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2022.10.25Vol.564 中学受験をするということ

 読解問題の丸付けをしている最中に、高2の女の子が私に向かって「先生は失礼でできている」と言い放った。面白い評価だったので何人かの中高生に伝えると、例外なく「分かるわぁ」、「間違いない」と賛同の声が上がった。「あの人から~を取ったら何も残らない」というようなことが言われる。通常「~」に入るのはポジティブな言葉。「失礼」の場合は取った方が良いのだろうが、特徴が無くなっても困るのでひとまず残しておくことに。
 今年は、進学塾に通わずに志高塾だけで中学受験をする生徒が私の二男を含めて3人いる。例年5人ぐらいはいるのでやや少ない感じである。彼らは、国語はもちろんのこと算数、理科も受講している。その二男、一応難関校に入る私立と国立大の附属を受けさせる予定にしていた。現状、前者に受かる確率は20%も無さそうである。後者であれば80%ぐらいはあるのだろうが、せっかく頑張ったからせめてどこかに、というのではなく、地元の公立に行かせたくないだけのことである。現在、その公立に通っている生徒の話によれば、1年生の頃から内申書のことがよく話題に上るらしい。そういうのが私は嫌なのだ。つまらない自慢だが、私が通っていた公立の中学校は真面目に勉強をする人が少なかったこともあり、点数としては10をもらえる成績だったが、素行不良により高校受験時の内申は9であった。提出物はきちんと出していたので、態度がよほど悪かったのだ。そんな私だったので、先生の機嫌を伺ったことなどただの一度も無い。二男のことに話を戻す。夏休みの間に、その私立一校に絞らせることにした。中堅校に通う中2の長男に「自分の方が賢い」と偉そうな発言をしていたことが親として許せなかったからだ。別に灘に合格しても威張ることではない。ただ、二男は退路を断ったことで逆にやる気になった。追い込まれたときに「背水の陣」という言葉が使われるが、元の意味は違う。自軍の兵士の力を引き出すために将校があえてそのような状況に追い込んだのが由来である。
 8月末からの約1か月間で、元生徒の学生5人と会った。一対一で。1回生もいれば、医学部に通う6回生、大学院生もいた。そのことをテーマにここで書こうと思いながら、そのままになっていた。その一人に、灘から京大医学に現役で、しかも約100点オーバーで合格した2回生の男の子がいた。もし、私であれば「俺、めっちゃ賢いから」と明らかに天狗になるが、彼はそんなことはない。謙虚なのかというと、それも違う。高校のときは「めっちゃ数学できる奴がいて、能力が違い過ぎてまったく歯が立たない」と話していて、この前会ったときは「周りのみんな、記憶力良すぎるんですよ」と教えてくれた。だからと言って卑屈になることなく、彼はただ目の前の課題と向き合い、自分にできることを自分なりに工夫しながらやる。小学生の頃からそういう部分を持っていた。また、京大医学部というのを活用して時給の高い家庭教師をするだけではなく、あえて飲食店でアルバイトを始めたことも報告してくれた。人間的に成長する必要性を感じてのことである。私は彼のそういうところが好きなのだ。
 そのうちの1人の男の子、中学生の女の子に向かって「俺たちの受験の邪魔をするな」と偉そうな発言をしていたことが、その女の子のお母様からの報告で判明した。1回だけのことではなく、ある程度の期間に渡って。確かにその女の子は手が掛かるのだが、そのような子にエネルギーを注ぐのが志高塾である。そもそも、受験生だけ授業料が高いわけではない。もちろん、手厚く見てあげないといけない部分はある。通常は講師1人に対して生徒2人なのだが、受験生であれば、張り付きに近い形で見ることは少なくない。それはあくまでも我々が決めることであって、生徒の側が主張することではない。そのことが耳に入った翌日、その男の子を呼び出し、「調子に乗るな。俺の目の前で文句言ってるんやったらまだ分かるけど、いないところでやってるのが最悪や。受験生が偉いわけじゃない。単に合格するだけでは無くて、人として成長して初めてその受験に意味があるねん。(もう1人の子と一緒になって言っていたとのことだったので)2人でじゃなく、1人でちゃんと謝れ。分かったな」。そのときも私の目を見ながらきちんと話を聞いていたが、後日私に「ちゃんと頑張ります」と宣言していた。「折角受験するねんから人として成長せなアカン」と念押しした。大事なのは怒られたときに、それをきちんと受け止めて次に生かすことである。
 そして、もう一人の男の子。2, 3日前に、志望校の算数の過去問を解き、丸付けの終わった答案用紙を私のところに持って来て、「松蔭先生、全然点数取れてないんで志望校変えた方が良いですか」と聞いて来た。「あほか。変える必要があるなら、とっくに俺がそう言ってるわ。もし、一生懸命頑張ってその点数しか取れへんのやったら分かるけど、漢字すらちゃんと覚えようとしてないやつがぐちゃぐちゃ言うな。まずは、やれるだけのことをやれ。志望校なんて、直前でも変えられるから余計なことは考えなくていい」。直前まで灘を目指していたせいで、甲陽に落ちた、というような話を何度か聞いたことがある。傾向が違う、というのがその理由らしいのだが、もし、20点以内で不合格になるぐらいの子なら、受験まで1か月もあれば甲陽は余裕で合格する。50点以上足りないのに、灘に固執するからそんなことになるのだ。固執するのが悪いと言いたいのではない。中途半端なのがだめなのだ。どうしても行きたいのなら灘を受ければ良いのだ。
 志望校に合格さえすれば良いという親は世の中に少なくないのかもしれない。私は欲張りなので人間的な成長もとことん追い求める。教える立場にある者として親として。

2022.10.18Vol.563 種

 先に2つの連絡から。
 1つ目。志高塾第1回バスケットボール大会を行います。誰でも参加可能ですので、興味のある方は気軽にお声掛けください。未経験者も大歓迎です。
日時;11月6日(日)16:00~18:00
場所;松原体育館
(https://www.nishi.or.jp/access/sports/taiikukan/10960892022010614.html)
アクセス;阪神西宮駅より東へ徒歩約8分、JR西宮駅より南西へ徒歩約7分
持ち物;白いシャツと色付きのシャツ(チーム分けのため)
参加費;無料
 2つ目。「Vol.557 The 探求学習」で紹介した「学びラウンジTUMUGU」の八木美佳子さんより、宇宙に関して学ぶオンラインイベントの案内をもらった。対象は小学生だが、中1で参加する子もいるとのこと。送られてきた案内文がそれなりに長かったこともあり、冒頭部分だけ抜粋してここで紹介する。

JAXAでロケットを開発していた高野さん、旅客ロケットをデザインしているデザイナーの高野さん、ダブル高野さんと一緒に宇宙イベントやります!!!
https://www.tumugu-lounge.com/event-details/uchubijinesuandodezainwomanandeuchujinninarou-2022-10-22-19-00

誰か参加して感想を聞かせてくれないかな、と思っていたのだが、「あっ、そうだ」となった。ということで、6年の二男と4年の三男を参加させることに。4回で4,400円なのだが、兄弟で一つのデバイスを使う場合には、一人分の料金でいけるとのこと。なお、参加の申し込みをしたらお支払いは以下のページから行ってください。
https://www.tumugu-lounge.com/shiharai
 この1回のイベントをきっかけに宇宙に対する興味が一気に高まって日々の生活に何かしら大きな変化、ものすごく分かりやすい例を挙げれば「よし、将来宇宙飛行士になろう。そのためには、今日から勉強をもっと頑張らなければ」、が起これば良いのだが、それは参加させる親の心持ちとしては、あまりにも欲張りが過ぎる。いつ花が開くか分からない、もっと言えば、開くことすら無いかもしれない種を蒔いてあげるのが親の役割の1つである。芽が出て来なくてもいつかその日が来ることを期待して、とにかく目を掛けて適度に水や肥料をやるなどの世話をし続けなければならない。一方で、幸いなことにたくさんの芽が出て来れば、これまた欲張りになり過ぎずにいくつかだけを残して、他を間引いてあげなければ栄養が行き渡らずにどれも中途半端に成長するだけで、その子らしい花を咲かすことなく終わってしまう。将来的にどれを選ぶかはその子自身が決めることではあるが、小中学生ぐらいまではそれはある程度親が担うべきことである。適切な判断をするための材料を十分に与えることもなく、「本人の意見を尊重する」一辺倒では親の責任放棄と言わざるを得ない。こんなものに正解は無いのだから、任せるでもなく放るでもなく、頭と心を悩ませ続けながらちょうど良い塩梅を探り続けなければならない。それを止めなければ、親の務めを果たしていると言えるのではないだろうか。
 いつもながらに、思っていたのと違う方向に話は進んで行ったのだが、このイベントは一粒の種だ、ということを言いたかったのだ。中学生の頃、父の勧めで新聞社が主催する週末に行われる10回程度のセミナーに参加したことがあった。父に強制されて嫌々参加した、の方が適切かもしれない。各回専門家が登壇したのだが、その1つにゼネコンの人が行ったものがあった。どれぐらいの広さ、高さであったのかは忘れてしまったが(地階の半径が数十kmで高さもkm単位だった気がする)、巨大な建物を建てることで、東京23区の人をすべてそこに住まわせることができ、それによってできたスペースに木を植えることで自然を増やすことができる、という話であった。30年ほど前のことであり、当時環境問題は真剣に語られてはいなかった。日本の人口も右肩上がりだと考えられていたのだろう。タワーマンションという言葉も当然存在していない頃の話である。その形状をうまく説明できないのだが、ニューヨークにあるグッゲンハイム美術館がそれに近いかもしれない。
https://www.s-hoshino.com/f_photo/machi/ma_053.html
これは上に行くほど円の半径が大きくなっていて、美術館なのでコンクリートとコンクリートの間はガラスなどで密閉されているが、私が見せてもらったイメージ画像は、上に行くほど小さくなり、各フロアの間は閉じていなかった。そこで生活をするので、各フロアにどのように空気を通すのか、光を入れるのかが課題だということが語られていた気がする。記憶が定かではないが、そんな夢のような話を聞いて、私はきっとワクワクしていたはずである。
 主に中学生以上が取り組む「資料読解」というテキストがある。そこでは、人口問題やエネルギー問題、プラスチックごみの問題などを扱っている。その中に日本の今後の人口減について考察する課題があるのだが、私の場合、「人口が減る」、「家が減る」、「緑が増える」ということが真っ先に頭に浮かぶ。それは、紛れもなくそのセミナーで学んだからである。10時間以上もいろいろな話を聞いて残っているのはそれだけか、と言われてしまいそうだが、大学の教養課程ではこれと比べものにならないぐらいの時間を費やしたがほとんど何も残っていない。比較の対象が適切ではないかもしれないが、私はそれに参加したことが無駄だとは思っていない。
 息子たちの畑には親として勝手に種を蒔く。生徒たちには、親御様の意向を汲んだ上で厳選してそれを行わないといけない。私はそういう立場にある。でも、まだまだ自分の畑にも種を蒔きまくりたい。いくつか芽が出て来ても、全部めっちゃ伸ばしてやる、と欲張って間引けないかもしれない。

2022.10.11Vol.562 本当の原因

 ただいま、月曜の朝8時前。3週続けてこの時間に文章を書いていることになる。ただ、今週は趣が随分と異なる。祝日であるため学校が休みであり、自室にてパソコンと向かい合っているからだ。気温が下がって秋らしくなってきたことも手伝ってか、何だか気持ちも穏やかである。このブログ、アップした時間が表示されないのが残念で仕方ない。だから、自らアピールをする。前回は、おそらく朝の6時前後であったはずだ。そして、今回もそのようになる予定である。それは、自らを追い込んだ結果に他ならない。火曜はブログがあるからという理由で、授業前にプライベートの予定を入れないようにしていたのだが、そんな弱気な自分と決別するため、2週続けてその禁を破った。目下の懸案事項は、来週どうするか、である。志高塾の1週目に当たるため、月間報告にも追われることになるからだ。「単にゴルフすることを正当化してるだけやん」という声が聞こえてきそうである。そういうとき、両手で両耳を軽く押さえて離して、を繰り返し、アワワワワー、と発声し続ければ都合の悪い言葉は耳に入ってこない。
 中学、高校、大学を問わず、受験前夜はとにかく寝られなかった。大学受験の頃には、それを前提にしていたので、当日の朝は「やっぱりアカンかったか」という程度で、「まあ、睡眠不足でも試験のときは集中力が高まるから別に問題にはならない」と落ち着いていられたのだが、高校受験までは、「やばい、睡眠不足で頭が働かないかも」とそれなりに焦っていた。自身のそのような経験もあり、中学受験に臨む生徒には、「前日寝れなかろうが、緊張しようが、集中さえすれば結果は出るから、何も気にしなくて良い」ということを伝えるようにしている。試験結果には何ら影響を与えなかったものの、緊張して寝られない、というのが、自分の肝っ玉の小ささを表しているようですごく嫌であった。しかし、釣りやゴルフを始めて分かったことがある。6時半以降であれば何ら問題は無いのだが、5時台に起床するとなれば「早く寝ないと」という意識が高まり、途端に寝つきが悪くなるのだ。小学生の頃、日曜の野球の練習は6時半から始まるので5時半起きであった。特に冬は辛かった。よくよく考えてみれば、そのときからずっとそうなのだ。それに気づいたとき、「もしかすると、肝っ玉は小さくないかも」となれた。人に迷惑を掛けず、自分にとってプラスに働くのであれば、物事は良いように解釈した方が良い。かなりの確率で、今晩も寝られない。ついでに言っておくと、明日の晩も。要するに、明日も明後日も、ということである。
 野球にそれほど詳しくない人でも、ヤクルトスワローズの村上の名前を知っている人は少なくないのでは無かろうか。彼は高卒でプロ入りしているが、当時、同級生で断然脚光を浴びていたのは清宮幸太郎である。ドラフト会議でも、実に12球団中7球団が1位指名をした。1位でプロの世界に飛び込んでも実績を残せないまま引退する選手もいれば、5, 6位でも一年目から活躍する選手もいる。前者は、才能に非常に恵まれ、大した苦労もせずにやって来られた選手であり、後者は、「自分には能力がない」と諦めることなく、ただ野球が好きで、目の前のことに黙々と取り組んで来たのであろう。統計を取れば、指名順位とプロ入り後の成績にはそれなりの相関関係はあるはずである。実際、今年、アメリカのメージャーリーグベースボールの試合に出場した日本人選手は大谷翔平やダルビッシュ有を含め8人いるのだが、そのうち1位指名が6人、2位と3位が1人ずつと、例外なく上位指名(一般的に、3位までをそのように呼ぶ)だ。ここで注目したいのはそこではない。下位指名でも、結果は残せるということである。たとえば、今年のセ・リーグとパ・リーグの最多勝投手はそれぞれ5位と4位でプロの世界に入ってきている。ちなみに、あのイチローも4位である。人の評価なんてそんなもので、将来、どれぐらい成長するかなんて分からないのだ。それゆえ、私は、生徒の天井を勝手に決めてはいけない、ということを折に触れて話す。我々がやるべきは、「この子は、最低限ここまでは伸ばしてあげなければいけない」と下限を決めて、そこまでは責任を持って導いてあげることである。しかも、強引にそこまで到達させるのではなく、できる限りナチュラルに持って行ってあげる。そうすることで、彼らのその後の成長を楽しみに待つことができる、という特典が我々には付いてくる。
 野球の話題を持ち出したのは、「禁を破る」の話をしたかったからだ。今年から日本ハムの監督に就任したビッグボスこと新庄剛志と、伸び悩んでいる清宮との間で次のようなやり取りがあった。記事からそのまま引用する。

新庄監督は清宮の腹回りを擦るしぐさをしながら、「ちょっとデブじゃね? ちょっと痩せない?」と減量を提案したという。清宮自身は、体重を落とすことによって打球の飛距離が落ちることを怖がったが、指揮官の見方は違った。「今もそんなに打球、飛んでないよって。昔の方がもっと飛んでいた。昔の方がスリムじゃなかった? それはキレがあったから」と俊敏性に着目。結果を出せていない4年間だけに「変えないと。もし、痩せて飛距離とかがものすごく下がったら、めちゃめちゃ食って戻せばいいだけのこと。とりあえずトライしてみようか、という話をしました」と背を押した。

 納得行くような結果が出せていないとき、それまでのやり方を継続するのか、それとも別の方法を取るのか、その選択に正解は無い。変えるのを怖がってそのまま行くことも、何となく変えてみるのも、いずれも良くない。大事なのは、現状をできる限り正確に把握することである。それができれば、進むべき道が見えてくるはずなのだ。言葉にするのは簡単なのだが、実際はそれが難しい。何だか、自分のゴルフの話をしているような気がしてきた。ちゃんちゃん。

2022.10.04Vol.561 虚像も踊る

 最近にしては珍しく、ビジネス書を読んでいる。ジリアン・テット著『サイロ・エフェクト』に次のようにあった。

 1993年にIBM取締役会はCEOを更迭し、代わりにルイス・ガースナーをトップに据えた。ガースナーは劇的なリストラを断行した。(中略)この改革は激しい内部闘争を招いたが、最終的にはガースナーのサイロ破壊の試みは勝利し、IBMをアメリカ産業市場稀に見る復活劇に導いた。

サイロとは、小学校の社会で習った家畜の飼料などを貯蓄しておく倉庫のことである。教科書に載っていた写真も、北海道で実際に見たそれも、一棟だけ単独で建っていた気がする。米や小麦などの農産物が混ざらないように複数の棟で構成されている場合もある、ということを初めて知った。そのようなことから、ビジネスで「サイロ」という言葉が使われるとき、各部門などが独立していて連携が取れていない状態を指す。
 20代の頃は大企業の経営者の本をよく読んだ。自分は将来そのポジションに就くのだと思い込んでいた。新入社員の頃だったか2年目の頃だったかは忘れてしまったが、マーケティング担当の30代の女性に向かって次のような発言をしたことがあった。「あなたは、本社の担当者が伝えてきた内容をただ日本語に訳しているだけだ。そんなのは仕事とは呼べない。国ごとで状況は違うのだから、その新製品を売るためにどのようなプロモーションをするべきなのか、日本サイドの意見を集約して伝えるのがあなたの役割のはずだ」。泣かせてしまったこともあり、その後上司からお叱りを受けた。そんな私だったので、大きな組織のトップに上り詰めるなど土台無理なことだったのだ。思い起こせば、当時よく「松蔭君、ちょっと」と誰もいない会議室に呼び付けられては説教をされていた気がする。その度ごとに、「やり方が良くない。もう少し我慢しなさい」と諭されたのが、彼らがお手本になるような良いやり方を見せてくれたことはただの一度も無かった。先の本で、次のような言葉が紹介されていた。「何かを理解しないことで給料をもらっている人に、それを理解させるのは難しい」。その何かとは、どのように仕事と向き合うべきか、という取り組む姿勢のことを指している、と私は考える。
 今回、タイトルに「虚像」を入れ込むことを前提にして、(仮)の状態で「虚像と実像」としていたのだが、しっくりこなかったのでどうしたものかと数日前、寝る前に考えていた。そして、思い付いたのが「虚像も踊る」。「ああ、これだ」となった。その翌日、冒頭で紹介した内容が書かれたページを読んだ。読書をしていてこういう偶然に巡り合ったとき、何だか良い気分になれる。自らの手でたぐり寄せたような感じがするからだ。ルイス・ガースナーがIBMの改革について自ら書いた本のタイトルが『巨像も踊る』。巨像とはIBMのことであり、いわゆる大企業病に陥っていた会社をどのように立て直したかが述べられている。その組織が軽やかに動くようになったことを表現するために、「踊る」という言葉が使われている。
 ここで、中3の女の子が書いた意見作文を紹介する。テーマは次の通りである。「『自分とは違う』と思う相手を考え、その人が何を考えているのか、なぜそうするのかを想像してみてください。相手は誰でもかまいませんが、一方的に批判するのではなく、必ず自分との違いを踏まえ、その根拠や背景を明らかにすること。」

 志高塾に入って先生にインパクトを受けた。私が今まで会ってきた大人の中で断トツで自己主張が激しそうだったからだ。先生や生徒をいじり倒し、それでいて自ら堂々と謙虚であることを公言する。よく分からない人だ。また、塾の途中でサウナに行ったり、塾を休んでゴルフに行ったりする超自由人だ。しかし、自己主張が激しいのは、自分の意見をためらわずに述べられるということなので、自分に話が振られるまで黙っている私としては羨ましい限りだ。先生が謙虚かどうかは分からないが、よほど自覚があるのだろう。また、自由であることは、周りに縛られず、自分の意思で行動できるので良いことかもしれない。要するに、松蔭先生は何よりもまず自分を大切にする人なのだ。

 俺は一体生徒たちにどんな風に映っているんだ、となりはしたが、私からすると好ましい評価でもあったので、私との付き合いが長い中高生何人かに見せてみた。すると、異口同音に「分かる」、「当たってる」と返ってきた。
 物心がついたときからガキ大将であったので、周りに格好悪いところは見せないようにしていた。今は親であり先生でもあるので、息子たちや生徒たちにとって頼りない存在ではいられない。もし、親や先生など大人の目を気にして、お利口さんでいなければいけない、であればしんどかったかもしれない。しかし、私の場合は小さい頃から「こういう方がかっこいい」という自分なりの理想像に、誰に強制されるでもなく近づけようとして来たから、無理なく続けられているのかもしれない。習い性のようなものである。生徒たちに見えているのは、理想像と実像の間にある虚像である。少しでも高く見えるようにとかかとを浮かせているのだが、彼らは足元には目もくれず頭のてっぺんだけを見ているので私の実際の身長だと錯覚しているのだ。かかとを浮かせても背が伸びるわけではないが、人としては少し背伸びをすればそのうちにそれが自分のものになる気がする。
 タイトル、「松蔭君、ちょっと」の方が良かったかな。

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