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2022.09.13Vol.559 五里霧中

 来週1週間は塾がお休みなので、それに伴いブログもお休みです。 
 うまく行かない。全然うまく行かない。何が。文章が。
 ひとまず字数制限を取り払うことにした。それを設けてからしばらくは、「これだけ短いと手を抜いてるみたいだから、もうちょっと書いた方が良いかな」というのが無くなったことが良い方向に作用していたのだが、いつの間にか字数ばかり気にするようになってしまっていた。特に、4回に1回は通常より800多い2,800~3,200字と決めてからは、長く書けそうなテーマは取っておこう、という気持ちが働くようになった。直前にならないと手を付けないので、そのときには私の中でそのテーマの新鮮味が薄れてしまっているのだ。これまでは3回に1回ぐらいは書き上げたときに一定以上の満足感が得られていたのだが、それが5回に1回になり、しかもその1回以外は、以前のような「悪くは無いか」ではなく、「アカン」となっている。たらたらと言い訳をしているのだが、もがき続けるしかない。
 「もがき続ける」だけだと単なる精神論だけでバカみたいなので、少し分析をしてみる。私は、予め構成を決めておいて論理的に文章を組み立てるのではなく、気持ちの赴くままに書くタイプである。しかし、字数を気にするようになると、かなり早い段階から、「〇字まで来たから、残り□字は何で埋めようか」と意識するようになっていた。そうなると、もう心がうまく動かない。それは頭が働かないことを意味している。それゆえ、字数制限を撤廃することにしたのだ。本来は、字数を決めようが、行けるところまで行って、オーバーすれば削り、ショートすれば何か付け足せば良いだけの話なのだが。
 それ以外には、テーマが湧いてこなくなっているのも苦しんでいる原因である。その一因として、子供のことを書きづらくなったというのが挙げられる。長男がまだ小学生の頃は、3人とも同じ公立小学校に通っていた(その前は同じ幼稚園)ので、ほとんどそこにだけに注意しておけば良かった。たとえば、私は小学校のPTAの会長をしていたのだが、学校のことはほとんど話題にしなかった。誰が読んでいるか分からないからだ。実際、校長先生から「会長さんのブログ読んでますよ」と言われたぐらいである。しかし、長男が私立の中学校に通い始めてから、気を配る範囲が広くなり、しかも私がそことの関りが薄いので「ここまでなら書いて大丈夫」という線引きが難しくなった。夏休み明け、週1回教えに行っている小学校で、生徒たちに向かって「批評と批判は違う」という話をした。それは、生徒に記述問題の答えを黒板に書かせて、その他の生徒にその添削を前に立ってさせていた場面でのことである。「否定することが目的ではないから、よく考えた上で思い切ってやりなさい。それも勉強だ」と付け加えた。
 中2の長男にはこれまで何度か次のような話をした。「トップ校やと理解力もあって、さらにちゃんと勉強する奴もおるやろうけど、中堅校に両方揃ってる奴はまずおらん。どう頑張ってもかなわん奴なんて3人もおらんはずやから、半分以上は当たり前やし、10分の1に入ったからって別に大したことは無い」そのメッセージに込めているのは、目標の設定の仕方とそれをクリアできていなければ、それは能力ではなくやり方の問題だから工夫をしなさい、と言うことなのだ。今回はあえて書いてみたのだが、批判と取られかねないので、いつもであれば控える。
 現在、月曜の夜なのだが、昨日あるお母様からいただいたメールに次のようにあった。「明日までお休みと聞いています。きっと有意義な時間を過ごし、火曜のブログは、早くあがるのかなぁなんて思ってます。」受験生の二男が、先週の木曜にコロナ陽性になった。私は前日の水曜の夜に2人で30分以上車に乗っていた(もちろん、ノーマスクである)ので、これは完全にうつるな、と覚悟していたのだが、その他4人の家族には現時点で症状は出ていない。奇跡的である。オミクロンはかなりの確率で家庭内感染をして、しかも全員にうつる、というのが私の感覚である。このまま行けば、二男以外は明日から晴れて社会復帰である。二男も9割方回復している。その二男、1階のリビングの横の和室で一人寝ているのだが、木曜の朝、私が下りて行くと、食卓に力の無い文字で書き置きがあった。「かんと(二男の名前) 39.4度 頭痛 めまい 手足のしびれ」。そして、いつもは開けっ放しのふすまもきちんと閉められていた。それを見たときに思わず笑ってしまった。そこには親としての喜びが含まれている。辛い状況の中、初めてのことによくきちんと対処できたな、と。今日、「普通の受験生の親だったら、こんな時期にコロナに罹ったら焦るんだろうな」とふと思った。私はと言うと、「やる奴はどんな状況でもやる」と考えているので、何とも思っていない。
 そう、有意義な時間。自分が行きたい釣りやスポーツ観戦に連れて行くことはあっても、子供たちのために私の貴重な休みは使わない。それゆえ、お願いされてもアニメ映画には一度も付き添ったことが無い。外に出られないので、長男の数学を見ていた。一度解いたことのある問題をやらせてみたら、答えは合っていても、まあ解き方が汚い。回りくどいのだ。なぜか。解き終わった問題の解答を見ていないのだ。そんなの私に言わせれば、工夫以前の話である。「数学の、特に証明問題なんかは、いかに論理的に、かつ無駄なく答えるかの訓練やのに、自分の解答と模範解答比べんでどうすんねん」と注意した。中学入学後1年半が経っているが、その事実を初めて知った。勉強以外のことも長男といろいろと話したので、有意義かどうかは分からないがいつもとは違う時間を過ごせたことは間違いない。
 私は、小説であろうがエッセイであろうが、読んでいるうちに気付いたら全然違うことを考えていることが少なくない。そこを起点にして、意識は別のところに行ってしまうのだ。目で字だけを追っていた分ページを遡るのだが、えてしてまた同じことが起こる。そういう私なので、わざわざ時間を割いて読んでくださっている人の中で、何かしらの化学反応を起こすきっかけになるようなものを書きたい。それは、「あいつの考えのここがこう違う」でも良い。「ふーん」ではだめなのだ。そうなるためには、もっと具体的な内容を盛り込んで行かなければならない。しばらくはこの状態から抜けられる気配はないが、苦しみながら感じていることがある。
 作文って難しいな。だから作文って良いんだよな。

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