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2022.12.13Vol.571 光

 確か3年前の夏のこと、当時3年生だった生徒のお母様がお迎えに来られた際に、「先生聞いてください。友達はみんな夏期講習に通っているのに、うちの子だけどこの塾にも行ってないんですよ。大丈夫でしょうか?」と尋ねられ、「あのぉ、規模はとても小さいのですが、一応ここも“塾”って付いてるんですけど、、、」と返した。突っ込みはするが、塾のカテゴリーに入れられていないことは嫌でないどころか、むしろ好ましい。
 先週末、URLを貼り付けた上で、元生徒の親御様に次のようにメールをした。
https://note.com/shiko_juku/n/n76cccdde08c2

ご無沙汰しております。
志高塾が最近ツイッターを始め、そこで過去の私の文章などを掲載しています。
九州新幹線などをデザインしたインダストリアルデザイナーの水戸岡鋭治さんのことを扱ったものを探していたら、偶然A君の話題が出てきたので送ります。

それに対する返信が以下である。なお、冒頭の挨拶などは削ってある。

私も必要以上のお水はいただかないことにしていますが、あまり意識していなかったことを明確にし、断っていいとはっきり考えたのは、この作文がきっかけだったと思います。
世の中は、フェアプレーとの水戸岡氏のお考えには、私も同感です。そして、自分が認識している世界なんて、ほんの小さなものなのだと思います。
雪原の中で自然の一つの要素であることを受け入れて日々を暮らす人もあれば、タワマンで下界を見下ろすことが生き甲斐となる人もいます。でも、なにか、人として生きるということに「これはたいせつなのだ」という不文律があります。
それが、うごめいて、世の中はまるで、それ自体が意思をもつかのように選択をし、進んでいるような気さえします。人の意識は、明らかに50年、100年前よりも進化していると思います。それは、人知を超えたフェアプレーが、世の中で、健全にはたらいているからですね。
若い人たちにとって、なかなかおおらかではいられない世界状況で、一握りを除いては、日本ではますます狭苦しい心持ちを強いられることが多いような気がします。
でも、大きく広く長く見渡せば、道は必ず続いていくのだと若い方々には信じていてほしいと、祈ります。その世界は、時に、自分では想像もしなかった方法で開かれ、しかし、自分に最も合ったものであるという可能性を、大人は語るべきなのかもしれません。

 前回に引き続き、日記の紹介。

2004年4月17日(土)(一部抜粋)
現在アムステルダム。今日は飛行機で週末起業の本を読み終え、目標達成。読んでみて思ったのはやっぱり起業をしたいということ。そして、自分の強みは人と接する中で何かを生み出すということ。
以前は高齢者がターゲットであったが、小学生を対象に、土曜の午前中などに、学校や塾では教えられないことを教えてみてはどうか。

オランダ出張に行ったときのものである。私は機内で寝るのが下手なこともあり、長時間のフライトを利用して週末起業に関する本を読破することを目標にしていたのであろう。その翌日の18日、ホテルに置いてあったメモ数枚に、いくつかのアイデアを考え、書き出したものをその日の日記のページにホッチキス止めしてあった。その先頭には「勉強を教えるのではなく、物事への取り組み方を教える」とあった。この時点では、教育を1つの選択肢に入れていたものの、「塾という形式ではないもの」、「点数につながる勉強を教えるのとは別の何か」を探していたことが読み取れる。そして、今、塾と認知されない塾を経営し、小論文で点数を取るためではなく、生徒たちの未来を少しでも明るくするために作文を教えている。最後の一文、「その世界は、時に、自分では想像もしなかった方法で開かれ、しかし、自分に最も合ったものであるという可能性を、大人は語るべきなのかもしれません」が、すとんと腹に落ちる。日記を書いていたあの時期、光が差すかどうかなんて分からなかったけど、いつか差すはずだと信じて暗中模索をしていた。どうにかこうにか遠くに光源を見つけ、より明るい光を求めて今なおそれに向かって歩いている一人の大人として私が語れることも少しぐらいはあるはずだ。
 今回、文章掲載の許可をお願いしたところ、「先生のお書きになるものに触発されて、日ごろのあれこれを書いてしまいました。よろしければ、お使いくださいませ。」とのお返事をいただいた。このお母様とは、志高塾の1年目にあたる2008年1月からの付き合いである。月間報告の保護者記入欄はいつもびっしりと埋められていた。それも、多くの場合、お子様の報告に対してではなく、その裏面に印刷されている私の『志高く』に絡めてのものであった。自分の文章に自信が持てなかったあの頃、「先生の文章を読むといろいろ書きたくなります」との言葉を幾度となくいただき、勇気を与えられたことを昨日のことのように思い出す。
 明るさが少なからず増しているのは、自らの足で一歩ずつ光源に近づいて行っているからなのか、それとも誰かが照らしてくれているからなのか。とにかく前に進む。これが、長い未来がある子供たちと接する大人としてやるべきことである。

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