志高塾

志高塾について
志高塾とは
代表挨拶
通塾基本情報
アクセス
お問い合わせ
志高塾の教え方
指導方法
志高塾の作文
志高塾の添削
読解問題の教え方
使用教材と進め方
志高く
志同く
お知らせ
志高く

2022.03.22Vol.536 逆L字型階段

 長文ブログ(通常の1,800~2,000字に対して2,800~3,000字)ファンの皆様、お待たせいたしました。高校生の男の子の「長い方が好きでした」ということをここで紹介したところ、「私もそうです」というお母様が1名おられたので、少なくとも2名はいることが確認できました。隠れファンが5名、いや10名はいると信じたい。その4回に1回を少しでも多くの方に楽しみにしていただけるような内容にすべく邁進してまいります。
 
 「先日、何の前触れもなく『俺のあこがれの人って誰やろ?』という問いが頭に浮かんだのですが、瞬間で答えが出ました。『明石家さんまや』と。ずっとあほなこと言いながら生きていたいな、と。そんな人の話やと思いながら、適当に聞いていただければ幸いです」
 「十人十色」で20分ほどいただき受験のことを中心に話をした。冒頭で、上のことから始めようとしていたのだが、見事にすっ飛ばした。後から振り返ると、「あれ話し忘れたな」というより、「聞いていた人は何も分からなかったんじゃないかな」というぐらい説明不足だったような気がしてきた。終わったことをあれやこれやと考えてもしょうがないので、一発目の長文のテーマとすることにして一件落着。では、始まり始まり。
 子供たち(生徒と我が子のことを指している)と接するとき、私はある成長曲線をイメージする。それにはいろいろな形のものがあるのだが、私の場合は、後から一気にギュンと伸びるものを思い浮かべる。「ノ」の字型のきれいなカーブを描くものというよりは、「L」を左右反対にしたような、最初はほぼ水平で、後から一気に上に向かっていくものである。早いうちからとにかく子供にいろいろとさせる親は、比例のような右上に向かって行く一直線を期待している気がしてならない。だから、飛び出し角をとにかく付けようとする。それはそうである。その幻想に従えば、水平に対して10度より20度、さらには30度となった方が高みにたどり着けるからだ。しかし、私に言わせればその角度というのは生まれつき決まっている先天的なものなので人工的にいじる過ぎるものではないのだ。早期教育を頭ごなしに否定する気はないが、そこにはとても恐ろしい罠があることを認識していなければならない。それは、早ければ早いほどライバルが少ないということだ。たとえば、KUMONを0歳から始める。そうすれば、幼稚園に入る前に漢字が書けるようになったり簡単な計算ぐらいであればできるようになったりするのだろう。すると、周りの大人たちから「まだ小さいのに、すごいねぇ」などと褒められ、親子で良い気分を味わう。本来、そんなものは成功体験と呼べるようなものではないのだが、その経験がその後の判断を狂わせる元凶となる。後ろから足音がひたひたと迫ってきたときに焦り始め、「うちの子は小さい頃あんなにできたのだから、もっとやらせればまた引き離せるはず」となる。そして、いつの間にか追いかける立場に変わり、そのうちに背中が遠のいていく。もし、海外のように学校自体に飛び級制度があればまだ理解できるが、現状、日本の場合は大学に1年前倒し入学できるだけで、受け入れをしている大学もかなり限られている。結局、「早期教育」は中学受験で少しでも良い結果を残すためでしかない。そこでの角度が付けば、大学受験、その後の人生と右上に向かって行けると錯覚するからだ。そういう親は、あるところを境に下降する「へ」の字型の成長が存在することなんて想像だにしない。なお、早期教育の対象は勉強だけでは無いので、区別するために「早期教育」とした。この話はこれぐらいで止めておこう。
 「子供にはこうなって欲しい」と親が願う。その前には、無意識のうちに、「自分は~だったから」というのが付いている。願望ではなく、私自身は我が子が普通に勉強したら東大か京大ぐらいには行ってくれるだろう、と考えている。元々は中学受験させる予定は無かったのだが、この春中2になる長男は中堅の私立に通っている。もし、私自身が中学受験で失敗しておらず、ぴかぴかの学歴であれば、中学受験は当然で、かつ少しでも上を目指させたかもしれない。親とは別に志高塾の代表しての立場からも我が子がそのレベルの学校に行っているのはちょうど良い気がしている。もし最難関校であれば、我が子の話を元に何かしらの提案をしても「先生のお子さんは優秀ですから」で済まされたかもしれないし、その逆だと「先生のお子さんよりずっと上を目指しているので参考になりません」と心の中で思われたかもしれない。
 A日程は不合格で、B日程も確か5点差以内の合格だったので正に滑り込みであった。その長男に入学前から言っていることがある。「最難関校ではないから、そんな優秀な奴はおらん(もちろん、我が子も含めて、である)。だから、せめて学年で10分の1ぐらいには入らなアカン。中学受験で大して勉強させてへんから他の子よりも疲れてへんわけやし」。脅しではなく1年で半分以内に入らなければやめさせるつもりであった。わざわざ遠くの私立に通わずに地元の公立に転校して、それこそ私の母校である北野高校を目指させれば良いと考えていたからだ。結果的に5回の定期テストで5教科の順位は、1回目が後ろから5分の1、2~4回目は見事なぐらい真ん中辺りをうろちょろ、そして、5回目の学年末で前から5分の1と最終的にはそれなりにはなった。1学期の中間テストでは次の日に何のテストがあるかすら分かっていないことに驚かされたが、この1年で自己管理する力が最低限身に付いたことに親として満足している。小学校時代、進学塾に通わせていなかったこともあり、量をこなすことに慣れていなかったが、それにも適応できるようになってきた。もしかすると、一番力を入れたのは朝自分で起きさせることかもしれない。1学期の間は、毎日のように「遅刻する遅刻する」とイライラしながら飛び出していたが、2学期からはそういうことも減り、3学期になるとほぼゼロになった。ただ、1年最後の日は前日が休みだったことで油断したのか2階から降りてくる気配が無かったので、妻が呼びに行こうとしたが「絶対にアカン」と止めた。結局、偶然目が覚めて、朝ご飯も食べられなかったが、入学当初のような焦りは消え、いつも通りに「行って来ます」と言いながら出て行った。成長したな、と。「それに何の価値があるのか」と思われるかもしれないが、私にとっては大事なことなのだ。
 「普通に勉強したら東大か京大ぐらいには行ってくれるだろう」に関して一番言葉足らずだったかもしれない。それを親の私が勝手に息子たちの目標として設定しているわけでは無い。闇雲にやらせることは無いし、逆算して何かをさせることも無い。あの場で、子供にとって3つの大事なことを挙げた。「好奇心」と「集中力」と「前向きに継続する経験」。「普通に」というのは、それら3つに大切にしながら、ということである。「早期教育」により「へ」の字型になってしまう子は、「好奇心」と「集中力」が欠如しているし、勉強以外「継続していること」はないし、その勉強ですら前向きな訳では無い。逆L字をいくつもくっつけて、社会に出てからも階段状の成長をし続けられる子。そのベースを築くことに少しでも貢献したい。

PAGE TOP