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2018.03.06Vol.341 ルールの決め方、運用の仕方

 「ルール」と聞いて、私が真っ先に思い浮かべるのは中学校時代のそれである。学ランの襟首のところにカラーをつけることを義務付けたものであった。今調べて初めて知ったのだが、カラーとは英語表記では”collar”であり、それは「襟」のことを意味するとのこと。物を知らない、読解力がない、文脈から知らない単語の意味を推測する力がない。ないないづくしを補うために、大学受験の英語の2次試験対策として、人より1,000語ぐらいは多く単語を暗記したはずなのだが、それを覚えた記憶がない。話を戻す。カラーとは、白色のプラスチック製のものであった。それが襟首を清潔に保つためにあるとは知っていたが、肌がプラスチックに直接触れるというのは気持ち悪いものである。汗をかくと余計に。清潔であることが重要であるのなら、毎日同じものを着ていること自体おかしいので、制服自体を廃止すべきということになる。カラーに関しては撤廃することを提案したが、結局受け入れられなかった気がする。こういうことに関して、説得力のある説明をできる先生がいなかった。それは必ずしも論理的である必要はない。「俺がアカンといったらアカン」。それで十分なこともある。もちろん、その場合、”俺”という人間に説得力が担保されていなければならない。
 さて、1ヶ月ほど前から子供たちに整理整頓をするように言い始めた。三男はまだ年中で、自分の机があるわけでもないので、3年生の長男と1年生の二男が主な対象である。妻がこれまで子供たちに「汚すぎる」とよく怒っていたが、「そんなもんじゃないの」というのが私のスタンスであった。ちなみに、私はきれい好きである。たとえば、中学生のときには、母がたんすに服を入れると汚くなるので、その前に置いておいてもらって、すべてたたみ直してから自分でしまっていた。社会人になって一人暮らしをしていたときも、いつ誰が急に訪ねて来てもいい状態になっていた。何が言いたいかというと、自分ができないからではなく、できるけど言わなかったのである。私は親に言われてそのようになったわけではなかったから、自分たちで気づいて欲しかった。ただ、まだまだ先になりそうだったので、少しぐらいはいいか、ということで方針転換をした。そして、私が決めたルールが、日曜の朝に私が起きた時点で子供部屋の床に落ちているものは捨てるということである。もちろん、その中には親として捨てたくないものが混じっている可能性がある。そのことを踏まえて、「捨てるか捨てないかはすべてお父さんが決める」となった。ちなみに、そのことに関して二男が「お父さんに捨てて欲しいものはわざと床に置いとこ」といったような発言をしたので、「ふざけたことをしたら、棚にしまってある大事なおもちゃを代わりに捨てる」と伝えた。最初の2, 3週間ぐらいは「あっ、明日は日曜だ」と言いながら、3人で片付けをしていた。折角やったこともあり「お父さん見ないの?」と聞くので「毎週チェックするとは言ってないから」と返した。このように、ルールを決められた方は決めた方にそれなりの要求をする。これまで確認してこなかったので子供たちも油断したのであろう、この前の日曜日、お気に入りのいつも遊んでいるおもちゃが出しっぱなしになっていた。起きてきた長男と二男に「捨てられたくなければちゃんと片付けな」と伝えた。案の定、けんかが始まってお互いに責任をなすりつけあっていたので、「協力しなさい」と注意して、整頓されていない箇所を徹底的に指摘した。何度かやり直しをさせて、午前中にどうにか終えた。長男は、1年生のときから溜まっていたノートや教科書などを大量に捨てていた。片付け終わって、子供たちはそれなりの満足感を得ていたように思う。
 「ルールの決め方、運用の仕方」というタイトルをつけたが、それ以前にそのルールが何のためなのか、ということが最も重要である。ルールというのは得てして破りたくなるものだが、それはきっと目的が明確でなかったり、明確であっても納得できなかったりするからであろう。
 経営者として、先生として、親として、私はルールを決める側の立場にある。まずできる限りそのようなものがなくても円滑に回るような手立てを考える。うまく行っていないところに手を打つべく、ルールを設ける。がちがちにではなく、車のハンドル同様少し遊びがあるように。それによって、よりスムーズに事が進むようになる。もちろん、うまく行かなければ手を加える。ルールとはきっとそのようなものである。

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