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2023.02.21Vol.580 自由と勝手の違い

 受験後に二男が解いた甲陽の過去問(物語文)より。

 ブンは先生の後ろを、まるでしかられているみたいにうなだれて歩いていた。
 胸張って歩けよ、もっと自慢しろよ、自慢していいんだよバーカ
 ブンの背中に言ってやりたかった。ちょっと乱暴に、ボールでもぶつけて、ふり向いたところに「がんばれよ」と言ってやろう。声は聞こえなくても、笑って手をふれば、あいつにはわかる。それだけで、すべてが通じる。

問6 太字部の「バーカ」というのは、どういう気持ちからですか。説明しなさい。

解答例①
「自分は負けているくせに嫌味を言ったのに、ブンは勝っているのに自慢をしないので自分の意地悪さに怒っている。」
解答例②
「メンバーに選ばれたのに自分に気づかってうなだれているブンに、そんなこと気にせずに堂々としろとはげましいいやつだなと思う気持ち。」
解答例③
「落選した自分に気づかうことなく、メンバーに選ばれたことをブンが心から喜ぶことを願う気持ち。」

本文では、中学のサッカー部に所属している主人公のモトとブンが市の選抜チームのメンバーを決めるための選考合宿に参加してから、結果が出た直後までの場面が描かれている。その大問からもう一問。
 
 メンバーに残る自信はあるし、合宿の様子を冷静に判断して、ブンはちょっとヤバいかもな、とも思う。だから、モトは笑って言う。
だいじょうぶだよ、ブンなら。俺のほうがヤバいよ、マジ
「いいっていいって、気いつかうなよ、そんなに」

問3 太字部の「モト」の気持ちを説明しなさい。

解答例①
「選抜チームにほぼ選ばれ、ブンがほぼ選ばれないと確信し、ブンに勝ったことを喜んでいる気持ち。」
解答例②
「自分がメンバーに残る自信があるという余裕から、ブンのことを少しは思いやってやろうという気持ち。」

いずれも①は二男のもの、②は赤本のもの、問6に関する③は私のものである。問3の方に③が無いのは、②が修正する必要のないものになっているから。もし、問6の②を生徒が書いたのであれば間違いなく考え直しをさせる。「~だな」は書き言葉では用いないので、そこが1つ目。そして、2つ目が「思う」。ここでは「思う」ではなく、私がそうしたように「願う」などプラスのものを当てなければいけない。日頃から、生徒たちにはプラスマイナスを意識するように、と口酸っぱく伝えている。
 その「思う」について。週1回2コマの授業を行っている小学校での我々の担当は、中学受験が終わり6年生から5年生に変わった。受験対策を求められているからだ。その5年生に対して、これまでの約一か月間、『コボちゃん』だけを扱ってきたのだが、昨日初めて読解問題をさせた。その中に、「気持ちを含めて答えよ」と指示された記述問題があった。「願いを書いた笹を皆が流すと川がゴミだらけになると心配したから」とすべきところで、3分の1ぐらいの生徒は「ゴミだらけになると思ったから」としていた。彼らは全員が中学受験をするはずであり、おそらく進学塾に4年生の頃には通っているのに、「思う」を入れさえすれば「気持ち」になると誤解しているのだ。
 話を戻す。ちなみに、問3がこの大問における最初の記述問題で、問6は最後である。モトの描かれ方は、問3の調子に乗っている嫌な奴から、落選して落ち込み、問6で実は根は優しい奴、といった感じで、ものすごく分かりやすく変化して行くのだが、二男はそもそもそこが掴めていない。

 今朝、丸付けを行った物語文からも1つ。

 その頃、父親は長年勤めていた会社をやめ、独立したばかりだった。毎月、従業員に給料を払うとほとんどお金は残らず、私の家は無給に近い暮らしが続いていた。母親はそのことを隠しもせず、味噌をぬっただけのおにぎりを食卓に並べることもあった。そのお米や味噌も母親が近所の家からもらってきたもので、「今日は山本さんちと武田さんちのブレンド米ね」と笑っていたが、その目は赤く充血していた

問 太字部から母親がどういう思いでいることが読み取れますか。

解答例①
「あまりかせげずに、子供にぜいたくな生活をさせてあげられないことが悔しい、という思い。」

これに関しては、そもそも下線部の前半部分にまったく触れられていない。それを踏まえると、次のようなものになる。

解答例③
「少しでも前向きになれるように、生活が苦しいことをおもしろおかしく表現しようとしているが、本当は辛いこと。」

それ以外に指摘したのが、「悔しい」という言葉。私の「辛い」と大差は無い。ただ、「負けて悔しくないの」と親が子供を問い詰めることは少なくないが、「辛くないの」とは通常ならない。この例からも分かるように、「悔しい」の一言に、二男が勝ち負けで物事を捉えがちだということが表れている。実際、最初に示した大問の2つの記述では、「負けているくせに」、「勝っているのに」、「勝ったことを」と具体的に入っている。
 受験1か月前ぐらいから始まった二男との読解問題の勉強。受験後の方が圧倒的に中身の濃いやり取りができている。より良い言葉、表現を求めることに時間をたっぷりと掛けられるからだ。言葉が豊かになれば、思考は柔軟になっていく。記述問題で「罪悪感を覚える」としていたことがあった。これも受験後の話である。「後ろめたさを感じる」を私からは提示した。どちらでも丸になる問題だったのだが、いくつかの中からより適したものを場面に応じて選択できるようになってほしいからだ。もちろん、読解問題で点数を取るために、ということではない。
 また、時に答えが大きくずれることがある。そこから、読書をしていても勝手な解釈をしていることが容易に推測できる。本なので好きに読めば良いのだが、自由な解釈と勝手なそれとは大きく違う。自由というのは、筆者や作者が訴えたいことをそれなりに理解した上で、「そうだよな」と共感したり、「それも分かるけど、やっぱり自分はこっちかな」となったりすること。それに対して、勝手というのは、そういうものを完全に無視して、「俺はこう思う」とただただ自分の意見だけが存在している状態。たとえば、原発に「賛成」と「反対」のように、持論が真逆な二人でも分かりあえるということはあるはずである。そこに欠かせないのは、「それにも確かに一理ある」というそれぞれの意見に対する相互理解だろう。逆に、同じ「賛成」という立場でも、たまたま同じ側にいるだけでまったく分かり合えないこともある。
 平日毎朝6時15分から1時間の二男との勉強。ならせば、国語と数学の時間は半々ぐらいになる。数学の場合は勉強を教えている、となるのだが、国語は息子の人間的な部分を育てている、となる。どちらも大切なのだが、親としての充実感は国語の方が断然得られる。国語の重要性、楽しさを再認識している今日この頃である。

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