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2022.05.03Vol.541 そうでないことはそうであることと上下関係にあるわけではない

 ただいま5月1日(日)の16時過ぎ。大学生ではないので、忙しい自慢などする気はないが、明日2日(月)は6時過ぎには家を出てゴルフ。急いで帰宅し、17時から梅田で元生徒、元講師たちとの飲み会。3日(火)は9時ぐらいには家を出て、昼過ぎから長男と乗合船でのタイ釣り。そして家に着くのは20時前後。一週間前、「仕事が休みのときに書いた方が気楽で良い、ということに気付いてしまいました」と書いたものの、今回に関しては当日と前日に時間の余裕がない。日頃、同じような状況の人に向かって私は何と言うか。「急に決まったことではなく、前から分かっていたことやろ」現実と向き合う決心がついてようやくパソコンの前に。ちなみに、大学生の頃の私は、記憶できる程度にしか予定を入れていなかったのでスケジュール帳いらずであった。実際のところは、大学生になったからには、と入学と共に身銭を切って少し高級な皮のシステム手帳を買ったものの、ほとんど白紙状態の中身を毎年入れ替えることを繰り返していた。理由は単純で、その日に何をしたいかはその日になってみないと分からなかったから。マージャンをしたければ仲間を誘い、飲みに行きたければ友達に声を掛ける。寝たければ寝る。前もって用事が入っていると、大抵その日の朝には「行きたくないなぁ」と憂鬱な気分になったことは少なくなかった。きっと、大学生というのは、自由に使える時間を一生のうちで一番持っている時期なのだろう。
 長くて、よく分からないタイトルを付けたときは「なんだか村上春樹っぽいな」と感じる。似て非なるものの典型かもしれない。そして、そういうとき、かなりの確率で実際に彼の本を読んでいる。今は、『職業としての小説家』だ。今回のテーマとは関係のないことなのだが、その中に次のようにあった。

 これはあくまでも僕の個人的な意見ですが、もしあなたが何かを自由に表現したいと望んでいるなら、「自分が何を求めているか?」というよりはむしろ「何かを求めていない自分とはそもそもどんなものか?」ということを、そのような姿を、頭の中でヴィジュアライズしてみるといいかもしれません。「自分が何を求めているか?」という問題を正面からまっすぐ追求していくと、話は避けがたく重くなります。そして多くの場合、話が重くなればなるほど自由さは遠のき、フットワークが鈍くなります。フットワークが鈍くなれば、文章はその勢いを失っていきます。勢いのない文章は人を ―あるいは自分自身をも― 惹きつけることができません。

 要約作文、読解問題を一通り終えて意見作文に入ったばかりの生徒が取り組む教材で与えられるテーマの中に、「あなたの一番楽しい時間について説明しなさい」、「多数決という決め方に賛成か反対かを述べなさい」というものがある。先週もある生徒に、「一番楽しいことだけを書きに行くと、どんづまりになるから他のことについて考えを巡らせなあかんで」とアドバイスをした。200字以内であればそれで良いのだが、志高塾では400字が一つの目安なので、そのことだけで密度の濃いものにするのはほぼ不可能である。世の中にじゃんけんもなく、くじ引きもなく、話し合いもなく、多数決しか存在しなければそもそも賛成も反対もないのだ。一番楽しいことも、多数決の価値もその他のこととの比較によって決まるのだ。
 翻って私の場合は、ご存知の通り、人に言うだけのことはあってテーマから始めることはほとんどない。正確には、まったく関係のないことから話を展開して行き、さほど中心に近づくこともなく終わることしばしばである。しかし、これは考えてみればおかしな話なのだ。題材は私自身が決められるからだ。多くの場合、タイトルを別のものにすれば解決するのだが、それをしていないだけなのだ。それには2つの理由がある。1つには、タイトル自体を気に入っているから。2つ目としては、それに備忘録の役割を持たせているから。来週こそはそれについて書こう、という積極的な気持ちもあれば、書きたいことが何も思い浮かばなければ困るから保険を掛けておこう、というのもある。「二歩先三歩先」もそのままになっているので、さすがに今回は少しだけ中心に向かおう。
 私が具体的な学校名を挙げるとき、「東大、京大」、「灘、甲陽」が圧倒的に多い。前者は自分が受験生の頃の名残で、後者は志高塾の開校時の状況と深く結び付いている。当時、中学受験予定の小3, 4の男の子が圧倒的に多く、志望校を尋ねれば、異口同音に「灘、甲陽」と返ってきた。そういう背景があって、今でも中学受験の結果にはその2校の累計の実績を載せている。別に、灘、甲陽に合格する生徒を増やしたいわけではない。仮に、偏差値が高い順に1, 2, 3, ・・・, 10とあった場合、結果だけを見れば3より2の方が良い。しかし、2の生徒は元々1を目指していて、3の生徒は志高塾に入塾した段階では5に受かるかどうかのレベルだったかもしれない。また、勉強以外に熱中していることがあり、受験のためにそれを犠牲にすることなく、希望通り7の学校に合格し、しかも、作文への苦手意識も無くなり、読書の習慣も付いた。この3者の良し悪しを軽々に判断はできない。そもそもその比較などに意味はないのだが。大事なのは、生徒の未来を明るくするために我々が役立てたかどうかなのだ。
 上の話では「そうであること」は「灘、甲陽(もしくは、同等レベルの学校)」で、「そうでないこと」は「それら以外の学校」ということになる。上限の2,400字が目前に迫っているため、今回はここらへんでやめておく。さすがの私でも、これだけ中途半端な状態で終わるわけにはいかないので、続編をご期待ください。
 
 現在、3日の朝8時。一昨日書き上げたものの最終チェックを終えた。爆釣を夢見ながら一路淡路島へ。

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