志高塾

志高塾について
志高塾とは
代表挨拶
通塾基本情報
アクセス
お問い合わせ
志高塾の教え方
指導方法
志高塾の作文
志高塾の添削
読解問題の教え方
使用教材と進め方
志高く
志同く
お知らせ
志高く

2022.02.15Vol.531 ほぼ再放送

 ブログを毎回読んでくれている豊中校の高校生が「あの長いのを読むのが好きだったんですけどね」とコメントしてくれていたらしい。駄文を垂れ流し続けていたのではないか、というのが未だにぬぐえないので少々救われた気がする。ありがとう。
 4回に1回は1,000字増やして、2,800~3,000字のものを書くことにする。今年に入って1,800~2,000字と決めた。超えそうなとき、逆に足りなさそうなときもあったのだが、既定の字数内に収めに行った。何となく長くなったでは意味が無いので、オリンピックのように4の倍数の号のときにそのようにする。善は少し急げ。早速次回がそれに当たるのだが、心の準備ができていないのでVol.536を1回目とする。乞う少しご期待。
 さて、本題。探し物は見つけにくくないはずのもので、鞄や机の中には無いからそんなところは見向きもせず、でも見つからないから、とてもではないがウフッフーと夢の中で踊る気にはなれなかった。残念なことに探すのを止めて見つかるものでもなかった。

Vol.340「アナログ頭脳とデジタル頭脳」
 平昌オリンピックが幕を閉じた。スノーボードで前回大会同様に銀メダルを獲得した平野歩夢選手のインタビューを見て驚いた人は少なからずいるのではないだろうか。声質、口調なども影響を与えているのだろうが、頭の良さを感じた。決して難しい言葉を使うわけではない。語弊があるかもしれないが、スノーボードの選手っぽくはなかったのだ。
(中略)
 スポーツをするにも頭の良さが必要だ、というようなことは以前から言われている。それゆえ、一流選手はインタビューにおける受け答えがスマートだ、と結論付けることもできる。だが、平野選手のインタビューについて何とはなしに考えていたら、別のところに理由があるような気がしてきた。一流選手は、他の選手よりもインタビューされる機会が多い、というのが、私が考えたそれである。同じようなことを何度も質問される。それに対していつも同じように答えるのも芸がないので少しずつ変える。すると、そこにバリエーションが生まれる。時に、まったく新しいことを尋ねられる。そのことがきっかけで頭の中に漠として存在していたものに言葉が付与される。そして、それが競技にフィードバックされるということもあるのではないだろうか。すると、より活躍する可能性が高まる。

 なぜ探すのに手こずったのか。それは、「俺って、先見の明があるよなぁ」と調子に乗りながら、彼が初めて参加したソチオリンピックが開催された2014年2月前後の文章をその対象にしていたからだ。一通り目を通した後も、読み落としてるかも、と結果的に三通りぐらいした。そんなはずはないけど、一応、といった感じで2018年に場所を移すとあっさりと見つかった。「俺は、8年も前から目を付けてた」と思いたかっただけで、実際は4年前だったのだ。
 今回のインタビューでもやはり同じような印象を受けた。前回、「頭の良さを感じた」と述べた。「頭の良さ」よりも「人としての賢さ」という方が適切な気がする。「頭の回転が速い人」ではなく、「冷静に状況判断ができる人」であることが言葉から伝わってくる。技術力だけでは、ほぼ完璧な演技をしたにも関わらず予想以上に低い点数を付けられた2本目を超える滑りを3本目にして逆転ではできなかったはずである。
 そして、もう1つが、新庄が監督になり、話題を集めている日本ハムでプロ入り後伸び悩んでいる清宮幸太郎について。

Vol.215「スポンジ、スポンジ、ス」
 前回話題にした早稲田の清宮に関する話を少々。見事1回戦を突破し、本人も1本ではあったが目の覚めるような当たりのヒットを打っていた。その試合、テレビの解説に呼ばれていたのは、松井の高校時代の監督であった。彼が「松井2世」と呼ばれているため、そのようになったのかもしれない。
 その元監督が、2打席終えた時点で「もっと全力疾走をしなければならない」
というようなコメントをしていた。1打席目はフライアウトで、2打席目はデッドボールであったため、ゆっくり走っても結果に変わりはなかった。松井はプレイが一流であったことに加え、人格者としても知られている。幼少期からそのように育てられたというのもあるだろうが、高校時代、さらにそれに磨きがかかったのであろう。

 今は評価されていないものの将来花を咲かせるかもしれない芽を大事に守って育ててあげたり、逆に何となく結果が出ていることでなおざりにされている部分に手を入れてあげたりしなければならない。スポーツ選手の分析をするのが単純に好きだというのはあるが、それを繰り返すことは判断の精度を上げることにつながる。ただ、自らの中に蓄積されたデータを過信せずに、あくまでもその子自身を愛情持って凝視して、時に慎重に時に大胆に手を打って行ってあげなければいけない。それが、未来ある子供たちを教える立場にある者の務めである。

PAGE TOP