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2021.11.23Vol.520 たゆたう

 一カ月前ぐらいから構想を温めていた。と言いたいところなのだが、ゆで卵を作るため、水を張った鍋に卵を入れただけで火にかけていなかった、といった感じである。
 コロナが流行り始めた1年半ぐらい前からめっきり読書量が減った。その要因は主に2つである。1つ目は、車通勤になったこと。読書時間を確保するため、あえて職住近接にならないにように電車を利用するようにしていたので当然の帰結かもしれない。2つ目も、車通勤になったこと。以前は、豊中か西宮北口のどちらかの駅にあるブックファーストでまとめ買いをしていたのだが、その機会が失われてしまった。読んでいないものが手元にたくさんあれば早く読まなきゃ、という力が働きやすく、読み終えて次の本を探すときにも選択肢が多いのでそのときの気分にあったものが見つかりやすい。それと同じ理由で、かばんには小説とそれ以外(ビジネス系のものなど)を入れていて、その瞬間気乗りする方を読み進めるようにしている。
 子供の頃に本を読まなかったので本屋に行く習慣が無かった。だから、今もわざわざ行こうとはならない。西宮ガーデンズの中に大きなブックファーストが入っていて、教室から歩いて10分も掛からないのだが足が伸びないのだ。三つ子の魂百まで、とはよく言ったものである。
 ネット注文すれば済む話なのだが、特に小説に関しては実店舗で興味を持ったものを買ってみて、面白ければその作家のものを片っ端からネットで注文する場合が多い。そのプロセスにこだわりがあるわけではないのだが、なぜだかそうなのだ。新しい出会いはあるものの、城山三郎を超える人は出てこない。親が私に与えてくれたものは数多あるのだろうが、その中の1つに彼との出会いが挙げられる。性格が似ていたことから父とはよくぶつかっていたので、勧められて、素直に「分かった、読んでみる」とはならなかったはずである。大学生になってようやく空っぽの自分に気づいて、「もっとまともな人間にならないと。そのためにはまずは読書」という焦りの中で、父の書棚を物色して偶然に手に取ったのがきっかけのはずだが定かではない。「将来の目標は?」と尋ねられれば、以前であれば「『仕事の流儀』か『情熱大陸』に出ること」と冗談半分で答えたかもしれない。しかし、情熱がないどころか、そもそも仕事をしているのか、という疑いすらある。最近は「先生、ゴルフばっかしてるやん」と言われることしばしば。本当は、「いや、そんなことはない。トレーニングとヨガをそれぞれ週1回1時間ずつしているし、隔週でフルコートのサッカーもしてるで」と訂正しようとしたのだが、グッと言葉を飲みこんだ。しかし、生徒たちの指摘にも一理あるので、「これじゃあアカン」と先週の金曜日に半年ぶりぐらいでフットサル(ミニコートのサッカー)に顔を出し、今日は教室に行かないので3カ月ぶりぐらいに釣りに出かけようとした。福井までタラ釣りに行きたかったのだが、3日前に確認すると日本海の波は高そうだったので、鳥羽の鯛にしようとなった。しかし、往復で5時間、船で5時間となると文章が仕上がらないとなりあえなく断念した。ちなみに、タラの白子はその日のうちであれば生で食べられる。少し腹を開いて、船の上で塩水につけて食べるのも中々の美味。これは正に釣り人の特権である。
 「プロセスエデュケーション」というタイトルを付けて冒頭の段落を書き始めたのだが、本題まで行きつきそうになかったのでそのまま流れに身を任せることにした。話題をつなげていくがゆえに、「しりとり(作文)」でも「なりゆき」でも良かったのだが、「たゆたう」に落ち着いた次第である。
 そう、その将来の目標。今であれば「城山三郎の小説に取り上げられるようなかっこいい人になること」と冗談ぽく、でも真剣な目をして答えるかもしれない。「なること」ではなく「少しずつでも近づくこと」にすれば、諦めることなくいつまでも精進し続けられるかもしれない。最近は、ゴルフのことばかり調べているので、ネットニュースも自然それ関連のものが上がってくる。その1つとして「超名門クラブで城山三郎さんが口にした『あまり右に行くなよ』の戒め」というものがあった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/da102a65a697b8eac3a6120996c7eaa11450604d
超名門クラブとは、ゴルフ場のことである。タイトルを目にして、「城山三郎も心の中でそう唱えながら打ってたんか。俺は左に曲がりがちやから反対やな」と思ったら、ゴルフのショットとはまったく関係の無い話だった。タイトルにだまされた、ということはよくあるのだが、これほど心地良いものは中々無い。
それはさておき、あの城山三郎も好きだったことを知り、さらにゴルフを頑張らねば、と決意を新たにした次第である。ここで締めても良いのだが、あと少しだけ。  
 私が城山三郎を好きなことを持ってして、「やっぱり昔の作家の方が」などという気はない。だがやはり、推理小説なら東野圭吾より断然松本清張なのだ。作家のこととは関係なく、少し前に何がきっかけか分からないが「古き良き」ということについて、正確には、「新しき良き」とは言わないよな、ということについて考えていた。どうしても人と言うのは、失ったものに目が行きがちで、それもあり年を重ねるほど若者の意見との距離が生まれる。それに対して、無理に理解しようとしたり受け入れようとしたりするのはきっと難しくて、自分なりに「新しき良き」に思いを馳せることが大事なのではないだろうか、という結論に行き着いた。頭で理解できれば、心がそれに従うはずなのだ。このことをどこかで書きたかったので強引に放り込んでみた。
 休日の昼下がりのような実にしまりのない文章に仕上がった。今週は、木、金、日とゴルフのラウンドである。それに向けて、少しでも真っ直ぐ打てるように今から打ちっぱなしへ。城山先生、見ていてくださいね。

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