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2021.10.05Vol.513 お母様たちとのやり取りあれこれ

 入塾に際してご挨拶のメールをいただいたのだが、その中でお母様が次のように述べられていた。
「松蔭先生の印象は、ブログを拝見していた際に抱いた『忌憚のない意見を述べられる方』に近いものでしたが、娘の『怒られる、怒られない』を基軸とした物事の捉え方を『貧相』と表現された時は、少々圧倒されてしまいました。その一方で、あまりに言葉選びが絶妙だった事と、期待していた通りの歯に衣着せぬご発言に、心の中で大爆笑しておりました。」
少し補足をすると、お子様が「怒られなければ〇、怒られたら×」という基準で行動しているということをお聞きして、私はそのように評したのだ。
 文章を書く際、通常はテーマを決めて、それに必要な材料をある程度集めてから手を付けるのだが、今回は上のメールを紹介するところから始めて、後は流れに身を任せることにした。ひとつの試みである。
 上のような指摘を受けて「言われてみたら確かにそうか」となったぐらいなので、普段通りの会話をしていたという感覚しかなかった。客観的に振り返ってみると、「貧相」という言葉を何の躊躇もせずに口にしたのには少なくとも2つの理由がある。1つには、お母様が私のブログをよく読んでくださっていたこと。ある程度私がどのような人間かを踏まえて下さっていることへの安心感があったということである。もう1つが、そんな考えだからうまく行かなくて当然なので良かったですね、ということ。もし、ものすごく良い考えにしたがって良い取り組み方をしているにも関わらず小さくない課題を抱えていたとしたら、さてどうしたものか、と頭を悩ませることになるからだ。例えるとこうである。あるスポーツ選手が、怪我に苦しめられている。よくよく聞いてみると、体が硬いのに運動の前に十分な柔軟体操もせずに、いきなり全力でプレーしていることが分かった。日頃からストレッチをして柔軟性を高めた上で、運動の前にも十分な時間を掛けるようにすれば、ほぼその問題は解決するはずである。
 さらにもう1つ理由があるかもしれないという気がしてきた。日頃からそのような表現を普通に使っている、というのがそれである。先日、授業中にしょっちゅう寝ている3年生の男の子のお母様に「目に元気が無さ過ぎる。あれなら、死んだ魚の目の方がまだ生き生きとしている」と伝えた。サッカーチームの練習が多いことが原因なので、それを減らした方が良いというアドバイスをした。「勉強に集中するために」などという“貧相”なことは考えない。サッカーをもっと楽しみ、もっともっとうまくなるために、である。現状2つのチームに所属してほぼ毎日のように決められた練習や試合に参加しているので、メインの方だけの週4日にすることを勧めたのだ。単に練習時間を減らせと言いたかったのではない。仮にそれによって減った分が週に10時間だとすると、6, 7時間は自主練習をして、残りはその他のこと、たとえば睡眠時間などに充てれば良いというのが私の考えである。中学受験生が余計な夏期講習を取らない方が良いことと似ている。総復習をするのではなく、自分の苦手なところを欲張り過ぎずにピンポイントで潰しに行って、秋以降の課題が明確になるようにしなければならない。睡眠時間を削りながら授業と宿題に追われてヘロヘロになるまで頑張ることで望み通りの結果が得られるのであれば、大手塾に所属している生徒はもっとできが良いはずなのだ。そもそも、決められたことをただやっているのを「頑張る」と評するのもおかしな話である。また、彼はコーチの評価を気にし過ぎて縮こまってしまっているということだったので、そのような意味でも1つに絞るのが理想となる。同じチームでもコーチごとで言うことが違うのに、別のチームとなるとなおさらである。そのような状況で、誰からも評価を得ようとすると軸はぶれるし、目先のことしか見えなくなってしまう。後者に関しては、クラス替えを意識して、次のテストで点数を取ることばかりに気を取られているのと非常に似ている。それで大きな成長が見込めることはない。
 志高塾には囲碁のプロを目指している男の子もいる。彼は、エスカレーター式の私立の小学校に通っている。詳しくは知らないが、同学年でプロになれるのが1人もいないことは普通にあるだろうし、多くても3人ぐらいだろう。こういう時に、確率論で考えて、その道を諦めるのも非常に“貧相”な考え方である。ただ、囲碁がダメだったときのことを心配するのが親というものであろう。彼がどれぐらいの結果を残していくかで今後は変わって来るが、いくつかのパターンを想定している。たとえば、中学の途中でその道が断たれたときには、大学受験で結果を残すためにどのような選択肢があるかなどの話をお母様とした。簡単に言うと、うまく行かなくなったときは志高塾でどうにかするので、余計なことを考えずにとにかく囲碁に集中して欲しいということである。
 サッカーでも囲碁でも、他の何かでも良いのだが、子供たちがその道を突き進んで行けるようにするのが我々の役割である。ただ才能に頼るだけではなく、闇雲に時間をかけるでもなく、子供の頃に工夫をしながらその道を究めようとした経験のある人間は、大人になったときに間違いなく自分らしいポジションを手に入れられるはずなのだ。
 潰しが効く。そのような考え方に正面から異議を唱える気はない。だが、私個人としては、せっかく未来ある子供たちと接する仕事をしているのだからたくさんワクワクしたい。

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