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2022.05.31Vol.544 プラス思考になれるように

 「骨折したのがこの時期でほんま良かったわぁ」と妻に漏らしたところ、「プラス思考やね」と返って来た。5月15日のサッカーの試合中に右手を着いた際に手首を骨折し、その3日後に簡単な手術を行い、ギブスで固定された。冬であればセーターやコートなどの袖に通すことができず、真夏だとギブスのところが汗で大変なことになるところであった。それに加えて、ギブスは早くも昨日取れたので、夏だけサウナに通う私には言うことなしである。そのサウナ、以前、私が敬愛する辛坊治郎が好きだと知り、「俺と同じや」となったのだが、彼が昔クロス(アメリカの筆記具メーカー)の細いボールペンを使用していたことを数日前にラジオで語っていたので「共通することが多いなぁ」と喜びが増した次第である。私はボールペンではなく、同じデザインのシャーペンを中学生の頃から社会人になっても愛用し続けていた。色違いで2, 3本持っていて、それ以外のものをまったく使わなかったぐらいのこだわりようであった。唯一の例外は、センター試験の際の鉛筆である。
 授業中、生徒たちに、上で述べた妻とのやり取りを簡単に説明した上で、「奥さんが変なこと言うねん」と話したところ、付き合いの長い高校生、講師たち2, 3人から「奥さんが普通で、先生が変やねん」と一斉に突っ込みが入った。大阪人なので、突っ込みを期待して話を振ることは多々あるのだが、この件に関してはそうではなかった。
 「プラス思考」と言われるのは嬉しいことではあるのだが、素直に「せやろ?」とはならない。一方で、「おもろい」と評価されれば、「否定したいけど、その材料が見つからへん」などと返す。笑いを取ることを何よりも重要視して来たからだ。小学校時代、悪ふざけしてひとしきり笑いを取った後に、担任の先生からビンタをくらったこともあった。左頬も犠牲になったかいがあったというものである。この2つの事柄における私の異なる反応は、自己評価と他己評価のずれの大きさの違いによって生じている。
 妻、生徒とのやり取りがきっかけで「プラス思考って一体何なんだろか?」と少し立ち止まって考えてみた。そして初めに思い浮かんだことが、「でも、俺は能天気なわけじゃないしなぁ」ということ。辞書に「のんきで何事も深く考えないさま」とあるように、完全にネガティブな意味で用いられる。うまい具体例が見つからないが、火種が小さいうちに気付かないのはもちろんのこと、それなりに大きな予兆が目の前に現れても「大丈夫、大丈夫」と対策を打たないことで、大きな問題に発展させてしまうような人がそれに当たる。そして、能天気な人ほど問題が明確に顕在化した時点で大慌てして、わずかに残されている問題解決の可能性をあっさりとふいにしてしまう。もう少しプラスの意味を帯びたものに「楽天家」があるが、それも私にはまったく持って当てはまらない。もしかすると、辞書的な意味では「楽天家」も「プラス思考の人」も大差はないのかもしれないが、例えるなら、前者は天才で、後者は秀才となる。要は、先天的か後天的の違いである。
 話は変わる。生徒たちにも我が子にも、私自身ができていないことはできる限り包み隠さずに見せるようにしている。国語の選択問題を例に取る。志高塾ではすべて消去法で解かせ、丸付けの際にはどの順番で消して行ったのか、選択肢のどの部分が本文の内容とどのようにずれているかの説明を求める。生徒と私の答えが異なることもあり、「それ(生徒が行った説明)はおかしいと思うけどなぁ」と言いながら一緒に解答を確認すると、私が間違えていることもそれなりにある。その時には、「あれ?」、「うわっ」などとなるのだが、「次は予め答えを見ておこう」とはならない。正解を知っていると、生徒とのやり取りの充実度が下がる気がするからだ。また、副次的な効果として、「先生は間違ってたけど、(私は、もしくは俺は)合ってた」というのが生徒の喜びや自信になることがある。ただ、そうなるためには、「あの先生は間違いばかりで単なるあほや」とならないように、一定以上の信頼を得ていなければならない。仮面を被らないことで、「信頼を得られるように、もっと成長しよう」という力が私自身に働く。これも、副次的な効果の1つである。
 基本的にはさらけ出すことを大事にしているのだが、小さなものも含めて自分の心の中の葛藤みたいなものは自分の中に収めるように心がけてはいる。自身でどうにかして消化することで次に生かせる気がするからだ。これはあくまでも私個人の考えであって、吐き出すことで心がすっきりして前向きになれるのであれば、それも1つのやり方である。自分の弱さゆえ、うまく処理できずに外に漏らしてしまうことしばしばだが、その度に「アカンなぁ」となる。未だに小さなことで落ち込んだりうじうじしたりするが、それを見せないのは自分の立場と関係しているのだろう。子供の頃はガキ大将であったから格好悪い所は見せないようにしていたし、今は生徒や我が子に、何か問題が起こっても、冷静に対処することで解決しやすくなる、ということを教えてあげなければならない。「落ち込むのも分かるけど、今、何ができるか考えなアカンで」と一緒に対策を練り、行動に移せるように励ますのが私の役割である。そういう経験の1つ1つが生徒の糧になるのだ。
 さて、そのプラス思考、子供の頃から前向きに捉えようとはしていたものの、私が26歳のとき、それまで健康そのものだった父が、病気が分かった半年後に57歳で亡くなったことでギアが一気に上がった。その事実をどうにかして受け止めるためには、「これを乗り越えることで俺は強くなれる」、「それに耐えられる人にのみ、辛いことが起こるのだ」と思い込むしかなかったからだ。そして、その半年後、父のことすらうまく処理できていなかったのに、今度は中高の6年間個人塾で教わった先生が34歳の若さで亡くなった。卒業後も、相談に乗ってもらったり、お酒に連れて行ってもらったりしていた。その後1年ぐらいは「俺は生きているのか?」と自問を繰り返していた。答えは決まって「こんなんで生きているとは言えない」であった。就職前から独立したいとは思ってはいたものの、あのタイミングで人生に終わりがあるということを実感しなければ、「そのときが来れば」などと甘っちょろい考えを持ち続けていたかもしれない。そして、2人が生きていれば、生徒が中々集まらずに苦労していたときに伝手を使って知り合いを紹介してもらうなどの援助を求めていたかもしれない。
 プラス思考というのは、何か良くないことが起こったとき、そこを起点にして、どのようにしたら力強く前に進んで行けるかを考えようとすることである。当たり前の話だが、「私が強くなるために、2人が亡くなった」のではない。「2人が亡くなったことで、私は強くならなければならなかった」のだ。
 クロスのシャーペンは、尊敬するその先生が使っていたので、中学生の私には決して安くは無かったが少々背伸びをして自分のおこづかいで買った。最近は使わなくなっていたので長男に譲り、中学の入学祝として新しいものもプレゼントした。さすがに「俺は生きているのか?」と問うことは無くなったが、時々先生のことを思い出しては「ちょっとは成長したな、とそろそろ認めてもらえるかな」と考えることはある。きっと、「まだまだやな」の方が良いんだろうな。「もっとがんばらな」となれるからだ。「せやろ?俺みたいなプラス思考の人見たことないわ」と返せる日は来るのだろうか。

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