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2022.06.14Vol.546 セールストーク

 手帳などの決まったものにメモを取ることは完全に無くなった。理由は単純で、どこに何を残したのかを管理できないから。会社勤めをしていた20代の頃に情報の整理術に関する本を何冊か読んだが、手間が掛かりそうなものばかりだったので本気で実践することは無かった。分かったのは、どれも自分には向かないということ。それはすごく価値あることではないだろうか。あれもこれもだめ、となれば、自分でどうにかしよう、となれるからだ。志高塾もその一例である。自分にとってのユートピアのような職場がどこかにあるはずだと期待して探していたが見つけられず、あるタイミングで「自分に理想的な企業というのは世の中にほとんどないし、それに出会え、さらにそこで採用されるとなれば確率はほぼゼロになる。じゃあ自分で作ろう」となれたからだ。時には捨てないといけないこともあるが、人に多大な迷惑を掛けないのであれば、自分の中に湧き上がった、ああしたい、ああなりたい、を大事に持ち続けた方が良い。大抵の人は身の丈にあった範囲でしか物事をイメージできない。それなのに、無理かな、と諦めたり、やる前からその8掛け、7掛けを目指していては満足の行く結果が得られるはずがない。偉そうに語ってみたが、私自身気づけば縮こまってしまっていることが少なくないので、2割増し、3割増しぐらいでちょうど自分サイズになるのかもしれない。
 おそらくこの数年は、特にアイデアに類するものはメールだけで一元管理していた。移動中や寝る前などに何か思い付けばスマホからPCにメールを送る。今のようにPCと向かい合っているときであればPCからPCに送る。処理をすれば細かく分けたフォルダに移動させる。未処理のものは受信トレイに残ったままなので一目瞭然である。1年ぐらい前からであろうか、それに加えてラインの「Keepメモ」という機能を利用するようになった。気になった記事があれば、そのURLをコピーしてそこに保存しておく。いつかそのことについて書こうと思いながらそのままになったものが溜まって来たので、今回はそのいくつかを紹介する予定だったのだが、情報の整理について考えを巡らせていたら外山滋比古(とやましげひこ)著の『思考の整理学』のことを思い出した。
 初めて読んだのは、志高塾を始めて間もない30代の前半の、さらにその前半の頃である、おそらく。読解問題で時々扱われていたこともあり、「一度読んでみるか」となったのがきっかけだったような気がする。内容はまったく覚えていないのだが、少なくとも「評判のわりにつまらない」という感想を抱かなかったので、それなりに面白かったのだろう。食べ物が栄養として体内に吸収されるときに原形を留めていないのと同様に、読み物もその方が良い。私にとって最も消化しやすいのは小説で、その対極にあるのがハウツー本である。書籍になっていることからして、それなりに多くの人が、それなりに大きな悩みとして抱えている事柄が対象になっている。そんなものが簡単に解決するはずは無いのだ。「これをすればうまく行く」が正しかったとしても、これをすること、し続けることが難しいのだ。ダイエットはその典型である。提案する側は、その一歩手前の「これをする」ための「~すれば(これができる)」、もしくは、「これをしなくてもうまく行く」を示さなければいけないのであろう。読書は何も国語のためするものではないのだが、ここでは単純化して「読書をすれば国語ができるようになる」を例に取る。読書習慣が無かった子供にそれをさせるのは容易ではない。小4ぐらいまでであれば、進学塾に通っていてもまだ時間があるので入塾してすぐに2,3割の子は本に親しむようになる。そうで無い子には、授業の前後に読書の時間を取る、面白そうな蔵書を揃えておく、講師がその中からその子にあったものを薦める。それ以外にも、親御様に協力していただき家庭での読書時間を作ってもらうようにする。そういう様々な「~すれば」を実践することで、「読書をすれば国語ができるようになる」のスタートラインに近づけるのだ。一方で、高校生にもなると打てる手は限られてくるので、自ら読書をするようになればラッキーぐらいの感覚で、それをあてにせずに、読解問題を通して、知識などを吸収させていく方法を取る。口先だけの「読書しいや」では何も変えられない。
 さて、『思考の整理学』。きっと、今日であれば同じ内容でも出版社の編集者は『思考の整理術』、『思考の整理法』の方が売れますよ、というアドバイスをするのではないだろうか。時間を掛けずに手っ取り早く結果に結び付きそうなものの方が以前にも増して好まれるようになっているからだ。いつの時代も思考がそんなに簡単に整理できるはずがないのだ。インプットした知識を組み合わせ、さらにそこに自分なりの考えを交えてアウトプットする。それを何度も何度も繰り返す。時間を掛けた分だけ自分なりの思考が作り上げられていく。その試行錯誤に作文ほど効果的なものを私は知らない。

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