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2024.01.30Vol.625 リアルオンライン元年

 今週から生活が一変する。大袈裟だが、結構真剣にそう考えている。1週間の予定を考えるとき、私はこのブログのことを一番意識する。週1回、小学校に教えに行くようになって4年目に突入している。始めるにあたり希望の曜日を聞かれたので、月曜と答えた。前日に外せない予定を入れることで、遅くともそのタイミングで文章に手を付けると踏んだからだ。私が担当しているのは3, 4時間目なので、起きてから授業が始まる11時前までそれなりに余裕がある。その時間とその後の夕方の授業までの時間を活用しようと考えたのだ。予定が無ければ釣りやゴルフを入れてしまいかねない。そうなれば夕方の授業までの時間はほぼゼロになる。しかし、期待したような成果が得られなかっため、今年度の春に水曜への変更をお願いした。月曜を丸々空けるためである。気づけばそのようなことは減ったが、1年ぐらい前までは、自己嫌悪に陥るぐらい納得の行くように文章が仕上がらず、字数制限を設けるなどいろいろとあがいていた。曜日変更も、その状況から脱出するための苦肉の策の一環だったのだ。その私立の学校では、我々は受験生を担当している。ほぼ100%の生徒が受験することもあり、冬休み明け初回の授業に来る生徒はほとんどいない。それもあり、年明けとともに我々の受け持ちは5年生になる。年度の途中で時間割を動かせなかったからなのか、1週間前に「火曜にしてもらえないでしょうか?」という電話が学校から掛かって来た。「ブログがあるので無理です」なんて格好悪いことは言え無いので、「分かりました」と承諾した。生徒たちが、ものすごく小さなことを理由に、「できません」もしくは「できるか分かりません」と答えたときに「そんなちっちゃなことをいう奴は、何やってもできへん」と日頃から注意しているので、「できません」とは返せなかった。
 冒頭の段落は、先週の時点でほぼ書き上がっていたものである。案の定、些細な変化にうまく対応できなかった。上の内容を入れ込もうとすると全体としてのまとまりがなくなり、削りはしたもののそれでもやはりだめで、「これ以上やっても無理」ということで夕方ぐらいにアップした。そういうことが2, 3度続くと、自己嫌悪が足音を立てて近づいて来る。
 ここからは気持ちを切り替えて前向きに。「リアルオンライン元年」というタイトルは気に入っている。興味を持ってもらえればという条件付きではあるが、読者が「リアル」ってどういう意味だろう、となる可能性がそれなりにあるからだ。ちなみに、このテーマは、年始の内部配布かブログの『志高く』に持ってくる予定にしていたのだが、他にもっと書きたいことが出たために、この1月末のタイミングまで出番が回って来なかった。約10年前に、生徒が中国に引っ越したことを機にオンライン授業を始めた。時差がほとんどないため、教室での夕方の授業と重ならないように、確か日本時間の朝7時開始にしていたはずである。オンラインで続けさせたい、という親御様の要望に応えるだけではなく、オンラインでも授業の質を落とさずにできるか、その可能性を探ることも目的としていた。当初1, 2年の予定であったが、結局4年続いたはずである。その間の授業はすべて私が行った。質が担保できることは確認できたのだが、それを拡大させるための手を打たなかった。今年はそれに力を入れる。本当の意味でのオンライン1年目、つまりリアル元年ということになる。
 現在、愛媛、岡山、アメリカ、シンガポールに各1人ずつの生徒がいる。彼らはすべて教室で授業を受けた移行している。これまでは通常の授業と切り離してオンライン授業を別の空間で行っていたのだが、今後はそれを融合する。今年に入って実際、岡山にいる生徒の数学の授業はそのような形で行い、今後もそれを継続して行く。特別なことをするわけではなく、通常の授業を行っている机の1つにパソコンを1つ置くだけのことである。対面で行う通常の授業に近い形で行うので、リアルオンラインということになる。これが2つ目のリアル。
 上で「今年はそれに力を入れる」を述べたが、この1年間で新たに10人も集まれば御の字である。リアル元年なので、生徒数を増やすことよりも、まずは質の高い授業をきちんと行えたという経験を積み上げて行きたい。これまでと決定的に違うのは、面と向かって会ったことが無い状態で始めることである。やってみないと何が起こるか分からないので、それに関しはあれこれ考えずに、とにかく授業の質を上げるためにできることをするのみである。
 どのように生徒を募集して良いのかもまったく分かっていない。現状、ネット広告を出す場合、西宮北口校であれば、西宮、尼崎、宝塚、神戸など教室からある程度の範囲にある市町村に絞っている。それがオンラインとなると、ある意味世界のすべてが対象になる。昨日体験授業に来られた方は数年前までマレーシアのクアラルンプールに住んでいた。現地の日本語学校は、小学校で1学年当たり4, 5クラスもあったということを教えていただいた。インターナショナルスクールに通っている子も含めると、当然のことながらさらに増える。まずは、日本と時差の少ない東アジア、東南アジアの首都を対象にするのが良いのかもしれない、と昨日から今日に掛けて考えている。西宮北口校では、ある中高生の生徒と意見作文に関するやり取りをしていると、学校も学年も違う生徒がそこに加わって、3、4人でいろいろな意見を出し合うということが事前発生的に起こる。そこにオンラインの生徒も絡んでくると、さらに活発化して、楽しい議論に発展しそうである。そういう日は訪れるのだろうか。訪れるとしたらいつになるのだろうか。

2024.01.23Vol.624 アピール失敗の話からの数字の話

 記念号である。算数の授業中に、「この数字見て何か思わんか?」と生徒たちに投げ掛けても、答えが返って来たためしがない。それもそのはず、彼らが私の誕生日が6月24日であることなど知る由もないからだ。中学生の頃だっただろうか、「今日、俺の誕生日やねん」と女子にアピールすると、「美空ひばりの命日と一緒やん」だけで終わったことがあった。「何でそんなこと知ってねん」となったのだが、今思えば、当日の朝のワイドショーか、前の晩に特集番組でも見ていたのであろう。算数において、624が答えになることが多い気がしているのだが、他の数字を意識していないので相対的にどうなのかは分からない。
 親御様から「くもんの算数ってどうですか?計算は早くなりますよね」というようなことを尋ねられることは少なくない。大抵は、「可もなく不可もなくです」と返す。早くなるのは間違いない。絵画教室に通えば以前より絵はうまくなるし、体操教室であればきれいに側転ができるぐらいにはなるであろう。それと同じである。ここで気を付けるべきことがいくつかある。まず、それによって失われる時間があること。体験授業に来られた2, 3年生ぐらいの親御様から「早く始めた方が良いですか?」と聞かれると、「進学塾の国語の授業を受けるのであれば、間違いなくうちです。ただ、外で遊ぶのと比べるとどちらが良いかは分かりません。」というような返答をする。その子が、他に習い事をどれぐらいしているのか、その中で勉強系のものがどれぐらい占めているかによっても勧め方は変わってくる。「すぐに始めることで他のお子さんより先んじることができます」、「お子さんのできからすると、今からやっても遅いぐらいです」と、その気にさせたり脅したりだけはしないように気を付けている。次に、そこで得られた計算力にどれだけの価値があるかということ。計算が少しできるになった代わりに、計算=算数だと思うようになってしまえば本末転倒である。「文章題は好きだけど、計算は苦手」という子と「計算は得意だけど、文章題は嫌い」という子のどちらの方が伸びるかは明らかである。また、計算力を付けるのに他の方法は無いかのか、ということも考えておかなければならない。そろばんに代表されるように代替手段があることは明らかなので、「もっと効果的な方法が他に無いのか?」という問いが適切である。一番良いのは、算数の文章題などを解いていく中で身に付けて行くことである。それで不十分であったときに、計算問題で補強して行くというイメージである。計算力自体もそうなのだが、それと同等、もしくはそれ以上に大事なことがある。たとえば、0.7×0.6の答えを4.2としていたとき、「明らかにおかしいけど、なんでか分かる?」と質問することがある。「0.7に1より小さい0.6を掛けたら、0.7より小さくならないといけないから」というのが正解である。これを単に「小数点の移動のさせ方のミス」だけで終わらせると、いつまで経っても感覚は磨かれて行かない。その他、速さの問題を解いている生徒に「『駅から徒歩何分』という表示を見かけたことがあると思うけどけど、『1分当たり何メートルで計算しているか知ってる?』」と聞くことがある。正解は80メートルである。それが分かっていれば、もし算数の問題で歩く速さ20メートルと出て来たときには「おかしいかも?」とならなければならない。ちなみに、受験でそんな問題を出す学校は非常識である。当の私はくもんに1年生の終わりから約3年間通った。それは、毎日のように一緒に野球やサッカー、探偵などをして遊んでいた2学年上の子が習っていたので、「その時間遊べないなら」ということで付いて行ったことがきっかけである。その前から計算はできていたので、わざわざ通わなくても正確性も速さも大して変わらなかった気がしている。単純作業なので面白くなかった。それもあって、3人の息子たちは誰一人として通わせていない。
 計算の話で言えば、父に教えてもらった車のナンバーの4桁の数字を使って、10を作る遊びをよくやっていた。たとえば、「38-22」であれば、「3+8-2÷2」、「8×2-3×2」、「3×2+8÷2」などが考えられる。「38-22」は適当に出したものだが意外とパターンがあった。できても1つしかないものも多く、まったくできないものもある。並んだ数字を見た瞬間に、何となくできるかできないかという判断ができるのもまた感覚である。それ以外には、デジタル時計を使ってのものがある。サンテレビで放映があるときは、開始から阪神の試合を見ていた。少なくとも私が2年生のときは我が家のテレビにはリモコンが無かった。CMはもちろんのこと、野球は間の時間が長い。テレビのところまで行ってチャンネルを変えるのも面倒だし、その間やることもないので、テレビの上の時計を見ながら計算をしていた。「7:52」であれば、52を7で割ったら余りが3で、4分後にはちょうど割り切れるな、ということであったり、何の数字で割れるか(何の倍数か)を探したりしていた。その当時、私が読書の楽しさを知っていたら、本を読みながら、チャンスやピンチの時だけテレビの方に目をやり、投球と投球の間には計算をするみたいになっていたかもしれない。そうすれば、もっと優秀な人間になっていたはずだ、きっと。
 自分の誕生日と関わる数字には、多くの人が愛着を持っているのではないだろうか。私の場合は、並び替えたら2, 4, 6と等差数列になり、24は6の倍数で、2+4=6となるので、良い数字だなぁ、と昔から思っていた。高校入学後、最初の数学の授業で、先生が確か美しい数字の話をしてくださった。どういう話であったかは忘れてしまったが、勉強とは別に、上のように自分がやっていた数字の遊びを褒められた気がして、何だか嬉しかったのを覚えている。そして、授業もやはり面白かった。自分が好きだったその先生に認められたくて数学の勉強を頑張った。先生とは、そういう存在であるべきなのであろう。

2024.01.16Vol.623 こういうときはあれ

 「こういうとき」とは何らかの理由で、どうにもならないぐらいに思考力が低下しているか、気力が枯渇しかけているか、もしくはその両方のときである。「あれ」とは人の文章をそのまま掲載する熟練の技のことを指している。
 今回は、「高円宮杯第75回全日本中学校英語弁論大会」に出場した中3の生徒の英語のスピーチ原稿を紹介し、その後に日本語訳、そして、最後に、ほぼ空っぽに近い心のエネルギーを使い切って、ギーコギーコと軋みを上げながら頭をどうにか回転させて私の感想を述べる。このタイミングで、「こういうとき」が訪れることは分かっていたので、去年の12月上旬の時点で、日本語訳を出して欲しい、というお願いをしていた。では、お楽しみください。

The Key: Mock Elections
As a Japanese girl, I am really not happy with the current gender gap, and I think that one way to close this gap is to have women more involved in politics.
Let’s start with family. Have you ever heard the term “family service”? It is a term used when men take time off to do something for their families. Due to women’s growing participation in society, men have to take on more family responsibilities. Why is there a special term for men, while women are taken for granted? This is just one example of gender inequality that I noticed. It is time for both men and women to be viewed as equal and to get rid of phrases that praise one gender over the other.
I have found inequality in politics as well. In a recent election, I was shocked by the low number of women politicians in Japan. Today, the strong sense of “Politics is for men” continues to cast a shadow preventing an increase in women legislators. Surprisingly, according to the Gender Equality Bureau, the percentage of female legislators in Japan in 2023 is only 15%. This was the same as Sweden in 1970. However, Sweden has raised that almost three times to 46% in the past 50 years. In The Gender Gap Index published by the World Economic Forum, Sweden is ranked 5th while Japan is 125th out of 146 countries.
Last year, as a student council officer, I was engaged in school politics. After conducting a survey, we put forward a proposal to place sanitary products in the school restrooms. We could easily make this suggestion, largely in part because our school is an all-girls school, but I realize girls may encounter hurdles in expressing their opinions in broader society.
The key to solving this is us younger people. Japanese policy is more oriented toward the elderly. According to the Ministry of Internal Affairs and Communications, the voter turnout of people in their sixties is the highest, at about 70%. While women turnout is currently less than 50%. If we raise this percentage, it will help bridge the gender gap. To do this, I would like to help educate those under the age of 18 about politics in a fun way. Implementing mock elections could work. A mock election is a pretend voting event to practice voting for actual elections. I’m targeting those who do not have the privilege to vote yet, because the gender gap problem needs to be solved through long term action. I hope by doing this, students will naturally become more interested in politics. I am also hoping that other schools in the Kansai area would join me in trying mock elections, too.
Japanese politicians won’t make changes unless we act ourselves. I, as a future voter and a woman, decided to face this issue. Why don’t we start by thinking about what gender gaps there are within Japanese society today. Even better, join me in holding a mock election in your school. I believe small events can lead to big changes.
(511 words)

「鍵は、模擬選挙にある」
 私は日本人女性として、日本の男女平等の現状に対して不満を抱いています。そこで、この男女格差を縮める一つの方法として、女性の政治参加を活発にするための方策を提案します。
 まず、身近な家族のことから考えてみましょう。皆さんは「家族サービス」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。これは男性が家族のために何かをするときに使われる言葉です。女性の社会進出の拡大と共に、男性は家庭の一員としての責任をより多く負わなければならなくなっています。家族のために時間を使うことは、女性にとっては当然のこととして考えられています。それなのにどうして男性だけに特別な言葉があるのでしょうか。これは私が気づいた男女不平等の一例にすぎません。いま、男性と女性の両方が同じ立場とみなされ、一方の性別を他方よりも称賛するような表現がなくなる時が来ているのです。
 さらに、この不平等は政治の世界にも伺えます。私は、日本における女性政治家の少なさに衝撃を受けました。日本では現在も「政治は男性のもの」という認識が根強く、それが女性議員の増加を阻んでいます。驚くべきことに、男女共同参画局によると、2023年の日本の国会議員における女性の割合はわずか14%です。この数字は1970年時点のスウェーデンと同じなのです。しかしながら、スウェーデンは過去 50 年間でこれをほぼ 3 倍の 46% に引き上げました。また、世界経済フォーラムが発表したジェンダーギャップ指数では、スウェーデンは146カ国中5位、日本は125位となっています。
 昨年度、私は生徒会役員として学校運営に携わりました。 アンケート調査を実施したのち、私たちは学校のお手洗いに生理用品を置くことを学校に上申しました。このような提案が容易にできたのは、女子校であるということが前提にあります。しかし、一般的な社会では、女性は自分の意見を表に出すことを躊躇してしまうのではないかと考えています。
 この問題を解決する鍵は私たち若い世代にあります。日本の政策は今、高齢者をより重視したものになっています。それは投票率と関係しています。総務省によると、60代の投票率が最も高く約70%です。一方、男女別のデータに注目すると女性のそれは現在50%にも満たないのです。この割合を高めることができれば、男女間の差を近づけるのに役立つと私は思います。そのために、政治を18歳以下の人たちにとって身近なものにしていきたいのです。模擬選挙の実施は効果をもたらすでしょう。ここでの模擬選挙とは、国政選挙と同じタイミングで、それを校内で行うことを意味しています。このように選挙権を持たない未成年を対象にしているのは、ジェンダーギャップ問題の解決には長期的な視点、取り組みが必要だからです。この取り組みによって、生徒たちの政治への関心が高まることを期待しています。また、関西地域の他の学校も巻き込みたいと考えています。
 私たちが自ら行動しない限り、日本の政治が変わることはありません。私は将来の有権者として、そして女性として、この問題に向き合うことを決めました。今の日本社会にどのような男女格差があるのかを知ることから始めてみませんか。そして、あなたの学校でも模擬選挙を行ってみませんか。ほんの小さな取り組みでも、大きな進歩につながると信じています。

 彼女は、兵庫県で20人中3位に入り、東京での決勝予選大会への出場権を得た。そして、151人(東京、大阪は5名、などの例外はあるものの、基本的に47都道府県から3名ずつ)の中から27人だけが選抜される決勝大会に進出し、最終的には10位に輝いた。
 計測できないことなので、単なる私の感覚に過ぎないのだが、全出場者の中でも、アイデアを練るのに彼女が費やした時間は3本の指には入るはずである。1番であっても不思議ではない。それだけ、考えては調べて、考え直しては調べ直して、を繰り返していた。英語の弁論大会なので、英語のスピーチの練習も含めたトータルの時間となるとどうなるかは分からない。
 決勝大会まで進んだことで彼女は貴重な体験を重ねることができたが、まだ終わってはいない。模擬選挙を実施して一区切りとなる。衆議院選挙は解散によって時期は変わるが、少なくとも来年の7月に参議院選挙は行われる。ちょうど私が夏期講習の時間割を組むのに四苦八苦している頃である。1年半後の「こういうとき」に、その成果を報告する機会があることを期待している。
 中高一貫に通っている生徒は、特に中3、高1の2年間で何かしら「経験」と呼べる機会を持つことが大事だ、と最近考えるようになった。高2からは大学受験を意識し始めるし、逆に中2ぐらいまでは大したこともできないので、その真ん中の2年がちょうど良いのだ。推薦入試の履歴書に書くことを目的にやりたくも無いことに時間を費やすのはもったいない。ただ、推薦入試を受けるかどうかはさておき、履歴書に書けるような何かをやろう、というところから対象となるものを探し始めて、その条件を満たした上で、かつ自分が興味が持てそう、それによって成長できそう、となったら、是非やって欲しい。第3者として望んで終わりではなく、何かしら具体的な働きかけもしていきたい。そのために、そういう類の活動に現時点で参加している生徒たちから情報を集めているところである。
 最後に、以下のページから決勝大会の全スピーチを動画で見られます。お時間のある方は、是非ご覧になってください。
https://jnsafund.org/

2024.01.09Vol.622 中学受験の結果が出るとき

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 前回、元生徒と今もつながっていることを嬉しそうにいくつか報告した。それとは別に、大学1回生の元生徒が年末に顔を出し、大学に入ってからのこと、これからのことを話して帰って行った。その内容を聞いて、昨年7月に初めて開催した『beforeとafterの間』のスピーカーをお願いしたところ、快諾してくれた。彼女は、バイオベンチャーを立ち上げることを目指している。夢ではなく、それを目標として既に動き出しているのだ。志高塾の生徒が「いつか自分もあそこで話したい」と思ってもらえるように、今後、5回、10回と回数を重ねて行きたい。もちろん、皆が皆そうなれるわけではないし、そうなる必要もない。それぞれがそれぞれらしく生きて行けるように、その基礎を少しでも志高塾で築いてあげたい。
 年末だったか年始だったか、ふと、「あれ、俺、大谷翔平に勝るとも劣らないんちゃうか」となった。睡眠時間の話である。例年、冬休みから中学受験が終わるまでの1か月弱は、仕事以外の時間はできる限り寝ることに費やす。体調を崩せないのはもちろんのこと、仕事をしているときに100%の力を出し切らないといけないからだ。ほとんどの日は21時前に、早いときは19時台に布団に入るため、夜中に目が覚めて時間を確認すると日付が変わっていないこともよくある。大谷の言葉を借りれば、「睡眠は質より量」なので、それで良いのだ。ただ、仕事のために最大限体力を温存するのが短期間でしかなく、その間もお酒は止められない。それらは、埋めようのない本家との大きな大きな差である。
 ここで、今年の箱根駅伝で下馬評を覆し、見事総合優勝を飾った青山学院大学陸上競技部監督の原晋の記事を紹介する。そう言えば、去年から始めたXだが、投稿しないままに数か月が過ぎている。気になった記事があれば保存していて、「これ紹介しようかな」となることはよくあるのだが、そのことにどれだけの意味があるのだろうか、と二の足を踏んでいる。今回のように、記事と絡めながらある程度のボリュームで話を展開する方が私の性には合っている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/22c370d5a1efd326f02ba373abdfe8a106d4aa22

 スカウトする高校生の保護者に対して、私はこのようなことを必ず伝えます。
 「お子さんをお預かりする以上は、責任を持って陸上の成績が伸びるように全力を尽くします。しかし、あくまでも生身の体で勝負するのが陸上競技です。箱根駅伝に出場して活躍できるかどうかは正直、100%の約束はできません。ただ、社会に出ても恥ずかしくない人として成長させることは約束します」
 大学の4年間はあっという間です。競技生活を終え卒業すると、一部の選手以外は社会人としての生活が始まります。学生を預かる身として責任を感じるのは、競技能力を高める以上に、人として成長させてあげられるかどうか。極端なことを言えば、社会に出て役に立つのは、速く走ることより、組織の中で生きるための人間性です。
 
 さて、第2回のスピーカーをお願いした彼女は、タイプ的にはビリギャルに近いのだろう。ドラマも見ていないし、本も読んでいないのでよく分かっていないのだが、少なくともエリート街道をひた走る第1回のスピーカーの彼とは正反対の道を歩んできた。あれは、5年生の頃だっただろうか。算数の授業で、「150円のボールペンと90円の鉛筆を合わせて15本買い、1590円支払いました。それぞれ何本買いましたか」といった基礎的な問題を1問だけ解いて終わったことがあった。毎回そんな感じだったのだが、そのときはいくらなんでもひどすぎたので、「おい、2時間でたった1問やぞ」といつも以上に怒った。その翌週、2問解き、「今日はこの前の2倍頑張った」と意気揚々と帰って行った。口をあんぐりさせる、とは正にそういうときにぴったりの言葉である。中学受験では、そんな彼女の自由奔放な性格に合っている中高一貫校を本人の意向を踏まえた上で親御様と話し合いながら選んだ。中3の秋に急遽、アメリカにある日本の大学附属の高校に行くと本人が言い出し、お母様から、「先生、お願いします」という言葉と共に、どさっとコピーされた過去問の束を渡された。絶対に合格したい、という本人の意志もあり、3年前の中学受験の頃とは別人のように集中して勉強したおかげで無事に合格した。その1年後、帰国した彼女から教えてもらった1年時の成績がすこぶる良かったので「すごいやん」と褒めると、「先生が言ったんやん」と返って来た。その指摘を受けて、渡米前に、「とにかく最初の1年間頑張らなアカンで。そうすればそこがあなたのポジションになって、そこを譲りたくなくなるから」というようなことを伝えたのを思い出した。中高一貫校に進んだ生徒に対しては特にそうなのだが、最初から飛ばしなさい、という声掛けをすることはほぼ皆無である。小手先の勉強で良い成績を取ることよりも、いろいろな経験を積むことの方が明らかに大事だからだ。もちろん、ある程度のところに付けておく必要はある。彼女は高校の3年間良い成績を取り続けたおかげで、大学に上がるときの学部の選択の幅も広がった。高校時代も長期休みに帰国した際には、毎日のように志高塾に来て、数学の授業を受けていた。学業の面でもそれなりに貢献はできたのだろうが、そんなことよりも、めちゃくちゃ手が掛かった小学生の頃に、そのことを理由に彼女を否定せずに潰さなかったことを私は誇りに思っている。20年近く生きてきて、ある程度人間ができている大学生ですら人間的な部分をきちんと育ててあげなければいけないのに、まだ10歳かそこらの小学生に、とにかく中学受験で良い学校に行けばバラ色の未来が待っているから、と闇雲に勉強をさせて、少しでも偏差値の高い学校に合格させて、後は知りません、なんて無責任なことはできない。
 中学受験の結果が出るのは、その5年後、10年後、もしかするともっと先のことなのかもしれない。その遠い未来を見ようとする塾でありたい。

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