【卒業講師】岡本風香(おかもとふうか)
兵庫県立須磨東高等学校卒業
関西学院大学文学部卒業
勤務期間;大学1年生~大学4年生(約4年)
2026.07.26
答えのない問いの先で
志高塾で講師をさせていただいた約4年間を振り返った時、真っ先に頭に浮かぶのは、当時毎週のように顔を合わせていた生徒や講師のみなさんの顔です。社会人になった今でも、「元気にしているかな?」とふと頭をよぎることもあります。
作文を通じて一対一で向き合ったことや、時には苦しみながら頭を悩ませたこと。一つの答えが決まっている問いとは違って、書き手の経験や思考を掘り下げながら、自分なりの着地点を見出す必要のある作文は、当時講師という立場でありながら、私にとっても常に難しいものでした。検索すればすぐ答えにたどり着くことも増えた世の中で、志高塾ではそこから距離を置き、作文を通じて自分を知り、そして他者を知るきっかけにもなる、そんな場所であると思います。
意見作文
※卒業講師には、現役生徒の参考になるよう教室で扱っている意見作文のテーマの中から1つを選択し、作文を寄稿してもらっています。
選択テーマ:学校の友だち、習い事先の友だち、近所の友だち、引っ越しで離れ離れになった友だちなど、色々な場所で出会った友だちがいると思います。また、長く共に過ごしたペットや、ずっと使い続けていたモノも「友だち」のような存在と言えるかもしれません。あなたにとっての友だちを思い浮かべ、それにまつわるエピソードを教えてください。
4歳からピアノを習っていた。なぜ習い始めたのかは記憶に全くないが、母曰く「あんたがやりたいと言ったから」だそうだ。
絶対音感はないし、手も決して大きくない私だったが、練習だけは真面目にやっていた。今でも金曜日になると、先生とのレッスンを思い出す。幼稚園や小学校の頃は本当に毎日欠かさず練習していたし、これまでの人生であんなにも努力を継続させた経験は他にはないと言い切れる。しかし、そのせいで一時期は本気でピアノが嫌いになっていた。下校中、傘をくるくる回して魔法使いごっこをしていた時、友達が「宿題なくなれ呪文」をかけている隣で、私は「ピアノ、この世から消えればいいのに~」なんて唱えていた。自分がピアノをやめれば済む話なのに、ピアノ自体をこの世から消そうなんて、今思うとかなり傲慢である。だが当時の私にとって、この世にピアノが存在しているのに「自分だけがやめる」という選択肢はなかった。学校でもピアノが弾ける子はごまんといたし、自分がやめても誰かが合唱コンクールで伴奏を弾くだろう。そんなことを想像するたびに、唯一無二の友達が自分から離れていくようで、なんだか胸が痛かった。ピアノが消えてほしいと願う気持ちと、自分にはピアノしかないという、相反する気持ちが共存することを当時は消化しきれていなかったのだ。
こういった想いは、中学、高校と消えずに残り続けていた。けれども大学入学を区切りにレッスンをやめたこと、新しい環境での日々、様々な人との出会い、そして現在の社会人としての自分、そういったものが一つ一つ積み上がっていくなかで、ピアノへの執着ともいえる気持ちがゆっくりと溶けていったように思う。結局のところ、ピアノが嫌だ嫌だと心で唱えながらも、ピアノを弾いている瞬間の自分は好きで、家族や友人に聴いてもらうのはもっと好きで、そうやってピアノのみによって維持されていた自尊心が、様々な経験を通して、別のものでも形作ることができていったのだと思う。
今でも道端でストリートピアノを楽しそうに弾く人を見かけると、無意識に見ないようにしている自分に気づき、笑ってしまいそうになることがある。けれども昔と違って今はふと「ピアノが弾きたい」という気持ちが湧いてきたり、ピアノに触れることで自分自身が癒されるような瞬間もある。あの頃毎日ピアノと向き合いながら思い描いていたものとは違う形だが、この先の私の日常にも、ピアノという存在はつかず離れずの距離でそこにあってくれると思う。





