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2023.03.14Vol.583 筆者の声を聴き、始まる自分との対話

 橋本愛喜著『トラックドライバーにも言わせて』より

 過去に元工場長らによる突然の独立騒動があって以降、技術や経営のノウハウを外に漏らさぬようにと、工具を注文する店や、各取引先の受注担当者、技術を売る上で絶対に必要になる見積もりの基準などを、父親はある場所に隠していた。「頭の中」である。いわゆる完全な“ワンマン経営”だったのだが、こうした父なりの「会社を守る対策」が、今回は逆に仇となった。筆者と母は、社長室の書類やメモを頼りに何とか社長業を引き継ごうとするが、そもそも何が分からないのかが分からない。それらを見出す唯一の方法は、問題がそれぞれ深刻化し、表面化してくるのを待つことだけだった。

 父が急病で倒れ、当時20代で、大学卒業を間近に控えた筆者が急遽その代わりを務めることになった頃の話である。志高塾の経営で言えば、私の頭の中だけに存在しているものなどほとんどゼロに等しい。開校当初から、自分たちなりのやり方を秘匿しようという考えを持ち続けているが、何年かして、そもそも「自分たちなりのやり方」自体が無いことに気づいた。他国のスパイは、9割以上の情報を誰でも手に入るようなメディアから仕入れると言われている。このブログを遡れば、志高塾の9割5分以上のことは分かる。志高塾の教育の質を一定以上に保てている一番の要因は月間報告にある。誰でも取り入れられるものだが、きっと誰もそんなことはしない。講師の質が低いと嘆いている塾の経営者であったとしても。精神的なエネルギーをそれなりに注ぎ込む必要があるからだ。手抜きの性格なので、できる限り楽をしたい。実際、生徒たちから、「先生、全然仕事せえへんやん」としょっちゅう指摘される。サンテレビで阪神の試合を見ていると、ある建設会社の「釘は抜いても手は抜きません!」と実にべたなCMが流れる。それに倣えば、「手は抜いても心は抜きません!」となる。自分なりに線は引いているつもりである。
 次に、最後の一文に関することについて。半年ほど前に、大手進学塾に通っている4年生の生徒のお母様が、算数にも興味を持ってくださり体験授業を行った。全然考えようとせず、完全に思考停止の状態に陥っていたので、「この先、量が増えればもっと考え無くなりますよ」ということをその日の取り組みを具体例として挙げながらお伝えしたのだが、大手塾を辞めさせる踏ん切りが付かなかったこともあり、それきりになった。そして、新5年生を迎えたこのタイミングで、「やはり算数もお願いします」と声を掛けていただいた。問題が表面化しているのであれば、当然のことながら早く手を打った方が良い。しかし、物事はそれほど単純ではない。頭では分かっていても、心が付いてこないことも往々にしてあるからだ。我々にできるのは生徒、親御様のことを思って、できる限り理解していただけるような説明を心掛けること。そして、それでも納得していただけない場合は、ひとまず静観する。そして、今回のように改めてお願いされたときに、その期待に応えるべく手を打つ。穴は間違いなく大きくなっているが、まずは更地を目標に少しずつでも埋めて行き、その後、積み増せるようにする。間違えても穴を表面的に塞ぎに行ってはいけない。そんなことをすれば、遠くない未来で、正にそれが落とし穴となってしまうからだ。
 次のようなこともあった。体験授業を行った高校生のお母様より、メールにて入塾を前向きに検討していることを伝えていただいた。その中で、次のように述べられていた。「一点確認なのですが、本人の感想でもあり私も感じたことなのですが、教室内の雰囲気と言いましょうか、個々が会話をしたい時にできる状況というのはどの曜日も同じでしょうか。貴塾の方針としていずれの曜日も昨日のような雰囲気であればもう一度本人と相談したいと思います。」それに対して、私は次のように回答した。

 クラスの雰囲気に関しては、好みと慣れの部分が大きいように感じます。他の曜日も決して静かではありません。
 中高生がメインのクラス(平日の18:20~)であれば、自然発生的にディスカッションのようなものが始まることもあります。たとえば、昨日のあの時間帯のコマで、数週間前に中3の生徒が作文のテーマとは関係なく、「フェアトレードというのはフェアではない。先進国が自分たちの都合の良いように発展途上国から搾取しているだけだ」という意見を私にぶつけてきて、そこに中2の2人も加わりました。「名前がきれいなものとか、既得権を持っている側が口にしているものとかは、実態とずれている場合が多い」ということを私から伝え、その後、しばらくそれについての会話が続きました。そういう話にはそれなりの価値があると考えています。もちろん、単なる無駄話もあります。

 返信する上で、以下のことに気を付けた。お母様にとってネガティブな情報を、包み隠さずにきちんと伝わるようにすること。そして、もう1つ、「慣れ」という言葉に思いを込めた。慣れて欲しい、という願いである。目の前のことにできる限り集中するということももちろん大事なのだが、身の回りで起こっていることに興味を持つこともそれと同様に、場合によってはそれ以上に重要である。そうすれば、「自分とは関係ない」で済ますことなく、いろいろなことを吸収できるようになるからだ。一方で、中身のない話であれば、自分の周りで外国人が知らない言語で話しているかの如く、単なる音として聞き流せば良いのだ。より良い環境を求めることと、そのような環境で無ければ力を発揮できないこととは別の話である。数日して入塾の連絡をいただいた。
 いずれの例もこの2週間ぐらいの出来事である。池井戸潤含め、他に2人の筆者の話にも耳を傾けたのだが、私、どうやら聞くことよりも話す方が随分と好きなようである。一を聞いて十を話す。

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