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2022.06.07Vol.545 意見作文の要諦

 「話は変わる。生徒たちにも我が子にも、私自身ができていないことはできる限り包み隠さずに見せるようにしている。」前回、5段落目はこのように始まっていた。この2文の間に以下の文章を挟んでいたのだが、字数の関係上、削ったので紹介させていただく。

変わる話に行く前に、話を変える(転じる)ことについての話を少々。私は一度たりともそのようなことをした記憶は無いのだが、「起承転結」という型をさもありがたいもののように教えるというのはどうなのだろうか。仮に文章をこの4つで構成する場合、「転起承結」となることもあれば、「起転承結」となることもある。「結転起承」でも「起承転転結」でも構わない。どのような順番であろうが、「起」は「本題を提起すること」であり、「転」は「本題から転じた話をすること」であり、「承」は「『起』を受けること」である。私は、「俺が読んで面白い文章にしてな」、「読み手を引き込まなアカンで」、「いつも同じような書き方をするなよ」というようなことを伝える。「結」が充実しているのはもちろんのこと、少なくとも800字以上にもなれば「転」をどこかに挟まないとリズミカルなものにはならず、いろいろな順番で書けるように試行錯誤しなければならない。ひと段落したので「変わる話」へ。

 体験授業に来られた、特に小学生を持つ親御様に次のような話をすることは少なくない。

修学旅行で広島に行くので、その勉強のために学校で戦争について作文をさせるのは理解できる。しかし、そんなものを書かせても得られるものはほとんどないからこの教室ではわざわざそのようなことはさせない。「私も友達とけんかしたとき、話し合いをして仲直りできたので国同士もそのようにすれば良いのに」となるのが関の山だからだ。パレスチナで和平交渉が行われ、停戦合意がなされてもすぐにそれは破られる。安易に戦争反対を唱えるよりも、なぜそれが無くなっていないかを知る方が先である。だから、入塾したら、まずは要約作文を通していろいろな言葉を使いながら論理的に文章を書く訓練を徹底的に行う。途中から、それと並行するような形で読解問題に入る。本文で環境、文化などが扱われている問題を解きながらそのようなテーマに対する考え方のようなものを1つずつ身に付けていく。考え型と表現しても良いかもしれない。そのためにも、記述問題をおろそかにしてはいけない。そこでは筆者の主張をまとめることなどが求められるからだ。さらっと読むだけでは自分の中に落ちてこない。ある程度ベースが築けて、ようやく意見作文に移行して行くのだ。

 以前にも紹介した『職業としての小説家』の中で、村上春樹はこのように述べている。

その次に ―おそらく実際に手を動かして文章を書くより先に― 来るのは、自分が目にする事物や事象を、とにかく子細に観察する習慣をつけることではないでしょうか。まわりにいる人々や、周囲で起こるいろんなものごとを何はともあれ丁寧に、注意深く観察する。そしてそれについてあれこれ考えをめぐらせる。しかし「考えをめぐらせる」といっても、ものごとの是非や価値について早急に判断を下す必要はありません。結論みたいものはできるだけ留保し、先送りするように心がけます。大事なのは明瞭な結論を出すことではなく、そのものごとのありようを、素材=マテリアルとして、なるだけ現状に近い形で頭にありありと留めておくことです。

これを読んだとき、体験授業の際の私の「戦争の話」などを盗み聞きして、「意見作文」を「小説」に置き換えているだけではないのか、という気がした。今度、窓の隙間から顔を覗かせていないか気を付けて見てみることにしよう。
 一昨日の日曜日、二男のサッカーの試合を見ながら日本の総合電機メーカーに勤めているお父さんと話をしていた。東大、京大、阪大卒の社員の特徴について語っていたが、京大卒は概して「我が強い」とのこと。となると、私のおしとやかさは希少価値として武器になりうる。それをどのように生かしていくかを考えるに際して、まずはその私のおしとやかさなるものがどのような要素によって構成されているかを子細に観察するところから始めなければならない。
 さて、そのお父さん、ちょうど今、新入社員研修の担当をしていて、日報を読まないといけないのだが、「今日の研修を受けて、品質の大切さが分かりました」などといったあほみたいなものが多いらしい。意見作文に取り組み始めた中学生、最初の頃こそ筆が進んでいても、3か月もすれば鈍くなる。初めの段階では、どうでも良いことやどこかで聞きかじったことをあたかも頭を使って考えた、と錯覚しながらスラスラと書いているだけに過ぎない場合がほとんどだからだ。中2のある生徒が、苦戦しているテーマについて家で話したのに対して、お母様が「こういうこと書けば良いんじゃない」とアドバイスをしたら、「志高塾じゃあ、それでは丸もらわれへんねん」と答えたらしい。大きな成長である。そのようなやり取りがあったことを面談のときに教えてくださった。変わったことを書きなさい、と指導しているわけではない。同じような結論になるにしても、テーマに対する一般形(型)のようなものが頭に入っていれば、そのまま出すわけにはいかないので少なくともひと手間加えなければ、となるはずなのだ。その度ごとのひと手間がアイデアを生み出すための土台を作っていくのだ。
 今日の文章を読んで、意見作文の大切さが分かっていただけただろうか。

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