとって単純なはずの行動ができない。予期せぬ現実に食欲が失せて帰るしかなかった。だからその翌月、医師から適応障害と診断されたときには「あぁ、そっか」と妙に納得していた。あのとき不意を突かれたことで「もしかすると、今の自分は『自分』じゃないのかもしれない」と気付いていたからだ。ただ、当時の私は自覚していたにもかかわらず、何の手も打たなかった。「気のせい、まだやれる」と自身のキャパシティを見誤り、前職の同僚や上司には随分と迷惑をかけてしまった。だからこそ、今後直面する「サプライズ」は、その時に受けた衝撃を一時的なものだと捉えないようにしたい。ただし、それは「トラウマ」と認識されるものとは全くの別物だ。

療養に専念するよう勧められた約半年間、私は生まれて初めて心療内科へ通院し、そこで実施される「リワークプログラム」に参加した。このリワークは、平日5日、1日6時間を休職中の患者や臨床心理士と過ごす復職支援プログラムである。医療機関や民間事業者など運営団体はいくつかあるが、全国に200箇所以上あるそこでは、私と同じような境遇の会社員たちがクリニック内で職場を模した組織となり、社会復帰を目指す。そのなかで今に至るまでの自身の行動を振り返り、復職に必要な力を養うというのが目的であった。私は調子を崩すまで、労働環境に順応するために経験しておくべきことはもちろん、このような集団療法があることすら知らなかった。なぜ休職に至ったのか、なぜ無理をしたのか、なぜ社会復帰を目指すのか。リワークでは「なぜ」と問われることが多かった。クリニック側の規定で詳細を明かすことはできないが、それらにただ答えるのではなく、時にはともに過ごすリワーク内の同僚に私から尋ねる時間もあった。一言で即答できるわけもないそれらに対して、周囲の声に耳を傾けながら自分なりの考えを導き出す。喉がつっかえて言葉にならないときは、とりあえず書く。今となっては、それらの経験は志高塾でアルバイトをしていた頃とどこか似ていた。

できることなら、あのコンビニで遭ったような衝撃は二度と経験したくない。正直、まだコンビニでパンを選ぶ瞬間は「また読めなくなったら」という不安が脳裏を掠める。「サプライズ」とは単なる予想外の出来事ではなく、ある日突然、これまでの自分に刷り込まれた価値観や固定概念を粉々にしてしまうほどの影響力があるものだ。とはいえ、リワークを通じて、私はその体験を共有する術を知った。たとえ1人でそれと対峙しなければならなくなったとしても、誰かのフィルターを通して眺めることは許される。自分とは異なる考え方、生き方に触れるというのは、こういう瞬間のことを指すのかもしれない。

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