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2021.11.30Vol.521 楽しいと嬉しい

 「Vol.519 The 作文」の彼女のデジタル署名の数は、先週の時点で1,300人を超えた。一つの目安が100人だったのでかなりの数字である。ご協力いただきありがとうございました。私のブログを読んでくださる方は50人もいないのに、といじけたくもなるが、まずはその貴重な人たちに楽しんでいただけるように頑張らねば。
 と言いつつも、早くも宗旨替え。彼女の文章に味を占めてこれから毎月度の1週目は中高生の意見作文を掲載しようかと考えている自分がここにいる。少し補足すると、志高塾では毎月が4週になるように設定しているため暦の「月」とずれているので「月度」という表現を用いている。その1週目は月間報告に追われてそれなりに忙しい。そこで考え出されたのが上の一石三鳥のアイデアである。1つ目は、私が楽をできる。2つ目は、中高生になったらどのようなことするのかを親御様に感じていただける。3つ目は、『志高く』に新鮮さが注ぎ込まれる。
 善は急げ。1月度の1週目に当たる12月14日(火)に向けて、数週間前に中3の男の子を指名した。彼は学校の文化祭で「一人語り」というイベントに自ら手を挙げて参加し、そこで自分が開発したいアプリについてプレゼンを行った。その準備段階で、どのような内容を話すかを何回かの授業を費やして一緒に考えた。その発表で使用した原稿を文章だけで理解していただけるように手直ししている最中なのだが、想像しているよりも手間が掛かる。『コボちゃん』や『ロダンのココロ』を文字に起こすのに似ていて、相当情報を補わなければならないからだ。
 さて、そのアプリ。彼が、ネットニュースなどのコメント欄で言い合いをしているのを見るのが好き、というところから始まった。それを口論から討論に昇華させるための仕掛けを作ろうという試みである。ちなみに、意見作文を添削するときは、「こういうことが言いたいんやろ?」ということを1つ1つ確認しながら、生徒たちの中に存在しているものの、まだぼんやりとした状態のものに輪郭を与えて行くのが我々の役割である。まかり間違っても、「そんな意見は捨てて、こういう結論にしなさい」などという導き方はしない。もちろん、考える方向性が明らかに良くないこともある。そういうときは、どこが悪いのかを本人が認識できるようにしてあげなければいけない。それを踏まえて、新たにどこに向かって行くかを決めるのもやはり彼ら自身である。それが定まった段階で、それについてまた一緒に考察して行く。その繰り返しである。輪郭を与える、の一例を示す。彼が何をしたいのかを聞いた上で、マイク・タイソンをイメージしながら、そこら変で不良同士がやっているのは単なる喧嘩だが、彼らをボクシングのリングに上げれば立派な格闘技になる。そのアプリは言わばリングを提供するようなものだ、という話をした。その詳しい内容は彼の文章に委ねる。前回の授業で、冒頭400字ほど書いたものに目を通したのだが、ネガティブな要素が強すぎた。誹謗中傷などが問題になっているので、負の側面があるのは分かる。しかし、文章の書き出しがそれでは読み手は面白くない。「そもそも、アプリ開発というのはもっとワクワクするもんじゃないのか。当の本人が楽しんでないのに、人は集まって来ないよ。文章も楽しいことから始めないといけない」という指摘をした。要は、「俺は、こんな楽しいことをしたい、それによって現在のこういう問題も解決される」という順番にした方が良い、というアドバイスをした。マイク・タイソンの例で言えば、彼はこれまでにこういう卑劣な犯罪を重ねて来て、ということではなく、彼がもしプロのボクサーになったらそのパンチ力がいかに魅力的か、ということから始めなさい、ということである。
 話は変わる。先週末、高1の男の子が進路のことで悩んでいたので、立ち話程度の話をした。正確には、座りながら30分ほど意見交換をしていたのだが、改まってのものではなかったということである。半年から1年ぐらい前に、急に「医者になりたい」と言い出したのだが、それを聞いたときには随分と違和感があった。言下に否定せずにそのままにしていたのだが、理系、文系を決める時期がいよいよ迫って来て本人の中で迷いが生じ始めた。そこで、「もし、お父さんが医者じゃなかったら、医者を目指すの?」というシンプルな質問をした。「それは絶対にないです」と返って来た。ここでもよく述べるが、私は理系、文系という分け方は好きではない。ただ、あえて分類すると彼は間違いなく文系である。そのようなことなどを踏まえて、「人間的に面白いから、きっと良い医者になれると思うよ。でも、その要素は医者以外でも生かせるからな。強引になりたい職業を決めるんじゃなくて、自分が学んで楽しいことを見つけることから初めても良いんじゃない。持っている英語力からしたら海外の大学に行くことも可能だし、彼らは大学は文系、大学院は理系みたいなことも普通にあるから、大学で勉強しながらもっと楽しいことを探すのも1つの方法やで」と伝えた。
 そもそも医者と言うのは最も分かりやすい職業である。もちろん、医者になることを反対しているわけではない。志高塾の生徒で医者になりたい、と言っている生徒は過去にもたくさんいたが、将来半導体の技術開発をしたい、古典文学をとことん研究したい、楽器作りの職人になりたい、といった類のことを聞いたことは記憶にない。職業選択に限らず、分かりやすいものほど本当に自分の頭で考えているかを疑ってかかる必要があるということを訴えたいのだ。彼とそんな話をしていると、偶然にも元生徒の親御様から以下のようなメールをいただいた。
「松蔭先生、こんにちは!親類が、東大で教授をしているんですが、早期退職することになり最終講義をzoomで配信するそうです。文化人類学。インドが専門です。文系のお話しですが、東大にも生徒さんを送り出してらっしゃる松蔭先生には、ご興味をもっていただけるかも?と。」
彼に早速その内容を伝えると、すぐに参加登録を済ませていた。彼は医者になっているより、それこそインド人と現地で楽しそうに仕事をしている方がしっくりくる。あくまでも私の勝手な考えであるが。ここで、その案内を告知しようかと考え、念のためにお母様に確認するとあまり広げ過ぎない方が良いとのことだった。それは1月10日に行われます。もし、ご興味があれば私に直接ご連絡ください。申し込み用のURLを個別にお伝えいたします。
 奇しくも私は2人に「楽しい」という言葉を使った。志高塾では、1つの作文において重複表現を禁止している。すると、『コボちゃん』や『ロダンのココロ』に取り組んでいる小学生は、「楽しそう」を使ったら、それを繰り返さないように今度は「嬉しそう」に変える。そのようなこともあり、その2つを同様なものだと捉えていた。しかし、「楽しいことをしたら」とは言うが、「嬉しいことをしたら」とは言わない。宝くじが当たったら嬉しいけど、楽しくはない。難しい問題をどうにかして解いてやる、と悪戦苦闘しているのは楽しいけど、嬉しくはない。要は、楽しいは過程との、嬉しいは結果との結び付きが強いのだ。だから何だという話なのだが、こういうことを考えるのは楽しく、たとえそれが小さな発見であっても嬉しいものである。
 この1, 2か月、偶然にも何人かの元生徒が連絡をくれた。それも嬉しいことである。昨日も、医学部に通う5回生の女の子が3年ぶりぐらいに電話をしてきたので、「どうした?」と聞くと、「偏った意見が聞きたくて」と返って来た。私ほどバランス感覚に優れた人はいないのに。ちなみに相談内容は、中学受験を終えるまで志高塾に通っていた高3の二男が急に医学部に行くと言い出し、その理由が「かっこいいから」なんですがどう思いますか、というものであった。話を聞き、俺は別に良いと思うけど、と返しておいた。ダブルスタンダードではない。これに関しては、気が向けばブログのテーマとして扱う予定である。
 「いつでも教室に顔出してや」と伝え、切ろうとしたのだが、突然訪ねてくるのも気を遣うか、となり、「じゃあ、今度飲みに行こう」という話になった。これまでにも何人かと行ったが、小3の頃から知っている元生徒と飲みに行く日が来るというのは不思議な感じがしてならない。

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