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2023.01.10Vol.574 (並)中学受験生の父として

 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 現在、祝日の9日(月)の朝9時過ぎである。中学受験に臨む二男を前受けの受験会場に連れて行き、不安気な背中を見送って帰って来たところである。幼稚園の頃、YMCAのお泊りキャンプに初めて参加させたときのことを思い出した。驚いたことがある。それは、付き添いの父親比率が高いことに対してである。私の見た限り父だけが全体の6、 7割で、それに両親を合わせると9割近くになっていた。もし、二男が私についてきて欲しいとお願いしなければ間違いなく妻に任せていたので、実に不思議な感じがした。ちなみに、私の中学受験のときは母であったし、父が来るなど考えられなかった。煙たい存在だったからだ。時代は変わり、子育てをするようになった分、父と息子の距離は縮まっているのだろうが、息子にとって父というのは基本的にそういうものだと認識している。世間一般がそうであり、私も例外ではないということである。それゆえ、男の子が生まれたとき、私の話に耳を傾けているうちにいろいろなことを伝えようと考えたものである。その期限は、自分の経験上高学年ぐらいに設定していたのだが、中2の長男との関係もまだ悪くはなっていない。話を戻す。当時の記憶はほとんど無いが、試験後に学校の近くにある古びたラーメン屋に母と寄ったことは何だかよく覚えている。確か、キャベツやもやしなどの野菜がたくさん載っていた気がする。
 年末に着物を来て正月特番を収録する芸能人よろしく、新年一発目の文章を年末に書き始めていた。構想もできあがっていたので、後は仕上げるだけという状態だったのだが、今日(9日)急遽それを来週の17日に回すことにした。その理由は2つある。1つ目は、二男の受験日が9、14、18日ですべて私が同伴することもあり、この1週間はバタバタしていつも以上にアイデアが浮かびそうな気がしないこと。2つ目は、受験が終わってから落ち着いて振り返ってみるのも良いのだが、今の生の私の気持ちを伝えるのも少しぐらいは意味があるかもしれない、ということ。
 通常、タイトルの前後に付けるのであれば、(仮)、(続)などなのだが、新年早々ややこしいことをした。並列の意味である。来週16日から内部生の親御様に配布する『志高く』は、早くも書き上げ、そのタイトルを「中学受験生の父として」とした。(続)であれば、そちらを読んでいなければこちらが理解しづらくなってしまうのだが、これ単体としてもひとつの形を成すようにした。(ス)としても良かったかもしれない。映画やドラマであるスピンプオフの頭文字である。内部配布の方では、志望校を明らかにしているのだが、結果的にこちらではオープンにしないことにした。わざわざここで言う必要もないか、となったからなのだが、統一入試日の14日はさておき、9日と18日は日程からほぼ特定できるので隠す気はないのだ。そんなことを考えていて、学生時代、点数の書かれた右上の部分を折っていた女子が多かったことを思い出した。「誰もお前の点数に興味なんてないわ」と心の中で突っ込むか、本当に見られたく無さそうにしている子の分に限ってはめくっていた気がする。昔からちゃんと性格が悪かったのだ。それに関して今回気づいたことがある。あれは、実際に見られたくないというのもあるが、もしかすると同調圧力の方が強かったのではないか、ということに。「見られるのは別に嫌じゃないけど、他の子もしてるから合わせといた方が良いかな」という。この私の推測が当たっていたとしても、それがどうした、ということになるかもしれないのだが、こういう自分なりの発見とそれに伴うちょっとした喜びを積み重ねて行くことはすごく大事なことであるような気がする。釣りに例えると、鯛ではなく太刀魚である。鯛は小さいのは海底の周辺にいるが、大きいのはそれよりも浅いところにいることが多い。それゆえ、周りの人がたくさん小さいのを釣り上げていても、ぼうずになることを恐れずに粘り強く大きいのだけを狙うことが大事になる。しかし、太刀魚は違う。大きいのも小さいのも同じところにいるから、とにかくたくさん釣ることが大物に出会う可能性を高めてくれるのだ。
 今回、親として貫けたこととそうでなかったことがある。まず前者から。ここで経緯に関しては割愛するが、志望校に関しては二男にとってぎりぎり手が届くか届か無いかというところだけに絞った。前受けを除いた2校のいずれかに合格できる確率は10%ぐらいである。3校とも偏差値はすべて同程度なので、不合格、不合格と来て、最後の受験を迎える可能性が非常に高い。本人にもそのことは伝えてある。それゆれ、実際にそうなったときにどのような声掛けをしようかな、ということに思いを巡らせている。ものは考えようである。サッカーの日本代表はコスタリカ戦で負けたという若干の誤算はあったものの、初戦のドイツ戦で大金星をあげてなお、強豪のスペイン戦を前にして土俵際に追い込まれていたのだ。二男の場合、負け、負け、と来てもその最後の勝負に勝てれば良いのだから恵まれている。次に後者に関して。年が明けて5日ぐらいまでは3学期もそのまま学校に行かせる気でいたのだが、これは正直私自身がびびってしまった。コロナになったとしても、救済措置はあるし、あの歳でそういう経験をしていれば、その後の人生でコンディショニングの大事さを意識するだろうからそれも経験だ、と考えていたのだが。そう言えば、年末に箕面にある勝尾寺をお参りしたのだが、手を合わせた後の帰り道、「『合格させてください』などと願っているようではアカン。合格はあくまでも自分でつかみ取るものだから、自分ではコントロールしきれないこと、今であれば『コロナに罹らずに、本番に臨めるようにしてください』などにするもんやで」という話をした。まだまだ書きたいことはあるのだが、今回はここらへんで。
 最後にお知らせです。今回の『十人十色』は2月19日に行うことが決まりました。少しでも多くの方に参加していただければ幸いです。私も話す予定にしています。「(初)中学受験生の父として」といったところでしょうか。

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