
2019.10.15Vol.418 4分の0の可能性
土曜日、バカな中学受験生3人を授業前に帰した。関西人は「アホ」と言われても基本的には腹を立てないが、「バカ」はそうではない。否定の意味合いが強いからだ。正確には、ホンマにバカなのが2人とそれに巻き込まれたバカが1人と言ったところである。志高塾では過去問を解く際に3分多く時間を取る。その3分間は、何に気を付けて解くべきかを考えるために設けてある。その時間中にあろうことか、その3人がおしゃべりをしていたのだ。1人は話しかけられたので、ある意味被害者ともいえる。だが、「No」と断れないのはやはりバカである。
去年、高3の生徒が「先生、この時期、毎年生徒を帰らせるよな」と私に話していた。中1の頃から通っていたので、繰り返される光景をずっと見てきていたのだ。何も「よーっし、この時期がやって来たぞ。今年は誰から行くか」と腕まくりをするわけではない。春や夏にそういうことがないわけではないが、本格化するのは“この時期”である。ただ、平年はそれが11月末ぐらいからである。夏休み明けから10月の前半ぐらいまでは、残暑、運動会の影響などで一度リズムが崩れる。それを折り込んでいるので、その間、私はあまり厳しくない。落ちたところから、3か月をかけてピークに持って行けばいいだけのことなのだ。“この時期”が1か月以上も前倒しされたのには意味がある。その3人は六甲を目指していて、誰にも余裕などないからだ。きちんとデータを取っているわけではないが、過去15人以上受けて落ちたのは2人である。やるべきことをきちんとすれば合格する。そこにいなかった1人も含め、現状、今年は4分の0の可能性もありうる。通常は、4人いれば2人は合格間違いなし(A)、1人は合格するであろう(B)、1人はやるべきことを積み上げれば合格まで持って行ける(C)といった割合になる。六甲に限らず中学受験生全体で大抵このような割合になるのだが、西宮北口校で見ても、今年はAが1、Bが1、Cが2と言った割合である。Aが1、Bが2、Cが1で真ん中の層が分厚いのであればまだいいのだが、Cが重いのは中々厳しい。ちなみに、六甲の4人の内訳はBが1、Cが3である。これは、進学塾のテストにおける判定結果を基にしているわけではなく、私の感覚的なものである。
「Cが重いのは中々厳しい」と述べた。「そりゃAが分厚ければ戦いやすいだろうし、逆にCが多ければその分苦戦する」というのは当たり前である。もし、例年より高みを目指している生徒が多くて割合が崩れているのであれば、「いっちょやってやるか」と1つずつ前向きに手を打っていくだけの話である。Cが膨らんでいるのは、単に取り組み方が良くないせいでBにも入れていないだけのことである。そこを改善していかないといけないにも関わらず、冒頭のようにふざけるから逆鱗に触れるのだ。
勝負というのは、真剣に挑まなければそこから得るものはない。ある6年生が夏休み明けに急に芦屋国際を受験すると言い出したので、お母様からお休みに関する電話があった際に「受験をするのであれば言ってください。きちんと対策をするので」というようなことを伝えたところ、「ただ受けるだけですので、うちは後回しにして他の受験生を優先させてあげてください」とおっしゃった。まず、同じ授業料をいただいているのに、優先も後回しもない。受験するかどうかも関係ない。そのために、同額にしているのだ。私からすると、時間は同じなのに、学年ごとで値段が違うのは意味不明である。おそらく受験をするに至った経緯はこうである。「志高塾で作文を習っているので、それだけで受験ができる芦屋国際を目指そう。同じやるなら目標があった方がいい」。真に記念受験の類になるのであろう。そうであっても、できる限りのことをするべきである。それは、合格に持って行くために授業時間を増やしましょう、という意味ではない。週1コマ90分の授業の中で、やるべき手を打つのだ。そうすれば、不合格であっても、悔しさを感じられるはずである。そうなれば自分に何が足りなかったのか、次に同じような時があればどのような準備をすればいいかが分かるきっかけになる。元々、お母様が彼を入塾させたのは「我が子はマイナーなスポーツをやっています。上の学年のお子さんがインタビューをされたときにきちんと話をされていました。少しでも多くの人に知ってもらうためには、そのような広報活動が重要で、それをできる子になって欲しいのです」という理由であった。勉強だけではなくスポーツなど他のことにも生きるようにしてあげたい。何回かたまっている振替も受験直前に持ってきましょう、という話をした。
Aの生徒が不合格になることがある。それに対して「まさかあの子が」と言われるのだが、それは落ちるべくして落ちているのだ。準備の段階で、間違いなく気を抜いていたり変に気負ったりしているのだ。小学生が勝負所を見極めるのは容易なことではない。「今がその時」という私自身の判断も正しいかどうかは分からない。でも、勝負所というのがあって、その時にはエネルギーを結集させる必要があることを伝えてあげたい。そういう経験をきちんと積み上げて行けば、結果を残せる大人になっていくはずである。