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2021.12.28Vol.525 終わり良ければ

 ゴルフラウンド後のお風呂場の脱衣所でのこと。「点数が上がる」という声が聞こえて来た。私と似たような年恰好の2人だったので子供の成績に関することかと耳を傾けていたがまったく違った。歯科医同士の会話だったからだ。「~すると、オペはしていなくてもオペと同じ点数になるので、〇百点上がる」うんぬん。大きな声で得意げに話していた。保険点数が上がれば、それに伴って患者の支払額も増える。こういう時は単なる批判で終わらずに「自分ならどうするだろうか?」と考える。仮に、支払額を増やさずに、自分だけが得するような方法があったとしても、「ご迷惑はおかけしないのですが、こういう風にうまいことやらせてもらっています」と正直に言える人でありたい。ここでは、それによって国民医療費が増すことは横に置いている。
 以前に紹介した友人のうなぎ屋の主人。私がゴルフを始めたのを機に、彼は10数年ぶりに再開をした。10月から毎月1回、2人でのラウンドを楽しんでいる。余談だが、1月はさすがに私も忙しいので残念ながらパスして、2月にその分も含めて2回行くことになっている。その彼が次のような話をしていた。彼は自分の店で販売するだけではなく卸もやっている。新しく付き合い始めたお客様が繁盛しているらしく、「儲けさせるから、もっとうちに卸してくれ」と頼まれたが、丁重に断ったとのこと。古くから付き合いのあるところへの分を確保しておきたいというのがその理由。仕入れた数を確実にさばくことよりも、売れ残るリスクを抱えてでも大切なお客様のために取っておく。そういう考えが私は好きだ。こういう時は感心するだけではなく「自分にもできるだろうか?」と問う。できそうなときでも、「できないだろう」と思う方がきっと良い。
 そう言えば、高2の元生徒が昨日、全国高校ラグビー大会の初戦に先発メンバーで出場し、見事勝利をしていた。大きな怪我でもしない限り、きっと大学でも続けるのだろう。彼は、言葉数も多くないしプレゼンテーションも下手そうだから、「beforeとafterの間」に出てもらうとしても、練習風景などを動画で撮っておいて、ただただ黙ってそれを見るということになるのかもしれない。その頑張っている姿を見て、「めっちゃしんどそうやし、痛くて大変そう。あれに比べたら勉強なんて楽なやな」となる。そういう比べ方は悪くない。それは自分のしていることの否定ではない。前向きになるために、自分のやっていることを大したことではないと位置づける。そうすれば、うまく行かないときに「もう少しぐらい頑張れるはず」となれる。
 前回、「beforeとafterの間」について書き漏らしたことがそれなりにある。私の希望としては、3年でも、5年スパンでも良いので複数回話して欲しいと考えている。もしかすると、1回目はVの左上、2回目は真ん中の底の状態かもしれない。私で言えば1回目が大学入学後で、2回目が20代後半であれば正にそんな感じになる。そんなときに人前でなど話したくはないだろうが、「あの時は怖いもの知らずでかっこ良いこと言ってけど、今は全然うまく行っていません」と赤裸々に話すことが自分を客観視することにつながり、浮上のきっかけになればそれは素晴らしいことである。
 聴き手である中高生が感銘を受けて「将来、私もあそこで話せるような人になりたい」とそのことが目標に向かって突き進んで行くモチベーションになれば、それも嬉しいことである。話し手、聴き手双方にとって意味のある機会にしたい。私の勝手な思い込みの域を出ないが、「十人十色」も何年か続けて来たことで、バトンタッチしながら次の親御様たちに引き継がれて行っているように感じている。
 今日、中学受験生の解いた過去問の文章に次のような一節があった。
 
 日本の教育はつねに正解を求めることを最大の目標に設定してきた。「問い」には必ず「答え」がある。その「答え」へ最短距離でたどりつくことが「頭がいい」ことだとされてきた。しかし、その考え方はいま、本当に有効だろうか。
 現実を見てみれば、「問い」はあっても唯一、正しい「答え」などないということがいやというほどわかる。しかし、学校では、「問い」があれば必ず「答え」があると教えている。これは大きな矛盾ではないだろうか。

 正解があると思い込むことももちろん良くないが、それ以上に「問い」が与えられるのを待っている方が問題ではなかろうか。自分なりの問いを立てて、それと真摯に向き合って答える訓練を繰り返していれば、他者からの要求にはそれなりに応えられるようになっているはずである。
 今年一年、文章がうまくまとまらないことが例年以上に多くそれなりに苦しんだ。読んでくださっている方たちの時間を無駄にしているのではないだろうか、となったことも数知れず。しばらくお休みしようかな、と弱気の虫が顔を出しもした。それでは問題の解決につながらないのは明らかだったので、どうにか書き続けて来た。大抵のことは、終わり良ければすべて良し、とはならない。ただ、次につながる気はする。そう信じて今回の文章に臨んだ。
 今年も一年、お付き合いいただきありがとうございました。良い年をお迎えください。来週はお休みですので、次回は1月11日になります。

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