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2022.07.19Vol.551 ドレッシングの作り方

 凶弾に倒れた安倍元首相が、「私は頼まれたら断らない。これが基本ですから、引き受けました。」と近畿大学の卒業式のスピーチの中で語っていた。「ジャパン・スピリットコンサート2021」での、東日本大震災復興支援ソング『花は咲く』のピアノ演奏を依頼されたことについて触れていたのだ。
 話は変わる。最近また感染者数が増加傾向にあるものの、ずっと騒ぎ続けていた政府のコロナ分科会のあの尾身会長ですら「行動制限はありえない」と表明しているように、生活自体は戻りつつある。私自身、大学の同級生との同窓会、就活時代の友人たちとのホームパーティ、幼馴染たちのゴルフと飲み会、があるため、この8月は2回に分けて東京に行くことになっている。いずれも、この2年間は自粛していたことである。不思議なもので、多くの日本人の頭の中で4人と5人の間に見えない線が太く濃く引かれていたのであろう。その数字にどれほどの合理性があるかはさておき、5人以上=悪という図式ができあがっていたために、私を含め、何となく人数が多くなりそうな集まりを避けていた人は多かったのではないだろうか。久しぶりに志高塾の飲み会も各校室ごとに行っていて、豊中校と高槻校の講師たちとのものは既に終えた。その席上、「Vol.545意見作文の要諦」の中で、村上春樹が私の話を盗み聞きして、それを本の中でまるで自分で考えたかのように書いているのではないか、と私が述べていたことが話題に上がった。そんなあほなことを平気で口にする人は中々いないらしい。それを否定する気は無いのだが、自分の頭を使いもせずに、偉人なり有名人なりの言葉の中からそれっぽいものを探してきて、「みなさんもこれに学びましょう」と披露する方が数段馬鹿げている、というのが私の考えだ。校長先生や会社の朝礼で上役の人がやっていそうなイメージである。そんな言葉は響かない。お笑いコンビかまいたちに「クソ野郎」というネタがある。その中で、山内が「恋愛で悩んでる方にこのメッセージを届けます。コブクロで『サクラ』。なんじゃそら。それ、あんさんのメッセージちゃうから。それ、コブクロはんからのメッセージやから」と路上ライブでコピーをしている奴を馬鹿にする。コピーすることを否定しているのではない。メッセージを届けたいのであれば、自分で歌詞を書けよ、ということが言いたいのだ。「私の大好きな歌を歌います。聴いてください」ならまったく問題はない。
 アイデアというのはゼロから作るのではなく、既存のものの組み合わせだ、ということがよく言われる。上の村上春樹の話はきっとこうなのだ。当の村上春樹初め、私が好きな人の考え方をいくつかボールに入れて、泡立て器を使って一生懸命に混ぜながら、味が行き過ぎないよう調味料を少しずつ少しずつ慎重に混ぜて行く。そうやってできたドレッシングに「フレンチ」、「イタリアン」などの代わりに、「うまく行かないときの物事との向き合い方」、「発想の広げ方」、「気持ちのコントロールの仕方」などとラベリングしておく。それぞれでいくつかの種類を蓄えておく必要があるのだが、ある「物事の眺め方」の材料自体が、意図せずすべて村上春樹だったかもしれない。そうやって作っておきながら、「真似されちゃいましたぁ」と喜んでいるのだ。でも、そのような勘違いをするということは、裏を返せば、原材料が跡形もなくなるぐらいまで細かくなっていることの証左なのだ。ミキサーでもなく、電動の泡立て器でもなく、時間を掛けながら自分の腕を使って混ぜる。それも、クックパッドのレシピ通りに作って、はい終わり、ではなく、途中に何度も何度も味見をしているからこそ、どの料理にそのドレッシングが合うかが分かるのだ。新しくドレッシングを作ることもあれば、既存のものに新たな材料を混ぜることもある。ただ、たくさんの種類があれば良いというものでも無い。山口県の岩国城の前に、100種類以上の味を揃えたソフトクリーム屋があるのだが、とてもではないが自分に合うものなど見つけられない。5つぐらい用意したバニラ、チョコなどの中から1つを選んでもらい、お客様の好みを聞いた上で、トッピングをアレンジするのが提供する側の本来の役割のはずである。もちろん、教育の話をしているのだ。
 件のソフトクリーム屋は、観光客相手だからそれで良い。実際、何でもすぐに忘れる私が5年以上も前のことを覚えているぐらいだから、旅の思い出にはなっているのだ。先週の土曜に中1の男の子の体験授業を行ったのだが、お母様が大手塾の受験直前の志望校別特訓で、志望校と形式がまったく異なる問題ばかりをやらされて困った、という話をされていた。偏差値で輪切りにしているだけなのでそのようなことが往々にして起こる。正確には、偏差値別特訓なのだ。同じようなレベルの学校だからと言って、問題が似ているわけではない。だから、志望校ごとに細かく分かれていても(品数は多くても)中身は無いのだ。それゆえ、A判定や、Aに近いB判定を取っている子であれば良いのだが、そうで無ければ志望校別を受けることを私は勧めない。過去問を解かせるぐらいで、特別な対策をしてくれるわけではないのだから。
 昨日から内部生に配布している『志高く』の「劇的ビフォーアフター」を「紙幅の都合上、かなり中途半端な状態で終わってしまったので続きは7月19日(火)のブログでお楽しみください。もちろん、気が変わって別のテーマにしなければの話ですが。」と締めくくった。冒頭の段落はそのための「起」となっていたのだが、2段落目の「話は変わる」で、本題から転げ落ちてしまった。「承」以降は次回に持ち越しである。

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